MT MANIAX

苦難の時にこそ、われわれは隣人に対して寛大であらねばならない。そうしていれば世界はわれわれにとって寛大なものになるはず。

高校時代の友人から年賀状と、「古畑VSイチロー」

2006年01月06日 | 日記
 会社から帰ると、家のポストに、実家から郵送されてきた封筒が入っていました。封筒の中身は私宛の年賀状でした。その年賀状は、何と、高校時代の友人からでした。非常にびっくりしました。高校卒業依頼、10年以上の間、まったく音信不通であったからです。「久々に会いませんか」という一言に添えられており嬉しく思いました。
 私は高校卒業後、1年間浪人生活を送った後、実家のある兵家県から四国へ移り、香川県の大学に入学しました。それ以来、今日まで四国での生活が続いております。香川県・愛媛県での生活は、合計で約11年間になります。人生の3分の1以上を四国で過ごしておりますので、私にとっては決して短い時間ではございません。
 1年間の浪人生活と、四国での生活が長いため、高校時代以前の友人とは、ほぼ交流が途絶えておりました。そのような私にとって、「久々に会いませんか」という一言は嬉しいものです。ただし、10年以上会っていない友人と再会して楽しい時間を過ごすことができるのか・・・という疑問・不安が頭に浮かびます。人間関係に臆病なのですなあ。自分のことがイヤになります。
 夜中に、1月4日にビデオに録画しておりたテレビドラマ『古畑任三郎ファイナル』の第2夜「フェアな殺人者」を観ました。うぅぅ、物語が破綻している・・・。いくつか突っ込みどころはありますが、一番気になったのは、イチローが二つのカプセルを使って殺人するシーンです。イチローは、自分が毒薬入りカプセルを口に含むことになっていたらどうしたのでしょうか・・・。「自分は大丈夫」という、何かの自身があったのでしょうか。第1夜そして第3夜で行なわれた殺人が非常に計画的であったのに、第2夜のイチローによる殺人がめちゃくちゃ雑のように感じました。これが「フェアな殺人」なのでしょうか。イチローサイドから脚本に対する圧力があったのかなあ・・・。

<今日の一言>
おんしん-ふつう【音信不通】
便り・訪れが全くないこと。また、連絡のないこと。いんしんふつう。
(三省堂提供「大辞林 第二版」)