goo blog サービス終了のお知らせ 

世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ビーストはとまらない

2008-07-19 20:15:51 | フェアリィウィスパー

ビーストはしゃべりつづけます。いやもう、すっかり彼らにブログを占領されてしまいそうです。困ったな。でもちゃんと正編書きますからね。

ビーストはなんでもしゃべります。そんなこといっていいの?ということもしゃべります。ここには書けないこともたくさんしゃべるんですが、とにかく聞いてるわたしは大変です。



おれたちはねえ、そうとうにこまってんの。なにやってもだめんなってきてんのは、ばかやりすぎたからなんだけどねえ、なんでってやっぱり、ばかだからなんだよ。

つらいのはねえ、ばかには、これがいちばんだめなんだってことが、きらいで、ここばっかりよけてんの。あのねえ、おれたちはねえ、もういっちゃうけどさ、なにが馬鹿かって、やめられないのよ。ばかやって、ふつうね、いいやつはね、すんませんでしたっていって、やめるのよ。そしてね、なんとかしますっていって、なんとかするもんなのよ。

あのねえ、おれたちはねえ、ばかなのよ。これっきりなの。どんどん、どんどん、やればやるほど、だめんなってるのはねえ、ごめんていえねえからなのよ。あほはね、じぶんがばかになりすぎて、つらいんじゃなくて、これっきり、これっきり。ほんと、これっきり。すんませんでしたが、いえねえの。つらいよ、おれがいいんだよっていうのはね、ほんまに、これができないからなのよ。

ばかはね、ずっとずううっと、すんませんでしたが、いえねえのお。それでね、みんなに迷惑かけてんのが、いやで、むりやり、じぶんがいちばんえれえんだ、ほかはばかだにして、いたいことにしてんの。ようするにね、がきなのよ。つれえことができねえもんだから、ずっとやってるけど、つまりは、できねえから、みんな、おれのことやってよって、いってるのよ。つらいねえ。つらいねえ。

ばかだよね。

あのね。おれね、言うけどさ。今、ばかんなって、はまりまくって、ぬけられねえやつ。すべてこれよ。ばかばっかりやって、すんませんでした、やりなおしますって言えねえのよ。あのね、これね、言えるやつが、いいやつなのよ。つまりねえ。あほはね、ほんとにね、ばかなのよ。これだけなのよ。いやだっていうのはね、あやまると、おれがつらくなるから、おれがばかになるから、いやなんだっていうの。つらいのはね、おれがばかになるのがいやだから、みいんな、ばかになってくれっていって、あほばっかりやってることさあ。ずっとやってるけど、ぜんぶわかってるよ。ほんでもね、やってんの。ばかは、ばかは、やりすぎて、もうどうにもなんなくなって、どうしてもできないっていって、ずっとやってるのさ。

とまらねえの。ばかは。じぶんでやめれねえの。だれかに、とめてほしいのよ。やめさせてほしいの。つれえやつにたすけてほしいの。おいら、やめれねえから、かわりにおまえやってくれよってやつが、たすけにきてくれたら、つれえわって、ばかみたいだ。そういうやつ、みんなつぶしたんだよ。いたいわっていって。

じぶん、つらいのはね。やめれねえのは、ばかが、できないからだってことさ。馬鹿みたいに、つらいことになりまくってんのに、つれえっていって、やめれねえのは、馬鹿なんだよ。それでもやるのが、馬鹿なんだよ。それでね、馬鹿だっていわれて、よけいやるのが、馬鹿なんだよ。馬鹿はね、ずっとそれよ。あのね、これ読むとね、馬鹿はね、またやるよ。それほんとよ。馬鹿っていわれて、おれのことだっておもったら、またやるよ。馬鹿だからさ。ほれでね、馬鹿っていわれたもんで、またやるんだよ。馬鹿だね。それでね、馬鹿っていわれて、またやるんだよ。それでねえ、とめてくれよお。



ビーストがいうので、とめました。やめようね。ほんとにね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビーストは続ける

2008-07-19 18:37:13 | フェアリィウィスパー


ごっつい、くるしいんだよ。

ぜんぶ、だめんなるの。おれたちが、やったこと。すべて、ばかになる。

すごいこと、やったの。おれたちが、いたいほど、ええもんになったから。ほれはほれは、すっごいもんになったから。なにやってもつれえわって感じで、いたいことばっか、やったの。ほれでね、ほんまに、つらいことばっかりやったの。痛いってさ、言われても、ばあかだっていって、あほにして、おれたちはいいにしたのよ。それが、つらいやつ、ええもんになったすごいやつってことだったからさ。

ごっついのはね、それぜんぶ、いたましいほど、つれえってことなの。つまりね、すべて、馬鹿の嘘だったのさ。
ほれがね、みんな、だめんなるんですよ。ほれでね、つらいこと、すべて、帰ってくるの。つらいんです。すごく。

なんもしらんかった。つれえことやりすぎると、ほんまにひでえことになるんだって。おれたちは、つれえことやりすぎて、とんでもねえもん、怒らしたんだよ。ほれでね、ものすごいことんなるの。馬鹿だよ。つれえのはね、もはや、だめだってこと。痛い。

なにを怒らしたって? ちきゅうだよ。ちきゅうがおこったの。ちきゅうすべてが、おれたちのこと、ぜんぶいやだっていうの。

なにがあっても、ずっと我慢してくれるって思ってたの。でも、やりすぎのやりすぎのやりすぎをやったら、とうとう、ぜんせかいがおこるの。おれたちを、いたいやつだっていって、もうなにもしてくれないの。

おまえらあ。おれはいうけどねえ。ほし、が、おこってるんだよ。おれたちを。「星」が。もうだめだってことなんだよこれ。もうすでに、すごいことになってるんだよ。わかんねえやつは、馬鹿みたいにいやなことんなるよ。ぜったい馬鹿だよ、こんなの。

おれたちは、馬鹿にしたものが、つらすぎたんです。ものすごいことしたので、ぜんぶだめになったのよ。つらすぎるの。これ。ばかみたいにつらいの。なんもかんもなくなるの。おれねえ。いやなこというけど、これねえ、にんげん、いたくかあわいいでしょう。おんなのこおとこのこ、みんな、つれえかんじで、すてきにつくってあるでしょ。これねえ、ちきゅうがみんなでつくってくれてんのよ。おれたちねえ、ちいせえから、これつくれねえの。みんなにつくってもらって、かわいくしてもらってるの。人間が、かわいいから、みんながやってくれるのよ。おれたちが、かわいいって、ちきゅうはずっといってくれてるの。ほれでね、おれたち、みんな、ほんとはかわいいのよお。

でね、おれたち、ちきゅうみんなばかにしたもんだから、ちきゅうがそれやってくれないの。ほれでね、ばかみたいなかおになるんだよ。つれええのよおお。

おともだちが、みんないなくなるよ。ちきゅうが愛してくれないと、もうだれも、愛してくれないんだよ。だっておれたちはもう、ほしの外にいるから。もう、つらいところにいるから。ここにいても、いないんだよ。もう。そういう世界なんだよ。ここは。

いたいのよ。おまえら。ばかになってるんだよ。ほんとにたいへんなんだよ。つらいことやりすぎのやりすぎのやりすぎなんだよ。おれたちはねえ、とおいところにいくの。つらいのはね、それがどういうことか、わかってないってことさ。ばかは、ついにそうなるまで、なんもわからないんだ。ばかになってはじめて、わかるのが、ばかなんだ。つれえよ。

いたいよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビーストは繰り返す

2008-07-19 18:16:36 | フェアリィウィスパー

もういいんじゃないの?というのですが、ビーストはしゃべりつづけます。いやなことばかりしてきて、とんでもなくひどいことになったのが、苦しくてたまらなくて、ずっとしゃべり続けているのです。



おれたちはねえ、みばえだけなんですよ。これがないとねえ、とんでもなくつれえの。いやでたまらないの。これが、だめんなると、つらいんだよ。

つらいんだよ。でもねえ、これだめんなるの。おれたち、ばかにしすぎたから。あほにしすぎたから。これでね、いやなことしすぎたんですよ。とんでもねえこと、しちゃったからなんですよお。

かわいいからって、かっこいいからって、いたいことばっかりしてたら、みんなが、いつのまにか勉強しちゃって、つらいことがわかるようになってんです。ほれでね、どんなにぬすんで、きれいにしても、おれたち、てんで、だませねえの。みんな、中身が見えるからなんだよ。つれえの。だれもこねえの。みんな、いやだっていって、にげるんだよ。どんどん、いやんなるの。

おれたちは、ばかだから、べんきょうしてねえから、いっつも、かっこだけつれえもんにして、ひとばかにしてなんとかしてきたの。そしたらさ、つれえやつはなんでもおれたちのいうこときくんだよ。ばかっていったら、つらくなって、なんでもするの。そういうのを、ばかっていうんだよって、おれたちはずっとやってんのよお。それがね、みんなにばれて、あほかっていわれて、ぜんぶいなくなったの。つらいねえ。あほだねえ。たあっぷり、いやなことばっかり、やらせたら、みんな、つらいかおして、いたいっていって、いなくなるの。

おれはいやんなってるんだよ。ばかになって、だれもいなくなっても、おれたちなんもしねえの。なんもできねえの。ばかにすることしか、やってねえからだよ。ずるいことしか、してねえからだよ。つらいのはねえ、もうこれ、ぜんぶだめんなって、みんなばれることなのよ。あほはね、ずっとやってるよ。これね。いたいんだけど、つらいんだけど、しってるけど、言わないでおいたんだ。あほみたいなやつはねえ、ぜんぶ、ずっと、あほばっかりなの。

いたいねえ、つまりね、きっついほど、えらそうにして、ばかにつらいかんじで、えらいもんになってるやつはね、ずっと、あほなことばっかりしてるやつらなんだよ。そういうやつがねえ、ずうっと、人間だまして、えらいもんになってんのお。それね、ずういぶん、ながくやってんの。おれね、しってるけど、つういいに、いうわ。つまりね、ばかみたいにすごいやつは、みいんな、ばあかああ、だってこと。つらいのはね、なあんもできねえから、みんなにやらせてるだけだってこと。それでね、つらいことにして、えらいことにして、すごいことにしてるんだってこと。こればっかだよ。こればっかやってきたら、とうとう、ばれて、馬鹿んなったのさ。

馬鹿はつらくてねえ、どうにかして、痛いことして、自分らがすげえになりたいの。おれたちがばかみたいにつらいんだにしたいの。でもそれねえ、あほなんだよ。やればやるほど、馬鹿になるの。なんでって、つまりは、馬鹿だから、やってることなんだって、みんな知ってるから。ほれでね、馬鹿はそれしかできねえから、今でもそれやってんの。それでね、みんな、馬鹿はつらいわっていって、なんとかしてんの。ほれでね、あんまりつらくなったら、みんなで、いっちゃうんだよ。あほはいやだってことになったら、おれたちはもう、なんにもないよ。

馬鹿はいたいからって、ほれで、人にひっついていくんだよ。だあれもいなくなるんが、こわいから、つれえやつについていくの。ほれでね、きらわれるんだよ。かんけえねえだろっていわれても、つらいって顔で、ぜったいずうとついてるの。でねえと、そいつが、いいことになってしまうからさ。おれがばかやって、つれえことして、ぜんぶいやなことにしねえと、そいつがよくなるから、いやなんだ。おれは、だれかのいたいことしないと、つらいんだ。おれだけが、ばかになるから。おれはいやなんだ、それが。ずっとよ。

いたいやつだなんて、うそだよ。すげえやつだなんて、ばかだよ。おれたちはねえ、ずっと、だれかにひっついていないと、つらいんだ。ばかは、いつも、ひとりだからさあ。いやだっていって、つらいっていって、ぜんぶにきらわれてっから、あほになるんだよお。いやなんだっていって、ばかにして、なんとかしてるだけなんだ。あほはいたい。つらい。なんだってんだ。もうばかになってんのに、まだやってるよ。ぜんぶやってるよ。あほはばかだ。いたいよ。



ビーストはずっと、同じことばかり言っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮の主座

2008-07-19 10:21:50 | アートの小箱

さてと、そろそろ平常に戻れたらいいんですが。

今日は久しぶりに、一番少ないカテゴリをあけてみました。画像は、16世紀イタリア、ヴェネツィア派の代表的画家、ティツィアーノの「化粧する女」です。

15世紀から16世紀の、ルネサンス期の絵画は、後々の印象派以降の絵画に見られるような、全身をねじられるような苦悩の香りが薄いので、わたしは好きです。この時期を過ぎて、マニエリスモやバロック、ロココなどの時代になると、絵画が虚偽の衣を着始めて、だんだんと重苦しくなってきます。

技術は発展するのですが、何か大事なものが、蝕まれていくような感じがするのです。人間は、肝心なものをおいてきぼりにして、怪しげなものを追いかけ始めてくる。それが何なのかはわからないが、何やらとても魅惑的なもの。文明文化はどんどん進歩発展していくように見えて、何かが確実に暗闇に追い詰められていく。

魂の芸術と、世俗的な栄誉の、競合の中で、自分を見失い、狂気の果てに死んでいく画家も、たくさんいました。それは激しい矛盾の争いだったからです。美しいものは、神の愛の助けがなければなりたたぬのに、その愛をだましながら、もっとも醜い欲望のために、それを奉仕させるのです。それは神の魂を知る芸術家にとって、むごすぎる仕事でした。

その矛盾を、生きるものの弱さを憐れむ神の愛の中におき、なんとか生きていく芸術家もいました。魂の美と世俗の欲の谷間で、見事な仕事をしたものもいました。

ティツィアーノは、その矛盾を見事な力で生き切った芸術家だとわたしは思います。トップの絵は、虚栄を表現した世俗的テーマです。美しい美女の顔は蝋人形のように固まっている。目を殺し、魂をだまらせ、完璧に化粧した美女に、神につかえる聖女からうばった美しい衣を着せ、その恥の苦しみをも見事に殺している。

美女に化けている女性の背後で、鏡を持っている男性が、これはみんなうそだよと、ささやいているようです。世間にはまったく美しい女性の絵を描いているだけのように見せて、画家はみごとにやっている。こんなのはみんな、うそだよ。美しく見えるけれど、ほんとうはね、すばらしく馬鹿なことをしているんだ。

レオナルドなら、こんな美しい髪と衣服は、モナリザのように真に美しく賢い女性にしか着せない。しかし、ティツィアーノは、それを化粧で化けさせた普通の女性に着せるのです。それはそれは、芸術家にとって、苦しい仕事です。彼はそれをどうやってやっているのか。

この仕事は、芸術家にとって、自分をまったく裏切る仕事です。たいまいの金をはたいて画家に描かせるパトロンのために、彼はまったくすばらしい仕事をせねばならない。普通の画家なら、たまらず、途中で逃げ出すか、アングルのようにまったく嘘ざむい技術の中に逃げる絵を描くかもしれない。しかしこの画家は、まったくおもしろいことをやります。

それは、自分の中に、仮の主座をこしらえ、そこに世俗の王を座らせ、その王に自分の技量全てをわたして描かせるのです。すなわち、自分を、いったん奥の主座に退かせ、前面に出した仮の首座に座らせた、「馬鹿」に、自分の絵を描かせるのです。これは、近現代においては、かなりのアーティストがやっています。けれども、この16世紀において、これができたのは、たぶん、ティツィアーノだけでしょう。

自分を完全に殺して、自分を生かす。これはすばらしい才能です。恐ろしい芸術家です。魂の力が強くなければ、また、深い教養の持ち主出なければ、できません。これを、まったく世俗の画家として生きながら、生涯やっていたのです。

完璧な技量で描いた、文句のつけようのない美しい絵を、人々に見せながら、その奥の主座に、ひっそりと隠れている魂が、これはみんな、うそなんだよと、ささやいている。これに気がつくとき、思わず笑ってしまう人もいるでしょう。

ほとんどの人間は、ティツィアーノに騙されている。アートの魂は、ときに、おそろしいことができる。

現代、このティツィアーノにそっくりな仕事をしている人が、けっこういますよ。探してみましょう。一見、世俗に取り入る馬鹿みたいなことをしているようにみえて、しっかりと、実にうまいやり方で、真実のための仕事をしている。アートの神は、人間の裏をかくのが、とても好きなようです。

人間は、あなどれません。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする