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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ヴォータン

2013-12-27 04:51:04 | 虹のコレクション・本館
No,43
コンスタンティン・ヴァシリエフ、「ヴォータン、古代スカンジナヴィアの至高神」、20世紀ロシア、象徴主義。

ソ連の時代のロシアの画家らしい。キュビズムやシュルレアリズムの作品も残しているが、この北欧の神話に題材を得た絵が面白い。

ヴォータンはもちろんオーディンのことである。実に賢い北欧神話の最高神だ。画家はこれに、大陸的父、勇者の相貌を感じているらしい。立派なヒゲに澄んだ瞳、立派な体格。男の理想だ。

精神の破壊というテーマを影に孕んでいた20世紀芸術の中で、ソ連の画家というのは面白いものを見せてくれる。国の体制の影響がなかったはずはない。確かにソ連は、極度に肥大した男性原理をもって貫かれていた国だった。こういう理想的な男を描ける環境があったのだ。

これがアメリカなら、スーパーマンのような漫画になる。正面から大真面目に描けるというのが、ロシアという国なのだろう。

もちろん、こういう絵は、男の現実に関連して馬鹿になる可能性が大いにある。現実の男には、こういうやつは、実際、存在不可能だからだ。大ウソのこんこんちきだと指をさされても仕方がない。実際これは、唯一神、全知全能の神という、男の永遠のあこがれの産物と言える。だがここに活路を作ると、おもしろいものもできるということだ。

童話的ファンタジーの世界にのみ生きられるような男を、ここまで立派に描いてくれたのがうれしいね。実に美しい。

男が、理想的に美しくなれば、こういうことにもなれる。そういう絵だ。これはおもしろい。




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キリストの鞭打ち

2013-12-26 04:48:30 | 虹のコレクション・本館
No,42
ティツィアーノ・ヴェチェリオ、「キリストの鞭打ち」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。

ティツィアーノは、宗教画が苦手だったようだ。というより、いやがっている。彼はどうやら、処女懐胎や復活なども、本当は信じていなかったらしい。それは絵を見ていればわかる。

このキリストの表情も、真に迫っている。鞭と嘲笑に苦しむ人間の魂に迫っている。彼がほかに書いたキリストの絵を見ても、彼がイエスに深く同調しているのがわかる。十字架を運ぶ図などは、イエスの代わりに、自分がイエスになって背負っているという感じがする。

彼は、この悲劇が、他人事に思えなかったのだ。ほかの画家が描いたキリスト受難の図は、どれも、他人事を描いているような空々しさがあるが、このティツィアーノが描いた受難の図だけは、あまりに苦しい、当事者の苦しみが描かれている。

ティツィアーノは、イエスの苦しみを、まるで自分のことのように感じていたのだ。だから、彼が職業として描かざるを得なかった宗教画には、画家の、自分の肝をねじられるような矛盾がある。

こんな苦しみが耐えられるものかと、彼は絵で叫んでいる。




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聖ヨセフの頭部

2013-12-25 05:03:22 | 虹のコレクション・本館
No,41
グイド・レーニ、「聖ヨセフの頭部」、17世紀イタリア、バロック。

この画家の描く絵は実にやさしい。これはよき父の優しさを表現した実によい絵である。

画家はヨセフに、父の理想像を描きたかったのだろう。一応、イエスはヨセフの子ではなく、神の子となっている。ヨセフは血を超えた愛をイエスにそそぐ。そのやさしさは限りない。

父の愛というものは、時に越えがたい壁を越えてゆく。それは男でなければ越えられない壁だ。その壁を超えるとき、男の愛は、神の愛にさえ似てくる。

暖かさを感じる絵である。




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シモネッタ・ヴェスプッチの肖像

2013-12-24 04:39:46 | 虹のコレクション・本館
No,40
ピエロ・ディ・コジモ、「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」、15世紀イタリア、ルネサンス、フィレンツェ派。

これは美しい女性の横顔である。

この画家も、他とは一線を画した個性を持っている。優れた感性を感じる。

このようにまっすぐな眼差しをした人間はめったにいない。画家はこのような美しい横顔に、自分の中の理想化した美を表現したかったのだろう。

シモネッタ・ヴェスプッチは、当時のイタリアの最高の美女だったが、たいして印象的なことはせず、ただ美しいままに若くして死んだ。ダンテのベアトリーチェのように、それだけで男の理想を押し付けることができる。多くの画家がこの美女によって、自分の心の中にある美を表現した。ボッティチェリの描いた多くの女性像にも、彼女の面影があるが、本質的に、実在の彼女には全く似ていない。

このピエロ・ディ・コジモの描く彼女も、実在の彼女の形をもらっただけで、彼女を描いているわけではない。

シモネッタは、人間の心の中にある理想のために供えられた供物なのである。それが時に、マリアのように永遠の女性像に進化する。

男というものが、何を女性に求めているのかを、語りかける絵の一つである。




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ゴシキヒワの聖母

2013-12-22 04:25:11 | 虹のコレクション・本館
No,39
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、「ゴシキヒワの聖母」、18世紀イタリア、ロココ、ヴェネツィア派。

ロココはあまり好きではないのだが、この画家はよい。
明るい色彩に、のびのびとした筆致は、よき才能が、それにふさわしい賞賛を受けて、自然に自分を表現できる場を与えられた喜びを感じさせる。

この画家は存分に自分を表現する幸せを味わっている。ゆえに、絵の中の天使や聖母は、実に誇り高い顔をしている。それがいやらしくなく、気持ちがよい。

これは、周囲によって歪められ矯められた傷を持つ、レオナルドの表現とは全く異なるものだ。天才と呼ばれる故に、周囲の誤解に苦しめられたレオナルドの表現は、それゆえに美しいが、見ていると苦しくなるということもある。悲しい。

だが、ティエポロにはそれがない。

深みがないともいえるが、新しく、明るく、幸福な画家の精神を感じる。

レオナルドも、それにふさわしい正当な評価や環境を与えられていれば、また違う表現をしたろう。

ロココの貴族趣味的な風合いも程よく殺されて、これはよい。面白い作品だ。

人間のやんちゃが出ている。かわいらしい。実によい。




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奏楽の天使

2013-12-17 05:13:09 | 虹のコレクション・本館
No,37
メロッツォ・ダ・フォルリ、「奏楽の天使」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

これは美しい天使の絵である。過去にもとりあげたことがあるが、コレクションに加えないわけにはいかない。

明るい色彩は天国の香りを思わせる。邪心のない瞳が美しい。これは、人間存在が、天使に対して思い描く一般的イメージを抽出したものだ。純真で、善良で、まぶしいほど美しく、かわいらしい。

わたしもこの絵はたいそうよいと思う。実に美しい。
だが、こういうのが天使だと思うと、大きく間違うぞ。甘い。

われわれは、もっと大人のきびしい顔をしている。人間にとっては、親の親の親のようなものだ。
男ばかりだ。

こういう女性のようなかわいらしい顔をした天使は、ごくごくごく、まれだ。




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エラスムス

2013-12-16 04:37:02 | 虹のコレクション・本館
No,36
ハンス・ホルバイン(子)、「エラスムス」、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

北方ルネサンスの絵は好きだ。陰る光の中で編まれる静謐な雰囲気がよい。貴族趣味に流れない職人的な生真面目さがよい。

この絵は、本物の人間、真人間を描いた、数少ない絵の一つである。

顔を見れば、すばらしい男だとわかる。シーシキンのように、女性の助けも必要としない。むしろそれが邪魔になる。実際、エラスムスは女性に対して苦い思いを抱いていたようだ。たぶん、孔子同様の痛い経験があったのだろう。
彼のような清廉な男には、邪心を持った女が近寄ってきやすい。

人間には、こういう男もいるのだ。

カッコだけの馬鹿な男をかっこよく描いた肖像画が多い中で、これを見ると、人間にもまだすばらしい男がいると、ほっとする。

画家は、この男を非常に尊敬しているようだ。清い男のまなざしを真っ直ぐに描いている。

男性の肖像画としては、白眉に数え上げられるだろう。





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放蕩息子

2013-12-15 05:55:22 | 虹のコレクション・本館
No,35
ヒエロニムス・ボス、「放蕩息子」、16世紀ネーデルランド、初期ネーデルランド絵画。

これも個性が際立った画家である。取り上げざるを得ないね。見たら忘れられない絵だ。

放蕩息子をテーマにした絵は結構あるが、これ以上パンチ力のある絵はほかにない。

このファンタジーは、男の馬鹿さ加減を、これでもかと見せつける。

実際、男の人生と言うものは、ファンタジーのようなものだ。大きな夢を見て、でかいことをしようと、馬鹿をやるが、一時的な勢いでかなりなことにはなるものの、すぐにしぼんで、何もかもなくなる。

そういう人生を送る男は多い。

結局は、田舎で真面目に働いている、家族の元へ、恥を忍んで帰ってゆく。

まあ、ゆっくりと味わいたまえ。




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オルガンを弾く聖カエキリア

2013-12-14 05:17:59 | 虹のコレクション・本館
No,34
カルロ・ドルチ、「オルガンを弾く聖カエキリア」、17世紀イタリア、バロック。

これもまた、可憐で美しい女性だね。
頭に光輪をかぶせて、聖女にしているが、ないほうがいい。普通の人間の、やさしい女性としてみる方が、美しい。

天使のようだ。

人間の男は、こんなかわいらしい女性を見つけると、変に馬鹿ぶりを発揮して、いやなことをしすぎる。
好きならば、女に当たらずに、家を建ててやり、オルガンを一台買ってやることだ。そうしたら、女はやさしい音楽をひいてくれ、家をきれいにしてくれる。
それだけでよいものを。

八重垣をつくる男の腕を、女を殺すために使っては、おしまいだ。昔は、こんなかわいらしい女性は結構いたが、あまりに男がいじめるので、現代はこういう女性はほぼ絶滅している。

未来の人間は、こういう絵のなかに、むかしは実在したやさしい女性の夢を見るかもしれないね。




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華やかなドレスを着たサスキア

2013-12-13 04:21:37 | 虹のコレクション・本館
No,33
レンブラント・ファン・レイン、「華やかなドレスを着たサスキア」、17世紀オランダ、バロック。

レンブラントは、モデルよりも、自分のうまさを重視する画家だ。
ゆえに、妻サスキアをモデルとした絵も、モデルへの愛をあまり感じない。うまさゆえに見事に、女性の顔や肉体の微妙な崩れ方をも描いてしまう。

普通に女性が好きな男なら、モデルの顔や体型を整理して、もっと絵画的に美しく描くものだが。

その中で、これは比較的モデルを美しく描いたものである。

レンブラントは、そのうまさゆえに、見る側からすると、少々鼻につくきらいがあるのだが、これは上手さと愛がほどよくまじっていて、よい。

やはり、上手い画家には、それなりに美しいものを描いてほしいね。

写実主義の画家でも、もっと美しく描くぞ。




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