今日は、梅雨らしく、アジサイです。今年の梅雨は、ほんとに梅雨らしい梅雨でした。雨の被害のあったところもありましたが、ここらへんでは、ほんとにしっとりとした、いい梅雨でした。雨が、何かを洗い流してくれているような。苦しいことのあった日々の喧騒を、消してくれているような。
個人的に、少々騒がしいこともあったのですが、それを、雨がなんとかしてくれたような気がしています。ひとり、自閉の部屋にこもって、ちまちまとレースを編みながら、外の雨の音を聞いていると、不思議と、荒れた心の中の風が、吹きやまってくるようでした。
辛いことがあっても、人生捨てたもんじゃないと思うこと、しばしばです。いやなこともあるけれど、それをなんとかしようとしてくれる、やさしいものもある。ほっとして、さあ、またやろう、という気持ちになれます。今はなんとなく、きれいに晴れた日よりも、しっとりとした雨の日のほうが好きだな。
アジサイは、真面目な花です。まっすぐにまじめな、働き者という感じの花。まがったことは、嫌いというか、苦手です。だから、人間には、あまりいい顔をしてくれません。写真をとっても、いつも、ぷいとあっちを向いているような感じの顔に写るのです。
いやなのです。人間が、遊んでばかりで、まがったことばかりして、それでいて、えらそうに歩いているのが。自分ばっかりが、馬鹿みたいにすごいんだという顔で、肩で風切って歩いているのが。それでいて、大事なことは、なんにもしていないのが。
アジサイは、真面目な職人のように、自分の仕事を、こつこつと、一心に、ずっとやっているのが好き。それがみんなのためになるのがうれしい。それは、すごい、とか、つよい、とかいうことじゃなくて、本当にいいことだね、ということ。そういうことを、こつこつと真面目に、いい感じでやるのが好き。ほらたとえば、何の変哲もない小さなハンカチに、かわいい小さな花模様を刺繍して、まるですてきな布に生まれ変わることがある。そんな気の利いた、すてきなことを、ずっとやっているのが好き。そんなことで、みんなが、とても喜んで、とてもいいことになるから。そういうことが、本当に好き。
そんな小さなことが、大切なのに、そんなことを、心をこめて、まじめに、やることで、すべてよくなっていくのに、人間は、馬鹿にして、まるでやろうとしないの。ださい、苦しい、といって、馬鹿にするの。そういうのは嫌い。悲しい。
だからアジサイは、ずっと苦い顔をしていたのです。雨の中にいるのも、それが、あまりに、辛かったから。雨の中にいれば、神様が、守ってくれるから。
でも、このアジサイは、なんとなく、こっちを見ている。そして、少し驚いている。人間が、変わり始めたから。何もしない自分に、苛立っているから。こんなことばっかりやっているのはいやだと、苦しんでいるから。
アジサイが、人間を振り向いてくれた。まっすぐに、見てくれるようになった。
何かが始まっている。世界はもう、どこかで、すっかり変わっている。
人間がまだ、すべてわかっていないだけ。
もういこう。何もかもは、苦しい夢だった。ほんとうのことは、あっちにあるんだよ。やっていこう。始まる。始まっている。痛いのは、苦しいのは、もうとっくにわかっているのに、無理やり目をつぶっているからだよ。
いこう。
よんでいるよ。