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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

風景の中の自画像

2013-12-12 05:05:50 | 虹のコレクション・本館
No,32
アンリ・ルソー、「風景の中の自画像」、19世紀フランス、素朴派。

素朴派というが、これもユニークな画風だ。色彩といい、形と言い、おもしろい。この画家が優れているのは、きちんとした技術をもって、人間の魂や植物の魂をきちんと描いていることである。これが非凡なところだ。

ところが、ここに罠がある。この描き方は、いかにも簡単に見えて、だれもが真似したがる。こんな絵で、立派なものになるならと、アンリ・ルソーの真似をした画家が、たくさんいるのだ。

実に、キュビズムやシュルレアリズムも、起源はここにあるというものである。

これで芸術になるのなら、簡単ではないかと。

だが、アンリ・ルソーの真似をした芸術家は、みな、アンリ・ルソーに敗れる。誰も、これ以上のものを描けない。ピカソもシャガールも、ルソーの歪んだ孫だ。

この自画像に、画家の魂を感じてくれたまえ。これの安易な真似をした画家が、バカに思えるはずである。




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聖書を読む老婦人

2013-12-11 05:20:42 | 虹のコレクション・本館
No,31
ヘリット・ダウ、「聖書を読む老婦人」、17世紀オランダ、バロック。

これもまた美しい女性だ。真剣に聖書を読んでいる。勉強をしている。家政に徳をもってあたっているよき女性であろう。

モデルはレンブラントの母御らしい。子供をいっぱしに育て上げた自信が横顔に出ている。苦労をしたのだろう。信仰を支えに、子供を育てながら、あらゆる苦難を乗り越えて生きて来たのだろう。画家レンブラントの影には、こういう女性がいたのである。このような女性が一人いれば、家庭とその周辺によきことがたくさん起こる。善をまじめに行う女性が一人でもいれば、たくさんの人が助かるのである。

この女性を美しいと感じることができる人は、とても良い人間だ。画家はこの人の美しさがわかる人間だったのだろう。

佳品である。




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キリストの逮捕

2013-12-09 04:13:57 | 虹のコレクション・本館
No,29
チマブーエ、「キリストの逮捕」部分、13世紀イタリア、初期ゴシック。

ゴシック期の美術では、チマブーエやシモーネ・マルティーニがよい。ジョットはあまりよくない。

ジーザスの肖像はそれはたくさんの画家が描いているが、われわれを満足させてくれるものは、ほとんどない。その中で、これは、われわれの気持ち的に、よい絵である。

ジーザスは暖かくも男性的な愛の持ち主だった。その容貌は、当時の美の基準としては、冴えなかったが、心の優しさがほほ笑みや眼差しにさわやかに咲いていた。

見ているだけで、ほっと安心するような、よい男だったのである。

この絵のキリストの目には、そのようなジーザスの愛に似た愛を感じる。立派なよい男に描いてくれている。それがうれしい。

磔刑図や、嘲笑の図や、鞭うちの図、十字架の道行の図などを、人間はたくさん描くが、時にわれわれには耐えられないような絵を見る。いまだに、彼はこうして、苦しめられているのかと、感じてしまう。

人間は、ジーザスを、もっと誇り高く、美しく描くべきである。彼の愛にふさわしい姿を、与えるべきである。





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月を眺める男と女

2013-12-08 04:18:30 | 虹のコレクション・本館
No,28
カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ、「月を眺める男と女」、19世紀ドイツ、ロマン主義。

ピカソの絵の後では、どんな作品もよく見えるような気がするが、さすがにこれはほっとするね。

美しい絵である。フリードリヒは思想的で繊細な絵を描く。描かれる人物はたいてい後ろ姿で描かれる。そのためにか、時代的な人間存在の矛盾やきつさが感じられない。彼はたぶん、こちらを向いた人間の顔を見れば、その目の中に、見たくない現実を見るので、できるだけ見ないようにしたかったのだろう。

この絵には、不思議な力がある。見ていると何か不思議なエネルギーがこちらに流れてくるようだ。愛が感じられる。暖かにもやさしい愛である。じっと見ていたくなる。

一組の男女がよりそい、月を見ながら、何を考えているのであろう。

人間本来の美しさを否定されていた19世紀、このようにふしぎなファンタジックともいえる絵の中で、芸術家は人間の魂を生かしていた。この絵の中では、本来の心が生きることができる。

そういうことを感じる絵である。




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ベアタ・ベアトリクス

2013-12-05 04:32:36 | 虹のコレクション・本館
No,25
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、「ベアタ・ベアトリクス」、19世紀イギリス、ラファエル前派。

ラファエル前派は、目の付け所はよかったが、芸術運動としては、イギリス的趣味に流れて、絵画としてあまりよいものは生まれなかった。おもしろい作品はあるがね、絵画本来の使命を果たせるものと言えば、かろうじてこれくらいしか思い浮かばない。まあ、全部を見たわけではないのだが。

この絵のモデルのエリザベス・シダルは、不幸の匂いのする美女だった。よくいるね。美しいが、どこかさみしい影がある。男はこういう美女に興味を持つが、妻にしたいとは思わない。自分も不幸になるような気がするからだ。

そのとおり、シダルはやがて、ロセッティの心を、ジェインという女に奪われる。ロセッティは自分に尽くしてくれたシダルに答えるために彼女を妻にするが、ジェインに惹かれる自分の心を抑えることはできず、結局妻を、自殺かと思われる変死においやるのである。

この絵は、そういう妻に対するロセッティの呵責が描かせたものだ。

ジェイン・モリスは、ポーカーフェイスを決め込んで、かなり痛いことを平気でやれる女だった。男をとりこにし、他の女を破滅させることなど、何とも思わない。シダルのような女は、こういう女に苦しめられるのである。

ロセッティは、勉強不足から、不器用さをつかれる画家だが、ラファエル前派においては、もっともおもしろい画家である。この、ふたりの女に引き裂かれた男の描いた絵が、男の馬鹿さ加減を、絶妙に表現している。




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種をまく人

2013-12-04 05:42:39 | 虹のコレクション・本館
No,24
ジャン・フランソワ・ミレー、「種をまく人」、19世紀フランス、写実主義。

これは芸術作品というよりは、何らかの見えない存在がミレーに描かせた、メッセージである。
絵には、ときにこういう珠玉がある。

ゴッホはそれに気づいて、これを喜んで模写した。

何らかの大きな愛が、人間存在を導くために、画家ミレーを用いて、自分の愛を表現したのだ。

ミレーは、技術的にも、人間的にも、その仕事をすることができる、すばらしい画家だったのである。

人間は、これを絵としてだけでなく、魂の奥に深くとりこみなさい。何かの刺激を受けるはずだ。このイメージは、強烈だ。ゴッホの、この絵を模写した絵は、まるで光が爆発したかのように描いてある。彼が、この絵を見て、衝撃を受けたからだ。

芸術作品の中には、時に、このようなふしぎなものがある。探してみなさい。絵の中に、深い愛がある。探してみるのだ。




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自画像

2013-12-02 04:50:24 | 虹のコレクション・本館
No,22
フィンセント・ファン・ゴッホ、「自画像」、19世紀オランダ、後期印象派。

これは男性を描いた肖像画の中では、最も美しいものである。
瞳が激しく澄んでいる。

だが、この男は、狂っている。
魂の世界と決別した現実世界の中で、魂の世界そのものの法則によって、生きようとしたからだ。

このような男は、狂うか、死ぬしかない。

ジーザスのように、現実世界では、美しい真実の男は、こういうことにしかなりえなかったというのが、現実なのである。

そう、美しい男とは、死んだ男のことなのだ。
生きている男は、すべて、醜いのだ。




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オフェリア

2013-12-01 05:07:11 | 虹のコレクション・本館
No,21
オディロン・ルドン、「オフェリア」、20世紀フランス、象徴主義。

象徴主義の絵は淋しい。苦しい。人間が、人間の魂の故郷を失い、心の世界をさまよっているという感じがする。

オフェリアは、男世界の現実に殺された女である。花と水で美しく描かれるが、その向こうにあるのは、腐乱水死体だ。もっとも恐ろしい死である。

その恐ろしくも、激しく惨い死に方を、あまりにも美しく描くのは、現実世界から魂が遊離し始めていることを教えている。

現実世界が、魂の世界と決別したのである。その中で、芸術家の魂は、激しく痛みながら、そこに夢幻の劇薬を塗って麻痺させつつ、表現していたのである。

19世紀から、20世紀に向かって、人間は文明を進歩させながら、魂の世界では、奈落に落ち続けていたのである。




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受胎告知の大天使ガブリエル

2013-11-28 04:54:37 | 虹のコレクション・本館
No,18
フラ・アンジェリコ、「受胎告知の大天使ガブリエル」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

これはわたしよりも、かのじょの好みの画家である。いかにもやさしい絵だ。見る者のために、一生懸命によいことをしてやろうという良い心が見える。天使のような画家と言われる通り、それはやさしい人間だったようだ。

絵本のような色彩と、あかるい金色の光で、甘くもやさしい天国を垣間見るような、美しい絵画表現をしている。見ていると気持ちがやさしくなる。

美しい天使の横顔だ。純真な愛が見える。




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すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ

2013-11-27 05:42:04 | 虹のコレクション・本館
No,17
エドゥアール・マネ、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」、19世紀フランス、印象派。

前にも取り上げたことのある絵だが、捨てがたいので取り上げた。
マネは、人間を、冷やかに見ているところがある。数々の肖像画など見ていると、顔の形や髪の流れなど、人間を形や色の塊としてとらえて、絵に無理矢理たたきつけているというところがある。たぶん画家の心に、当時の人間に対する、何らかの冷めた心があったのだろう。

マネが、モデルの人間性に迫って描いているのは、このモリゾがモデルになった絵だけである。つまり、画家は、周りにいる人間の中で、かのじょだけは別格だと思っていたらしい。

印象派は、モデルの人間性よりも、モデルを見て自分の感覚がとらえたものを主にして描く。それが、けっこう見る者にきつい印象を与える。美しい絵にも、どこか、淋しさを感じる。

19世紀は、人間が、人間を、だんだんと信じられなくなった時代だったのだ。才能あり、感性のすぐれたマネは、敏感に、周りの人間の偽善性に気づき、それを荒い筆致で形を的確にとらえることによって、格闘技の荒業のように、無理やり絵にとりこんでいる。絵の中の人物の目は、みなどこかうつろだ。

その中で、このモリゾだけは、人間の目をしている。




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