MT MANIAX

苦難の時にこそ、われわれは隣人に対して寛大であらねばならない。そうしていれば世界はわれわれにとって寛大なものになるはず。

2009年最後の写真

2009年12月31日 | 日記


 12月31日の仕事を終え、会社を出たときに、会社前の道路を撮影しました。上の方に見える白い光が月で、周囲の黄色い光が街頭です。初めて中国に来た時はこの色の街頭が珍しかったのですが、今ではすっかり慣れました。撮影には仕事で使っているマイデジカメを使いました。食品の品質管理という仕事柄、このマイデジカメは異物、破袋、色の比較など、おもしろくない写真ばかり撮影しています。今年最後の仕事は、せめて風景写真を、と思い、道路の写真を撮りました。




 最後の写真は年越しそば。去年と違い、今年のそばつゆは、出汁の素、醤油、みりん、砂糖を使って、自分好みの味に仕上げることができ、満足しました。カマボコが手に入らず、天ぷらを作る元気もなかったので、ネギを刻んで乗っけただけ(しかも白ネギ)。一杯のかけそばです。
 大晦日の日には、そばを食べたくなります。同僚も会社からの帰りの際に「そばを食いたい~」と言っていました。なぜかと考えたのですが、結論としては「そばがうまい」ということと「そばの地味な雰囲気が日本人の大晦日の心境とマッチしている」という2点にたどり着きました。ずるずる。

明年見!!

2009年12月31日 | 日記
 2009年が終わります。今、ダウンタウンのガキの使いの特番を見ながら、この記事を書いています。
 今日も仕事。日本的には仕事納めなのですが、中国の年末ではないため、仕事納め的な感じではありません。明日からは普通の3連休です。しかし私個人の気分は大晦日ですので、色々と片づけを行なったり、実験室の整理やレイアウト変更などを行ない、年明けから気分を新しくして仕事ができるよう、少しのんびり気味で仕事をしました。
 2009年も残すところ、あとわずか。今から年越しそばを作ろうと思います。明年見!!

銀行のカードをなくした

2009年12月30日 | 日記
 昨日のブログの記事で偉そうなことを色々と書いたのですが、お恥ずかしいことが……。
 昨日の夜、財布を見ると、銀行のカードがないことに気が付きました。かばんや部屋の中を探したのですが見つかりません。心配な点は2点です。私がなくしたカードを誰かが拾っていないか、ということと、私の銀行口座からお金が引き出されていないのか、ということです。
 今日になり、朝一で中国銀行へ連絡。カードを止めてもらいました。
 次に銀行へ行き、カードの再発行の手続きをすることに。窓口で確認したところ、カードの発行には身分証明書(私の場合はパスポーロ)が必要とのこと。しかし、ちょうどタイミング悪く、昨日、パスポートをVISAの更新のために提出しており、手元にありません。パスポートのコピーはあるのですが、これでは不可とのことです。結局、カードを再発行してもらうことはできませんでした。パスポートが戻ってくるまで、待たなくてはなりません。
 幸いなことに、私がなくしたカードは銀行で預かっているとのことでした。ATMに私が置き忘れていたようです。危ない危ない。この預かってもらっているカードを返してもらうのにもパスポートが必要とのことでした。まあ、知らない人に拾われるよりもマシです。
 また、銀行の口座からは、一銭も金が引き出されていないことも分かりました。ボーナスが口座に振り込まれたばかりでしたので心配していたのですが、ホッとしました。
 しかし、今月は下旬になって、悪いことばかり置きます。原料メーカー関係のトラブル。耳が痛くなる。そして今回の銀行カード紛失。後味の悪い年越しになりそうです。

福音館は謝罪・回収する必要があったのか?

2009年12月29日 | 日記
 福音館書店から発刊された月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』が販売中止になるという記事を読みまして、興味を持ち、調べました。
 興味を引いたきっかけは福音館書店という出版社名です。エルマーとりゅう、だるまちゃんとてんぐちゃん、ぐりとぐら等々、子供のころに福音館書店の絵本はたくさん読んだ記憶があります。福音館書店の社名という出版社名に反応したのだと思います。
 販売中止になった経緯をざくっと説明すると、『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』にパイプを吸ったおじいちゃんが登場し、これが嫌煙団体の癇に障り、標的にされたためです。読売新聞の記事を読んでみますと……

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愛煙家おじいさん登場、児童誌が販売中止に

 福音館書店(塚田和敏社長)は28日、月刊「たくさんのふしぎ」の2010年2月号として発売した「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(文・絵、太田大輔)を販売中止にすると、ホームページで発表した。
 対象年齢は小学校3年生からで、発明家のおじいちゃんが2人の孫に江戸時代の暮らしを説明する内容。おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている。
 喫煙に反対する団体などから「たばこを礼賛している」「たばこ規制枠組み条約に違反する」といった指摘があり、同社は販売中止を決定した。
 ホームページでは、塚田社長名で「(たばこは)小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したりする編集意図はまったくありません」と説明。「しかしながら、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした」と謝罪した。
(2009年12月29日05時08分 読売新聞)
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 なんだか怪しい感じの新聞記事です。「おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている。」というところがおかしいです。なぜ「何度も描かれている」というように書かれているのでしょうか。「何度も」と書かずに、例えば「9回描かれている」というように具体的な回数を書けばいいのに。なぜわざと、ぼかして書くのでしょうか。
 福音館書店のホームページには謝罪文が掲載されてました。平謝りのような感じの文章です。
 しかし福音館書店は本当にこのうような対応をする必要があったのか疑問に思います。まっさきに頭に浮かんだのは「ちびくろサンボ」です。「ちびくろサンボ」一斉絶版時に感じた臭いを、今回の件からも感じられました。
 もう少し調べたいと思い、各紙の記事を読んだのですが、肝心の「喫煙に反対する団体」の名称が描かれていませんでした。自力でネットで調べてみますと、NPO法人の「「子どもに無煙環境を」推進協議会」という団体がヒットしました。このページの中に福音館書店宛ての抗議文章が掲載されていました。

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福音館書店 御中

『たくさんのふしぎ』2010年2月号への抗議(子どもの受動喫煙について)

『たくさんのふしぎ』2010年2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」を拝読し、とても驚いています。
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/efab983a0f4c6a6200cd6d3f24db4860

子ども達にパイプタバコの受動喫煙を平然と浴びせかけているシーンが数ページもあり、許せないと思います。
ましてパイプタバコの煙は紙巻きタバコより刺激性が強いですし、作者なり出版社の無知では済まないです。

そもそも子ども達の大半はタバコの煙を嫌がります。子ども達が嫌がっているどころか受け入れている場面には驚きを越え怒りを覚えます。

JTのたばこ塩博物館も協力していますが、この結びつきにも唖然とします。

絵本など児童書出版大手で良書発刊に評価の高い福音館書店ともあろう所が…


私たちは子どもを受動喫煙から守るための諸活動を20数年にわたり行っていますが、児童書でこんなにも平然と子どもに受動喫煙を浴びせかける場面はこれまでに無かったように思います。無知で済まない「子どもに受動喫煙を浴びせかける悪質な意図」も感じざるを得ません。

1.この本の早急な回収を求めます(販売・配本済みのものも全て)。
2.子ども達へ謝罪を求めます。この謝罪を社会に公表してください。
3.JTのたばこと塩の博物館とのつながりの経緯と連帯責任の釈明を求めます。
4.今回の発刊に至った経緯の公表と編集者及び御社の責任者の処分を求めます。

NPO法人 子どもに無煙環境を推進協議会  2009.12.26
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 なんだかこんな文書を読むと、げそっとします。ところどころ、変で、タドタドシイ日本語が混ざっています。一番イヤなのは、4つの要求のうちの2番目の要求です。「2.子ども達へ謝罪を求めます。」という箇所です。日本人でいることが嫌になるような文章です。こういう団体が一番うっとおしいです。
 しかし、この4つの要求は絵本会社にとっては致命的です。そんな要求を出版社に求めるには、書かれている抗議文書の内容だけでは、根拠があまりにも希薄だと思います。「「子どもに無煙環境を」推進協議会」が根拠としているのは、次の2点です。

(1) 子供向け絵本でタバコが登場した。
(2) JTが運営するたばこと塩の博物館が協力している。

 (2)についてはグレーとしか考えられないと思います。(2)を根拠としたいのであれば、調査して調査結果を公表した上でないと説得力がありません。仮に、JTが絵本会社に金を渡し、サブリミナル的にタバコを登場させる絵本の発行が行なわれたとしましょう。そうであれば、巻末に「たばこと塩の博物館」という名前は出さないと思います。黒い繋がりが何もないから、巻末に協力として名前が出てきた、と考える方が無理がないと思います。
 (1)については、もう根拠としては全く話にならないと思います。名探偵シャーロックホームズはどうやねん。ムーミンパパはどうなるねん。ルパン三世の次元はどうやねん。子供向けのメディアでタバコを吸うキャラクターは無数に存在します。これら全てに対して、回収と謝罪を求められるものなのでしょうか。
 1日遅れの27日付けで日本禁煙学会からも同様の文書が作成され、文部科学大臣、全国学校図書館協議会会長、全国学校図書館協議会理事長、日本図書館協会理事長、全国公共図書館協議会会長に送られたようです。ひどい話です。福音館書店にどれくらいの圧力がかかったのか、想像してしまいます。
 最終的に福音館書店は謝罪、回収の対応を行なうこととなりました。何だか釈然としない気分です。

病院で点滴を初体験

2009年12月28日 | 日記
 夜中の放送された『IPPONグランプリ』を見終えたのち、ベッドに入ると、左耳が少し痛くなってきました。中が少し腫れている感じです。そのまま眠り、朝の5時半ごろに目が覚めたのですが、まだ痛いです。これは長引くかもしれない、と思ったので会社をお休みして病院へ行くことにしました。
 行ったのはローカルの総合病院ですが、通訳してくれる方が駐在している病院です。平日であったため混雑しておらず、スムーズに診断できました。耳の中が炎症しているそうです。
 炎症を抑えるために抗生物質の投与が必要なのですが、お医者さんに「点滴にするか、飲み薬にするか」と聞かれました。中国の医療は点滴による治療が多いと聞いています。注射は嫌いなのですが、好奇心が勝ったので、点滴を受けてみることにしました。
 お医者さんの診療が終わると個室に案内されました。看護婦さんに聞いてみると、点滴には3時間ほどかかるそうです。なるほど。日本での生活も含め点滴の経験がなかったので、点滴にかかる時間まで考えていませんでした。
 左手の甲に針を刺されてベッドに横になり、うつらうつらしながら3時間ほど過ごし案した。文庫本を持ってきていたのですが、せっかくなのでゆっくり過ごそう(?)と思い、何もせずに横になっていました。点滴のボトルの交換が3回ほどあったため、寝過ごさないようにボトルの中の点滴液の残量も注意しながら、なくなりかけたらナースコールを押して。点滴経験もなく、入院経験もないため、非常に奇妙に感じた経験でした。
 偏見なのですが中国での点滴は心配だったのですが、針の刺し方や、点滴中の針とチューブの固定方法も慣れており、問題ありませんでした。
 今、このブログを書いているのは夜なのですが、左耳の痛みは引いています。点滴すげえなあ、と思いました。

大喜利IPPONグランプリ

2009年12月27日 | 日記
 いよいよ放送されました。大喜利芸人日本一決定戦『IPPONグランプリ』です。いや~、面白かったです。
 大喜利といえば日テレの『笑点』が有名ですが、今回の『IPPONグランプリ』の舞台装置はかなりキラキラしていて大げさな装置でした。もうちょっと規模が小さな装置の方が、個人的には良かったです。しかし、M-1を発端として始まった○○グランプリ的なお笑い特番は大げさになっていますので、『IPPONグランプリ』も同様の傾向になるのは仕方がないのかもしれません。
 内容はものすごく面白かったです。一人ごっつ的なテイストが満載でした。視聴者の一部は「俺やったら、どんな回答を出すやろうか」と思いながら見ていたと思います。私も考えました。出演されていた芸人さんはすごいです。あのプレッシャーの中で試行錯誤しながら、しかも切り口を変えながら様々な答えを出せるとは、すごいです。
 1年に1回だけではなく何回か放送されるそうです。面白いフォーマットのテレビ番組が出てきて嬉しい限りです。

一等兵!~すべらない話

2009年12月26日 | 日記
 すべらない話が放送されました。ネット回線の悪さのため映像は観れませんでしたが、音声だけはリアルタイムで聴くことができました。面白かったです。兵動大樹の阪神の帽子話と、一等兵の話は最高に面白かったです。映像が見れないので年賀カードを書きながら聞いていたのですが、大笑いしながら年賀カードを書くことになりました。一等兵の話は、すごく不思議な構成の話ですね。あんな変な出来事を、きちんとオチまで一人しゃべりで持っていけるとは……。兵動大樹は力のある芸人さんですね。

クリスマスの夜、皆さまにリンゴを!!

2009年12月25日 | 日記
 今年になって知ったのですが、中国ではクリスマスイヴにリンゴを友人や家族にプレゼントする風習があるそうです。
 クリスマスイブのことを中国では「平安夜(ピンアンイェ)」と言い、リンゴのことを「苹果(ピングォ)」と言います。この2つの言葉の「ピン」という発音が同じであるため、リンゴを贈る風習が広がったそうです。互いの平安を祈るという意味ですね。
 日本人の私から見れば奇妙な習慣に感じますが、人々がリンゴを贈り合う姿を想像すると不思議と暖かい気持ちになってきます。日本のクリスマスとは違った意味があり、非常に興味深いです。

 今日、アップされたサーチナの記事に、日本の給食のことについて書かれた中国人のブログが紹介されていました。ブログの管理人の王波さんは日本の学校給食に興味を持ったそうです。
 ≪王波さんは、日本の学校内にある給食室をはじめ、専属の栄養士や調理師らの存在にも触れ、日本の学校給食が、子どもたちの食生活に必要な熱量、栄養バランスなどを計算する栄養士や、周期的に大便検査などの身体検査で健康管理されている調理師らによって支えられていると解説した。王波さんは、中国でも健康的で衛生的な学校給食を提供する日本を見習い、食の改善が急がれるべきだと語った。≫
 また、中国での給食についての現状についても書かれています。
 ≪中国では給食を「学生栄養餐」と呼び、北京などの都市を中心に、約10年前から普及活動が行っている。中国での給食の普及推進の目的には、栄養不足の解消が挙げられる一方、都市部では年々増加する「肥満児童」への対策もあるなど、カバーすべき問題の範囲が広いとされる。中国人ブロガーの王波さんはこのほど、日本の学校における給食について取り上げ、「中国も日本のようになればいいのに」などと語っている。≫

 12月21日に冷凍みかんについてブログの記事を書いた際、あわせて日本の学校給食について少し調べたのですが、日本の学校給食は外国のものとは異なり、教育的側面が強いそうです。生徒が当番で担当する配膳係の存在、地域の食事(食育)、食べ終わった食器の片付け、余った給食をどのようにして分けるのか等々。
 しかし、学校給食の発端は「貧困児童にも必須カロリーを補給させる」ことでした。この理念は非常に崇高なものであり、人間ならではの発想だと思います。
 親から、親が子供の頃の時代の給食の話を聞いたことがあります。とにかくおいしくなかった、とのことです。特に脱脂粉乳は嫌いであった、と言っていました。戦後から、まだそれほど時間が経っていなかった日本は、子供たちに何とかカロリーを取らせようと必死であったのだと思います。
 日本の経済成長に伴い、給食も大きく変化していきます。脱脂粉乳は牛乳に代わり、主食はパンだけではなく米飯も取り入れられ、近年ではエスニックな料理など、多彩なメニューが提供されています。私が小学生であった頃の給食は、親の世代と比べ、すでに大きく変化していました。飲み物は牛乳、週に2回は米飯が提供、スパゲティ(懐かしのナポリタン!)、クジラの竜田揚げ、きな粉パン、カレー、けんちん汁、冷凍みかんも出てきました。
 宗教上、食べられない食材のある児童や、アレルギー症状を持った児童への配慮の必要性など、完全な解決が難しい問題があります。給食廃止論(=愛情弁当論)も根強く残っています。
 しかし、全体的に考えてみますと、「貧困児童にも必須カロリーを補給させる」という理念から始まり、「教育」「バランス」「多彩なメニュー」「地域伝統食や地元農作物の料理」など、様々な要素が加わった日本の学校給食は、他の外国と比べ異彩を放っており、誇るべき制度であると私には思えます。
 様々な変遷をたどりながらも残ってきた学校給食。その理念の根本は、日本社会全体で子供を育てる、ということに尽きると思います。

 今日のブログの記事は、いつも読ませて頂いているブログ『内田樹の研究室』の12月25日の記事にインスピレーションを得て書き始めました。この『内田樹の研究室』では、内田氏が、自身の子供時代である昭和30年代を回顧し、次のように述べられていました。
 ≪そのころの大人たちは家族の単位を超えて、一種の集団を形成して、共同で子どもたちを訓育し、市民的常識を教え込むということをしていたような気がする。≫
 ≪その「大人たちによる共同的な教化活動」が昭和30年代のどこかで終わった。それから後は、「それぞれの家ごとに子どもの育て方は違っていてよい(だから、よその家の子どもを訓育したり叱正したりするのは控えるように)」ということになった。別に子どもたちがそうしてくれと頼んだわけではないし、親たちの誰かが率先して始めたことでもない。日本中の親たちがほぼ同時に、何となくそうなったのである。≫
 徐々に無くなりつつある「大人たちによる共同的な教化活動」。今回、上で書いているような学校給食がこの教化活動に該当するのかどうか、冷静に考えると微妙な気もするのですが、社会全体で子供を育てなければならない、という考えは、学校給食の根底に流れていると思えるのです。
 中国人がうらやむ日本の学校給食。私は給食について嫌な記憶が残っていません。当時の私は、おいしく、楽しく給食を頂いたのだと思います。長々と書きましたが、そんな学校給食に今さらながら感謝しました。

 今日は会社の忘年会が開かれました。安い中華料理屋を貸し切り状態にして、社員全員が集まって宴会が開かれました。下の写真は今日の忘年会のビンゴゲームで当たった景品です。



 パソコンのUSBにつないで使う扇風機です。何という名前のキャラクターなんでしょうか。ハム太郎とドラえもんを足して2で割ったようなデザインです。日本では、なかなか手に入らない一品です(笑)。
 忘年会では楽しい写真を撮らせて頂きました。今、自宅のパソコンでその写真を眺めながら、このブログの記事を書いています。会の途中、デジカメを他の人に貸したのですが、私が知らない間に、たくさんの色々な写真が撮られていました。ビール瓶を持っている人、顔を真っ赤にして大笑いしている人、酔っぱらって抱き合っている人などなど。不意打ちで色々な写真が出てきたので、思わず顔がほころんでしまいます。今の中国での仕事は楽ではありませんが、こんな写真を見ると自然と感謝の念が湧いてきます。

 学校給食と、同僚の皆と、ハム太郎風の扇風機に(笑)感謝。そんな多謝多謝な気分のクリスマスでした。
 実は忘年会で酒を飲まされたため、(いつものように)気分が悪い状態で記事を書いていました。そろそろ布団に入りたいと思います。みなさん、どうぞリンゴをお召し上がりください! 

ゴジラ

2009年12月24日 | 映画館以外で観た映画
 先週から続いているバタバタは、まだ続いています。帰宅してから、この記事を書いています。パソコンのディスプレイの横には、DVDで『ゴジラ』を再生しています。
 『ゴジラ』は50年以上前の怪獣映画です。日本の怪獣映画は、『ゴジラ』の登場で既に完成されていたのだと思います。『ゴジラ』以降の怪獣映画をすべて観たわけではないのですが、『ゴジラ』ほど、よく出来た作品はありません。
 『ゴジラ』には怪獣映画のエッセンスがすべて詰まっています。怪獣の脅威。なすすべもなく逃げ惑う人々。少しゆがんだ科学者の心理。科学技術の光と影。怪獣とオキシジェン・デストロイヤーという架空の存在を扱いながらも、基本部分にはリアリティが感じられます。
 特撮や役者の演技は古臭く感じられますが、その古臭さも含めて、『ゴジラ』は愛すべき怪獣映画であり、「本作を超えるゴジラは無い」という言葉も頷けます。

桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」

2009年12月23日 | 日記
 桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」を同僚が入手しまして、昼休みの昼食時に少し分けてもらいました。日本で品薄状態が続いている理由が何となく分かりました。
 これは新しい飯の友だなあ、と思いました。商品設計のコンセプトとしては、中国の家庭によくある大豆や肉の豆鼓醤漬けだと思います。
 豆鼓醤漬け(この名前は正しくないと思うのですが、一般名称が分からないので……)とは、豆鼓、ラー油的な油、山椒などに豆や肉などが混ざったものです。辛くて真っ赤で、中国で飯の友や薬味として好まれている調味料(調味醤?)です。
 桃屋は、この調味醤を日本的にアレンジして「辛そうで辛くない少し辛いラー油」を開発したのだと思います。辛さは日本向けに抑えられ、メインの具材はフライドガーリックになっています。
 食べてみたところ、なかなかうまいと思いました。ありそうで無かった商品です。次回、日本へ帰国した際には買い、中国へ少し持って帰りたいと思います。 

「身から出たさび」の使い方

2009年12月22日 | 日記
 今日、ネットにアップされた産経新聞記事で奇怪な記事が目に入りました。サッカー関係の記事です。普段はスポーツの記事を読むことはないのですが、「異例の会見中止」という表題に惹かれ、読んでみました。

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【サッカー日本代表】異例の会見中止
2009.12.22 19:54

 日本代表のスケジュールは当初、岡田監督出席のもと会見で発表される予定だったが、会見そのものは同日午前に急きょ中止された。協会によると、2月2日の対戦相手と当日まで交渉していたが、正式契約に至らなかったことが原因という。原博実強化担当技術委員長は「年内には決まると思う」としながらも、異例の会見中止を陳謝した。
 アジア杯最終予選2試合の日程変更失敗で他の強化日程に大幅な見直しを迫られ、後手に回っている感は否めない。「アジア代表にW杯で活躍してほしいなら、W杯イヤーの国際試合日に試合を入れるのは…」と、アジアサッカー連盟(AFC)に岡田監督もつい“恨み節”。ただ、2007アジア杯で4位に終わり、シード権を逃したのは「身から出たさび」でもある。(森本利優)
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 「奇怪だなあ」と思ったのは、記事の最後の「「身から出たさび」でもある」という文言です。「身から出たさび」のことわざの使い方って、これで正しいのでしょうか。
 いちいち辞書で調べてもいいのですが「身から出たさび」の意味は、≪自分の犯した悪行のために自ら苦しむこと≫です(大辞林)。普段読まないスポーツ記事をどのような姿勢で読めばいいのか分からないのですが、≪2007アジア杯で4位に終わり、シード権を逃した≫ことは、悪行になるのでしょうか。
 スポーツに関しては完全な素人ですので深く首を突っ込むつもりはないのですが、4位になったことが悪行扱いされるのが可哀そうだなあ、と思いまして、違和感を感じました。悪行になるような悪いことがあったんでしょうか。

バタバタの12月下旬

2009年12月22日 | 日記
 先週から続いている原料関係のトラブルの余波のため、今週も会社でバタバタしています。バタバタというよりもジタバタしている感じです。ただでさえ忙しいのに、他にも色々な案件が舞い込んできて「どうにかしてくれ」と思ってしまいます。今日は昼過ぎに急に役人が事前連絡なしで役人がやってきて、工場の査察が行なわれました。ビジネスをする上で、お役所との関係が何よりも大事な国です。ムゲにできないことがツライところです。

冷凍みかん

2009年12月21日 | 日記
 会社での昼食は弁当屋さんに頼んだ弁当を食べています。1食8元です(約100円)。内訳は、ご飯とおかずと果物です。おかずは当然、中華料理です。冷めた中華料理は、正直なところおいしくないです。贅沢なことは言いたくないのですが、毎日、冷めた中華が続くと、ちょっとなあ、と思います。
 今日の昼食の果物は、みかんでした。温州みかんタイプです。今日も蘇州は非常に寒かったため、みかんも冷え冷えでした。「つめたーっ」と言いながら食べました。
 食べながら思いだしたものは「冷凍みかん」。懐かしの学校給食のメニューです。子供の頃は「冷たくておいしい」と思っていました。今日、ふと疑問に思ったことは「なぜ冷凍するんだろうか」ということでした。みかんをわざわざ冷凍する理由が思いつきません。
 冷凍することによって、給食のおばちゃんたちの手間がはぶけるわけでもないし。みかんが硬くなり皮が破れにくくなり運送するのが楽になる、ということもないし。栄養価が急激に増すわけでもないし。甘みは少し強くなるかもしれないけど、めちゃくちゃおいしくなる分けでもないし。
 自宅に帰り、調べたところ、≪この食べ物は、元々夏場には温くなってしまうため、冬から春頃にしか販売されていなかったみかんを通年販売できる商品にしようという所から発案、大洋漁業(現・マルハ)と鉄道弘済会の共同開発で製造された。収穫したみかんをそのまま夏まで冷凍することにし、1955年(昭和30年)から小田原駅のキヨスクで販売するようになったのが初めである。≫ということが理由らしいです(Wikipediaより)。
 なるほど。通年販売することが目的だったんですね。納得しました。ということは、私が冷凍みかんを学校給食で食べたのは夏場だったんでしょうか。いつ頃の季節に食べたのか思い出せないのですが、「冷たくておいしい」と感じていたので、夏場に食べたのかもしれません。

M-1グランプリのことなど

2009年12月20日 | 日記
 昨日と今日は、比較的、天気のよい日でした。しかし、太陽は照っているのですが、外の空気は冷たいです。手荒れも始まりました。今晩からハンドクリームが必要です(手荒れは微生物の温床となるため、製品の菌検査の際の邪魔になる可能性があるため、冬にハンドクリームは必須なのです)。
 寒いので昼間は自宅でDVD鑑賞など。『兵動大樹のおしゃべり大好き』を観ました。非常に面白かったです。兵動大樹はすごいねえ。一人トークが面白いです。すべらない話向きの話芸ですね。短い話ではなく、少し長めの話が面白いです。構成も上手いし。げらげら笑いました。年末に放送されるすべらない話が楽しみです。
 今日はお笑いファンにとってのお祭りの日です。M-1グランプリの開催日であるからです。M-1グランプリは生放送で見ようとしたのですが、ネット回線が混雑しており、ブツブツ途切れる映像しか受信することができず、なんだかよく分からない状態でした。優勝者などの情報はネットから知ったのですが……。ビデオを入手してちゃんと見たいと思います。笑い飯、残念!!