世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

色しくして

2008-04-03 09:34:06 | てんこの論語
色しくして内荏らかなるは、これを小人に譬うれば、それなお穿窬の盗のごときか。(陽貨)

見かけはいかにも立派でえらそうなのに、中身が腐ったように柔らかなのは、小人の類にたとえれば、いちばんけちくさいこそ泥のようなものか。



少々激しい言葉ですが、最近はこんな感じの人に出会うことが多いので、とりあげてみました。

見掛け倒しというレベルではなく、てっぺんからつま先まで嘘でやっているのに、平気でえらそうなスタイルをとって、やってくるのです。きている服から乗っている車まで、それはかっこいい。とんでもなく賢そうなことをいい、何でも自分でやっているんだよ、一番えらいんだよという顔で、周囲の人を馬鹿にしている。一見、本当に頼りがいがありそうなのです。

ところが、ここ一番の大切なときになると、何もやろうとしないのです。苦しいとき、本当に力を発揮しなければいけないときには、何もしないのです。やることはせいぜい、誰かのせいにできないかと、精一杯理屈をこねるだけ。そして、誰も人の見ていないところで、けち臭い小技をきかせて、なんとか状況を自分の方に手繰り寄せ、自分の面目だけを保とうとする。なんともいえないこすいやりかただと、わかっていながら、平気でそれができる。

そういう人が、世間にはいっぱいいるようです。

要するに彼らは、裏から、楽にできるようなやり方でしか、やったことがないのです。危機的状況を打ち破るには、実力ある人が、あらゆる試行錯誤を繰り返しながら、決死の勇気を奮い起こしてやらねばならないことが多くある。彼らは、そんな苦労などやったことがない。つらいことはみな人にやらせて、みんな自分がやったような顔をして、えらそうな顔をしているだけなのです。

穿窬の盗とは、要するに、他人がやったことを、上手に盗んで、自分のやったことにして、うまくえらい人間になっている人、というところでしょう。ところがこういう人は、人のまねだけは完璧にうまいのですが、ここ一番、自分でやらねばならないという状況に落ちると、大変に狼狽する。何にもできない自分の正体を、世間にさらしてしまう。

やれやれ。

そういう風に、正体がばれてしまって、大慌てにあわてている人が、苦しさのあまり引きつった顔であがいている。そういうさまに、最近よく出会うのです。もう正体がばれているのに、いまだにかっこいいよろいを着ている。世間に恥をさらすだけだよといわれても、耳を貸そうとしない。いやなんだ。嘘でないとまずいんだ。なんとかしてくれ。このままではみんなだめになってしまう。大変なことになるのに、なんにもしない。なんにもできない。

盗んだものはすべて去っていく。裸の自分だけでやらねばならなくなる。このまま何もしなければ、すべてがなだれ落ちてきて、大変なことになる。もうそれはそこまできている。

それでも、なんにもしようとしない。いやなんだ、馬鹿なんだと言うばかりで、もうなくなってしまった夢の中に閉じこもろうとする。なんにもできないわけじゃない。やればできることは、けっこうあるのですが、やろうとしない。そんなことすらも、いやだから、ですべてだめにするのです。だれかのせいにしたいのです。苦しいことはしたくないのです。だってみんな馬鹿だから。楽なところでえらくなりたいのです。

こういう人が、いろんなところで、上手に他人からいい物を盗んで、自分だけをえらいにして、俺は賢いすごいやつだということにして、なんでもやっていたらしいですよ。




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