子曰く、知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼れず。(子罕)
訳)○先生はおっしゃった。知者は惑うことがない。それは自分を知っているからだ。仁者は憂うことがない。それは愛しているからだ。勇者は懼れることがない。それは自分を信じているからだ。
また我田引水的に、訳してみました。こうするとわかりやすいかなという感じで、自分なりに考えてみたんですが。
知者は自分を知っているからこそ、あらゆることを迷わずに率先してやることができます。やれば必ずなせるのは、自分のできることを知っているからです。そして必ず、自分のできることをする。できないことは滅多にしません。できるからこそやるのです。
たとえそれが、ほんの小さなことでも。たとえば詩を書くということひとつだけでも、それをやることが大切なのだと、やる。自分にはそれができるのだと知っているから。それをやる。できるのにやらないのはおかしい。やれば必ず何かができていく。そしてその何かを元にまた何かをやっていく。知者はそれで必ず何かをなしていくのです。確かに自分を知っているからこそ、大きなこともなせるのです。
知者は自分を知っている。だからこそやる。自分の力を表現していくことそのものがうれしい。おれはできるのだと、それ自身が幸せなのだと知っている。だからずっとやり続ける。
仁者については省きます。先日の説明で大方はわかると思うので。愛はすべてを認め、愛していますから、愛することそのものが喜びですから、たとえ何があろうと憂うことはない。絶望することすらない。愛は本当に愛そのものだからです。
勇者は懼れない。それは自分を信じているから。たとえ、目の前の壁が絶望的に高くても、それを自分がせねばならない、というときが時にあります。知者的に知っている自分の力では、とても超えられそうにない壁です。自分の持っているカードでは、とてもやれそうにない。そんな壁に立ち向かわねばならないときがある。そんなときは、自分の持っている見知らぬ力を信じて、勇者は挑むのです。
無謀ではない。彼は自分のカードを使って、できることからはじめます。あまりに苦しいときも、自分を信じてただ前に進みます。完全にできないことでも、挑みます。挑むしか仕方がないからです。自分を信じていくしかない。信じていくしかない。それだけで、真っ暗な絶望の荒野を進まねばならないときが、ある。
勇者は懼れない。できることからやる。悲壮かもしれないが、悲壮ではない。笑ってやる。おれはおれだから。やるしかないときはやりますよ。
いいですね。すばらしい。勇者は懼れない。自分を信じて、まっくらな絶望の壁に挑むこと、あなたはやれますか?