MT MANIAX

苦難の時にこそ、われわれは隣人に対して寛大であらねばならない。そうしていれば世界はわれわれにとって寛大なものになるはず。

元宵節でした

2010年02月28日 | 日記
 昨日、今日は1週間ぶりの休日です。春節の連休と1週間の仕事のあとの休日でしたので、体を休めるために、ゆっくりと過ごしました。目覚まし時計をセットしないでも構わないありがたさ、昼寝ができるありがたさを噛み締めました。
 昨日は、『モヤモヤさまぁ~ず2』のDVDを観て過ごしました、中国で発売されないかずっと待っていたのですが、ようやく一昨日、店頭に並んでいるのを発見しまして、即購入。日本で発売されているVol.1からVol.6までのDVDです。さまぁ~ずの雰囲気、大江アナウンサーのキャラクター、ロケ対象の町の空気感が見事にマッチしているなあ、と思いました。テレビ番組のバラエティ番組の中にある街歩きというジャンルは、他のメディアではできない、テレビならではのバラエティです。
 今日は、散髪へ行ったり、飲み水を買ったりしました。平日は仕事で会社にいるため、飲み水を買うタイミングは休日に合わせなければなりません。今日はうまいタイミングで水が残り1Lぐらいになったので、気分良く飲み水を買いました。
 夕方から町中で花火が上がり始めました。今日(旧暦の1月15日)は元宵節(ユエンシャオジエ)でした。春節(チュンジエ)から続いた中国の過年(グオニェン)は元宵節で終りを迎えます。元宵節の位置づけは、日本の小正月のようなものです。日本では小正月という言葉は残っていますが、1月15日が成人の日と呼ばれ、さらにハッピーマンデー制度によって成人の日が1月第2月曜日となったため、訳が分からない状態になりました。私が中学、高校の頃を過ごした三田市では、どんと焼きが小正月の日に行われていました。こういうのは残して行って欲しいなあ、と思います。春節から蘇州の街では花火が毎日上がっていましたが、それも今日で終わりでしょう。昼間、街を散歩していると、歩いている人の数や車の交通量が春節前の状態に戻っていました。実家に帰省していた人たちが街に戻ってきたのでしょう。
 夜は、ガキの使いを観ました。今日はバナナマン日村の七変化です。いやあ、めちゃくちゃ面白かったです。大笑しました。特に面白かったのは、2番目のダウンタウンが人気があるのは関西弁のおかげというネタと、タップダンスのネタです。何でもかんでも関西弁に収斂させていく点がアホっぽくて、ボケやオチが分かっていても笑ってしまいました。タップダンスのネタは斬新でした。あの短い時間でタップダンスで笑いをとるとは……意表をついていていました。七変化シリーズはいいなあ。

酒の規制へ向けた動きへの心配

2010年02月27日 | 日記
 少し前から気になっている動きは、WHO(世界保健機関)による飲酒を減らすための活動についてです。世界的な流れに日本は乗っかり、喫煙については現在のような状態までなっていしまい、見事にタバコ文化が破壊されました。破壊されたものは、多分、立ち直らないと思います。そして今度は、タバコに続いて酒かよ。タバコの現状を考えますと、この酒についての活動も注意深く見守らないといけないと思います。
 新聞報道によると、WHOは≪「04年の飲酒に起因する死者数は250万人にのぼり、このうち32万人は15~29歳の若者だった」と分析。「大酒飲みや若者は価格の変化に敏感」だとして、飲み過ぎや未成年者の飲酒を減らすには酒類の値上げが「最も有効な手段の一つ」と指摘した。
 さらに、定額で無制限に飲酒できる居酒屋などの「飲み放題」や酒類のディスカウント販売の禁止・制限、アルコール飲料の販売促進を目的としたイベントの規制なども提案した。≫ということです(読売新聞の1月23日付けの記事より)。
 私は下戸です。気分良く酒に酔ったことが一度も無いので、酒の規制による実害はありません。しかし、社会全体で考えますと、酒の規制によって失われるものは甚大なものになると思っています。コミュニケーション、ストレス解消、嗜好品、祭事・風習等の重要な道具。酒が担っている役割は、それなりに大きいです。酒が及ぼす実害は充分に理解しているつもりです。急性アルコール中毒になった知人を救急車で病院に送ったこともありますし、酒に酔ったために大怪我をした知人もいます。何よりも下戸である私自身が、酒の実害を充分に実感しています。しかし、文化的なものが失われる危険性がある選択を下す場合は、それなりに慎重になるべきだと思います。
 日本の某市の市役所のホームページには、≪我が国においては、大量飲酒、アルコール関連疾患、未成年者の飲酒等の問題が深刻化しています。≫と書かれていました。この市が≪深刻化しています≫と判断した基準と比較対象は何なのでしょうか。また、市役所のホームページなんですから、≪我が国においては≫ではなく≪我が○○市においては≫という書き出しにすればいいのに、とも思います。日本全体については深刻化していると判断できるのであれば、自分たちの市については深刻化しているのか否か、かなり容易に判断できそうな気がします。安易に書かれた文章だなあ、と思いました。
 この世界的な流れ、文化を一面的にしかとらえていないと思います。ヨーロッパではすでに規制が始まりつつあるとか……。何とかならんのかなあ。それとも私の考えが保守的なのでしょうか。

ヘロヘロ

2010年02月26日 | 日記
 春節の連休が終わり、2月20日から昨日までの7日間、出勤が続きました。ヘロヘロになりました。連休明けで仕事がどっと押し寄せ、頭がパンクしそうです。書類仕事が多かったです。書類仕事は嫌いではないのですが、現在の食品業界の品質保証関連の仕事は、書類仕事に忙殺されています。たまには手を動かす仕事もやらないとダメですね。

歴史ブームから、ブームについてちょっと考えてみる

2010年02月25日 | 日記
 先日、日本に帰国した際に気になったことは、歴史ブームなんだなあ、ということです。本屋の雑誌コーナーには、坂本龍馬や戦国武将などの雑誌が、ところ狭しと並べられていました。ショッピングセンター内の小さな本屋さんなのに、こんなにスペースをとって大丈夫なんかいな、と心配になりましたが、売れているんですね。
 「歴史ブーム」という言葉を眺めると、「歴史」という言葉と「ブーム」という言葉の組み合わせがアンバランスなので、少し奇っ怪な印象を受けます。そんなアンバランスな組み合わせからは「狂」という漢字を連想してしまいます。「○○狂時代」の「狂」ですね。言葉も含めて、いかにも現代っぽく興味深く思いました。
 これは「狂」な現象だ! と実感したのは、何気なくAmazonを見ていたときに『もういちど読む山川日本史』という本を発見したときでした。山川出版社の日本史教科書『日本の歴史 改訂版』を、一般読者向けに書き改めたもののようです。
 少し前に、一般読者向けに教科書的な書籍が販売される静かなブームがありました。あのブームは、新しい歴史教科書をつくる会の『新しい歴史教科書』が発端となり、そこから派生したブームであったように感じていました。
 個人的には、ちょうど7年前の2月に検定外中学校理科教科書をつくる会の『新しい科学の教科書』の3分冊を購入しました。中学レベルの理科の教科書を欲しいと思っていたときにこの本が出版されたため、迷わず購入しました。食品の商品異常に関するクレームの際、お客様へ提出するクレーム調査報告書には、現象を説明するために理科的な文章が説明を書くことがほとんどです。上司や所属部署での指導があった訳ではないのですが、調査報告書を作成するのに、中学レベルの理科知識で理解でいるような文章を書くよう心がけていました。
 ・文章に使う言葉の基準は共同通信社の新聞用語用集(「為」ではなく「ため」)
 ・漢字は常用漢字が基本(「貼る」は表外文字ですので「張る」を使う)。
 ・色の表現は『日本の269色―JIS規格「物体色の色名」』を参考に。
 ・義務教育レベルの理科知識で理解できるように、現象を説明。
 お客様や営業員向けには、このようなことを守りながら文章を書いていました。ですから、中学生レベルの内容が書かれた『新しい科学の教科書』は、ありがたい存在でした。
 少し話が脱線しました。7年前の教科書本ブームと、今回の『もういちど読む山川日本史』は、出版された背景が違うと思います。今回の山川のものは、明らかに現在の歴史ブームがバックグラウンドにあります。歴史ブームに乗っかっている最先端の人に、日本史の通史をコンパクトに把握したいというニーズがあるのでしょうか。
 「歴史ブーム」「歴女」「武将カフェ」等々。ブームに乗らなかった私にとっては、なかなか理解できないので「狂」という漢字で何とか理解しようとしているのだと思います。忍者ブームが到来すると「忍者カフェ」ができると思います。絶対に。
 1970年代の超能力ブームやパンダブームのときの日本は、どんな感じだったのでしょうか。第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームと続き、第三次ベビーブームに繋がらなかったのは、非常に興味深いです。社会科学的にも自然科学的にも面白い題材です。

中国の肩を持つ訳ではないがGoogle絡みのアメリカの攻め方は気に入らない

2010年02月24日 | 日記
 中国政府の関与が疑われている昨年のGoogleへのサイバー攻撃に関係して、中国とアメリカの駆け引きが続いています。このブログにはしばらく書きませんでしたが、関係ニュースは毎日、目を通すようにしています。ネットを有効かつ便利に利用するため、私にとってはGoogleの存在は小さくありません。中国に住んでいる私にとって、最悪な結果は、によって全てのGoogleサービスが遮断されてしまうことや、Googleが中国から完全撤退し、中国からサービスが利用できなくなることです。GoogleスプレッドシートやYouTubeだけでなく、Gmail、Googleリーダー、Google検索まで使えなくなると、痛いです。「Googleに依存しすぎではないか」という心の声が聞こえてくるのですが、便利で安価(無料)なので仕方がないです。

 そんな中国とアメリカの駆け引きについてです。この駆け引きが、かつてのイラクとアメリカの駆け引きを彷彿させることが、最近気になっています。
 記憶に新しいですが、アメリカは「イラクが大量破壊兵器を保有している可能性がある」という大義の元、国連による無条件査察の受け入れをイラクに要求し、ついには戦争をしかけました。当時、小泉政権下の日本で、「国益」の名の元、アメリカに同調せよ、という論調の記事、雑誌が氾濫しました。私の身近な人にもアメリカの動きに追随すべきという考えの方が何人もいまして、私にはとうてい理解できない感覚だと思っていました。そして、これが情報が生み出した世論なのか、とも思いました。結果的に大量破壊癖は発見されませんでした。日本政府も日本国民もアメリカのミスリードに乗ってしまい、大きな汚点を残すことになりました。
 実は、アメリカがイラクを攻めた方法と今回の中国との件が、構造的に似ているような気になってきました。そして、この2~3日の動きを読み我慢できなくなり、今日のブログを書いています。

 一つは「ゼロの証明の難しさ」についてです。
 イラクは、大量破壊兵器がないことを世界に対して証明できませんでした。ゼロの証明は極めて困難です。世界が納得するまで説明や情報公開を根気強く続けなければなりません。自国にとってのメリットは無いに等しく、秘密にしておかなければならない機密事項もさらされる危険性が大いにあります。
 この10年ぐらい「情報公開」を声高らかに叫んでいる日本では感覚が薄いような気がしますが、国や組織にとっては秘密にしなければならないことは、あって当然だと私は思います。何でもかんでも公開してしまうバカ正直な政府や政治家がいたとすれば、私はその政府や政治家を信用できないと思いますし、支持できないと思います。危険極まりないためです。
 世界が納得するまで証明や情報公開をしなければならないということは、何でもかんでも情報を出さなければならない、ということです。そのようなことを国ができるわけがないと思います。中国にとってのゼロの証明とは、中国政府が持っている情報、ネットの管理体系などを晒し、さらに蓄積されているログなどのデータをアメリカの専門家に公開するということだと思います。中国政府がサイバー攻撃の首謀者であっても、まったく関係のない誹謗中傷であったとしても、このような情報公開要求は受け入れられないと思います。
 よって、ゼロの証明をイラクに求めたことが馬鹿げていたことと同様に、中国に対して求めることも筋違いではないか、と思います。23日の「中国(当局)が調査に最も適した立場にいることは明らかだ」という米国務省のクローリー次官補の発言(朝日新聞)は、もっともなことのようですが、無理難題を突きつけているようにも思えます。

 もう一つは、アメリカは中国を非難しているが、それではアメリカ自身は胸をはっていられる立場にあるのか、ということです。
 イラク戦争時、アメリカは大量破壊兵器の保持の可能性を根拠にイラクを攻撃しました。しかし、アメリカ自身は大量破壊兵器をどれだけ持っているのでしょうか。核兵器大国がイラクを攻撃するのは、天に向かって唾を吐くような言動であると思っていました。
 今回の中国のサイバー攻撃に関してです。アメリカ政府がどこかのサイトや組織を「攻撃」しているという話はあまり聞いたことがありません。しかし、エシュロンのような黒い噂がアメリカ自身にも影を落としています。エシュロンは「サイバー攻撃」というよりも通信の「傍受」や「諜報活動」と呼ばれる活動に分類されると思います。しかし、「サイバー攻撃」も「傍受」も「諜報活動」も、私にとってはそれほど大きな違いがあるとは思えません。
 自分の国が行なっている活動には目をつぶり、他国の活動を非難するアメリカの姿勢は、とてもじゃないけど誉められたものではないと思います(ここでの話は、エシュロンが実在しており、中国政府によるサイバー攻撃が事実である、という前提の話です)。

 以上のような理由で、今回の中国とアメリカの駆け引きを見ていますと、イラク戦争を思い出してしまうのです。中国の肩をもつわけではないのですが、よい駆け引きの方法とは思えません。金盾(グレイト・ファイアウォール)によるネットサービスの遮断の解除やネット検閲をなくすことは賛成ですが、目的達成のためのアメリカのやり方が気に入りません。
 そして、これも中国の肩をもつ訳ではないのですが、もう一つ、事情を踏まえないといけない点があります。それは、「対象物の量によって管理方法は変わる」ということです。例えば、広大な面積を有して世界の5分の1の人口を持つ中国が、日本の統治システムと同じ方法でうまく運営出来るか、と問いかけると、それは無理だと誰もが答えると思います。全校生徒3000人の学校と、全校生徒10人の田舎の過疎地の学校では、運営方法はまったく異なると思います。会社でも、10000品の商品を扱う会社と、10品しか扱わない会社では、商品の管理方法はまったく違うと思います。対象物の量の多さや少なさによって、管理方法は変わってきます。中国が日本と異なる方法で管理されるのは、ある意味で当然と言えます。その管理方法が良いか悪いかという議論は別にして「違っていて当然」という意識で見ていくことが大切だと思います。

 中国政府のやり方を非難すると、あとが怖いのですが(当然、こんな小さなブログがチェックなんかされてないと思いますが……)、嫌いな点は山ほどあります。好きか嫌いかという二元論で考えると「嫌い」です。しかし、今回の問題に関して、無自覚にアメリカに加担しないためにも角度を変えて眺めたり、気がつかないうちに色眼鏡を掛けていないか自問する姿勢は大事だと思います。

東洋の意味、西洋の意味

2010年02月23日 | 日記
 昔から気になっていることがあります。日本映画は「邦画」、欧米の映画は「洋画」と呼びます。それでは中国映画は何と呼ぶのでしょうか。「○画」のような呼び名があるのでしょうか。今日、調べてみたのですが、「○画」という呼び方が見つかりませんでした。「洋画」は広い意味で外国映画全体を指しているようなのですが、「洋画」と聞くと西洋の映画をイメージしてしまいます。
 「洋」を付く言葉を探してみると、「洋服」「洋式(洋式便所)」「洋食」などが思い浮かびました。これらの言葉からは外国文化一般ではなく西洋風の様式を指しているように思えまして、中国などのアジアっぽさを連想することはありませんでした。
 Yahoo!知恵袋にコンパクトにまとめられた文章が書かれていました。これらの「洋」は、近世の中国語で「海外・外国」を意味する「洋」から来ているようです。中国にとって西側の外国は「西洋」であり、東側の外国を「東洋」と言います。なるほど、この説明はめちゃくちゃ分かりやすいです。
 Yahoo!知恵袋には≪清末には、「洋」が「海外一般」の意味からもっぱら「西洋」を指すようになり、「東洋」は「東の海外」から、中国自身を含む「アジア」の意味になりました。≫と記されていました。つまり、英語の「Orient, the East」という概念の訳語として「東洋」を当てるのは間違いではないということになります。よく考えてみますと、「東洋医学」は中国の漢方的な世界の伝統的医学の意味を包括しています。
 また、「西洋」という言葉からヨーロッパ、アメリカを連想する理由は、中国の西側の外国という意味で「西洋」という言葉が生まれたためだったのですね。
 東洋、西洋の意味を深く考えたことがありませんでしたので、いい勉強になりました。

ネットブックを使って理解できた日本の標準的ネット環境

2010年02月22日 | 日記
 先日、実家に帰ったときの話。弟がネットブックを購入していました。すでにご存知かと思いますが、ネットブックとはホームページの閲覧やメール・チャットなどの基本的なネット上のサービスを利用することを主な用途とした、安価で小型軽量で簡便なノートパソコンのカテゴリーのことです。弟が購入したものは35000円だったそうです。
 私が実家にいる間、このネットブックを貸してもらいました。実家のネット回線は光回線でして、家の中は無線LANでいくつかのパソコンがつながっている状態です。ネットブックを使ってみたところ、非常に早く、キビキビと動いてくれました。私の自宅(蘇州)のパソコン環境よりも、はるかに速いスピードで、ストレスなく動いてくれました。光回線のような高速回線があれば、非力なネットブックでもここまで快適な環境を生み出せるのですね。
 現在の日本人の標準は、こんなにものすごい速さのネット回線なのだと実感しました。光通信の無線LANの環境が整っているからこそ、ネットブックで快適にネットを利用できすのですね。ちなみに私の蘇州の自宅はADSKでして、スピードは1Mです。スピードには歴然たる差がありました。
 日本のパソコンの本を読んで、「クラウド」と呼ばれるネット上のサービスをいくつか試してみたことがありますが、ほとんどが挫折しています。その理由が、実感としてやっと理解できました。これだけスピードが速ければ「クラウド」のサービスを利用した方が効率よくなるよなあ。面白そう。日本が少しうらやましい。

日曜日ですが仕事なのです

2010年02月21日 | 日記
 昨日に引き続き、今日も仕事です。会社のネットワークの調子は本調子ではありません。日本の本社の停電は解消しているようなのですが、メール関係が不完全です。メールが送信できないのです。受信はできるのに。どうしてこんな状態になっているのか分からないのですが、不思議な状態です。日曜日というこtもあり日本の本社は休みです。どうしようもないです。
 会社が終わり、帰宅して、自宅のパソコンの設定を続けています。新しくインストールしたWindows 7は快調です。今日はプリンター関係のドライバーなどをインストールしました。
 今、『高須光聖の御影流』というラジオ番組の録音したものを聞いています。日本へ帰国した際、ニコニコ動画からダウンロードしてきたMP3データです。題名の通り、放送作家の高須光聖さんがメインでしゃべられていた番組です。今日はバスの中で聞いていたのですが、ちょうどよい娯楽になっています。ラジオは面白いです。

スタートダッシュできなかった連休明け

2010年02月20日 | 日記
 春節の連休が終わり、今日から仕事再開です。連休明けなのに出鼻をくじかれたような感じでした。何と、日本の本社が停電らしいのです。蘇州の会社からは、一旦回線で日本に入り、そこから日本の本社のネットワークやインターネットへ接続しています。そのため、ネットワーク関係がまったくダメでした。メールも確認できないし、調べ物もできないし。仕事はあるはずなのですが何もできない状態でして、スタートダッシュとは程遠い状態です。

蘇州へ~帰国5日目

2010年02月19日 | 日記
 帰国5日目にして移動日です。あっという間の連休も終わり、明日から仕事です。
 朝、吉野家で食事をしたのち、JRで三田から尼崎へ移動。その後、バスで関空へ。チェックインして昼食やスターバックスで時間をつぶし、飛行機で上海へ。そして車で蘇州へ戻ってきました。あっという間に中国へ引き戻された感じです。

 自宅へ戻ってから、日本で購入したWindows 7のインストールを行ない、パソコンをセットアップしました。無事にインストールすることができ、Vistaとはおさらばです。最新のパソコンでなくても、Windows 7はテキパキと動いてくれます。便利な機能もあるようなので早く使いこなしたいです。

帰国4日目

2010年02月18日 | 日記
 午前中、近くのスーパーへ。お目当ては桃屋の辛くないラー油。無事に見つけることができました。3つ購入。蘇州へ持って帰ります! 少し早いのですが荷造りも少し行ないました。新しいキャリーケースに入れてみました。なかなか良好です。
 昼は天下一品で昼食。ここのこってりラーメンは、スープが独特です。大好きな味なので、ついつい帰国のたびに来てしまいます。どうやって、こんなにドロドロしたスープを作るんだろうか、と思います。
 バタバタしましたが、明日は蘇州へ帰ります。予定していた用事はほとんど終わり、ほっとしました。色々ありました。一つは、北野誠氏の復帰の件です。嬉しい知らせです。20日に大阪の舞台で漫談をされるそうです。少し日にちがずれていれば見に行けたのに……。私が日本を経つのが19日ですので舞台にを見に行くのは無理です。残念。しかし嬉しい知らせでした。もう一つは藤田まことさんが亡くなられたことです。必殺仕事人は、時代劇のようで時代劇でない感じのドラマでした。水戸黄門や暴れん坊将軍などとは違うテイストが漂っていました。仕事人たちによる殺しのシーンは、スタイリッシュでナルシチズムっぽい映像で大好きでした。

有馬温泉~帰国3日目

2010年02月17日 | 日記
 午前中、有馬温泉へ行きました。私にとっての温泉の原点は有馬温泉なので。一番好きな温泉です。名湯が比較的実家の近くにあるのでありがたいです。朝、車で出発して入浴し、午前中に家へ帰ってこれる距離です。
 有馬温泉に中国人や韓国人の客が多いのに驚きました。個人旅行の規制緩和の影響でしょうか。去年、来たときには見られななった光景です。神戸観光に来た人が、ついでに立ち寄るような感じでしょうか。有馬温泉好きにとっては嬉しいことです。この茶色の奇妙な温泉に浸かって、日本の文化を知って欲しいと思います。
 温泉ではゆっくりと温まりました。いや~、気持ちよかったです。
 一旦実家へ帰り、その後は墓参りへ。夜はネットで調べ物。今、個人的なテーマの一つであるアミノ態窒素の簡易測定について調べてました。機器、簡易分析法などを調べましたが、有効な情報はありませんでした。う~ん、なかなか難しいです。
 実家の本棚に、大学時代に使ってた実験書がありました。危険薬物の種類や扱い方について、いまいち分かっていない点があるので、蘇州へ持っていくことにします。

カレーやお好み焼きや脱獄王や海角七号~帰国2日目

2010年02月16日 | 日記
 帰国2日目です。天気は良いというわけではないのですが、雨や雪が殆ど降らないため、助かりました。今日は大阪へ。帰国や帰省のたびに大阪へ行くのは、毎回同じパターンです。変化がないのですが、限られた時間で用事や楽しみを済ませたいので、失敗の確率が低いパターンをとってしまいます。
 今日は朝から夜まで梅田周辺で過ごしました。
 朝10時半に三番街のインデアンカレーへ。ここのカレー屋さんは、本当に毎回訪れています。朝のこの時間であればいつものような混雑はありませんでした。「朝カレー、朝カレー」と心の中でつぶやきながら食べました。辛い。しかし、辛いだけじゃない、というのがインデアンカレーです。一度にたくさん食べたくなるようなカレーではありませんが、何回食べても飽きません。辛さ、甘さ、うまさを兼ね備えたカレーだと思います。
 カレーを食べたあとは梅田ロフトへ。風呂用タオル(モコモコの泡をたてられる体洗い用タオル)、タイマー、ボールペンの替芯を購入。タイマーは、蘇州で手に入らなかったデジタル式のもの。実験で時間を測る際に必要なものです。今まではゼンマイ式のものを使っていました。蘇州のスーパーなどを散々探し回ったのですが、60円ぐらいの安物のゼンマイ式タイマーしか売っていませんでした。料理のときに時間を正確に測るというころがないのでしょうか。蘇州での購入を諦め、ロフトで買うことにしました。日本であれば簡単に手に入るタイマーでこんなに苦労するとは思いませんでした。おかげで良いタイマーを手に入れられたので良かったです。
 少し遅めの時間に昼食をとることにしました。かっぱ横丁の、ぼてじゅうでモダン焼きのご飯セットを食べました。極々、私的なことを書きますと、お好み焼きはモダン焼きに限りますねえ。大好きです。ぼてじゅうのモダン焼きは、生地を溶くための生卵だけではなく、焼くときに片面に広げるためにもう一個の生卵も使います。この焼き方、個人的には一番好きです。卵の風味も味わえますし、そばのおかげでボリューム感もアップします。
 夕方はスカイビルへ移動。ガーデンシネマで『板尾創路の脱獄王』と『海角七号』を、2本続けてみました。
 『板尾創路の脱獄王』は板尾さんらしい映画でした。楽しかったです。上映中、観ながら途中でニヤニヤしてしまうことも何度もありました。途中、タイトルバックの「板尾創路の脱獄王」という文字が筆文字でドドーンと出てきますが、あまりにもバカバカしくて笑ってしまいました。最後のオチは爆笑でした。富士の刺青のオヤジを間違えるなよ。最後の笑福亭松之助の表情、最高でした。あの表情がなければ、オチがきちんとオチなかったと思います。セリフなしの板尾さんの演技もいいです。しかし何といっても國村隼抜きでは語れない作品だと思います。日本映画に欠かせない俳優さんです。
 『海角七号』はかなり期待して観ました。物語の概要は、書くのが面倒なので申し訳ないのですが他の映画紹介ページなどを参照してください。古い手紙の内容と、現代の主人公たちの物語がうまく絡みあっていない感じがしました。手紙の文面も、きれいすぎです。物語の最後のステージのシーンでは、制作側のご都合主義の匂いがプンプンと感じられました。しかし、劇中で流れる音楽は素敵でした。この音楽を聞くだけでも、この映画を観る価値はあると思いました。

三宮でカツ丼やキャリーケース購入~帰国1日目

2010年02月15日 | 日記
 本日から日本へ一時帰国。5日間という短い期間ですが。今日は色々と出来事が多かったので、読みやすさを考慮して文体を少し変え、文字数を減らしました。

 蘇州 → 上海 → 関空 → 三宮 → 実家

 朝4時起床。ガキの使いを見終え、寝たのが1時だったので睡眠時間3時間。不安だったが問題なく起床。4時40分に電話。手配した車の運転手から。すでにマンションの正門の前に到着して待っています。ゆっくり準備して出てきてください、とのこと。こういう電話は大変助かる。中国なのにしっかりしてるなあと関心。このようなサービスをしてくれる会社は、また次回も使いたくなる。
 予定の時刻より5分早く、4時55分に自宅を出発。車内ではウトウト。目が覚めるとすぐに目的地に。7時に上海浦東空港に到着。渋滞などに巻き込まれず。
 カウンターで早々とチェックイン。荷物の重量制限厳しくなっている。きっちりと荷物の重さを測られた。カウンターで預ける荷物の重量制限は20kg。今まで重量オーバーは何回もあったが、止められたのは今回が初めて。オーバーした4kg分の追加料金として86元が必要とのこと。日本の本社に送るサンプルが重量と重くしている原因。追加料金を払うのは腹が立つし、会社への追加料金申請も難しそうなので、荷物の中から書籍を5kgほど取り出し、チェックイン。どうせ手荷物として機内に持ち込むのだから、そのまま荷物を預かってくれてもいいのに……。朝食は空港内のバーガーキングで。
 定刻通り9時に飛行機出発。機内食で出てきたものは……ニンジンの巻きずし(笑)! 他の具が入っている分けでもなく、ニンジンのみの巻きずし。かっぱ巻き感覚か!? 酢飯は乾燥しています。当然、うまくも何ともない。到着してからうまいものを食べたいので、果物だけ手をつけました。もったいない。私が悪いのか。こんなメニューを考案した機内食業者が悪いのか。
 機内食意外は何事もなく関空に到着。久しぶりの日本。肩の力が抜けていく感じ。空港からバスで三宮へ移動。三宮では、昼食としてカツ丼(とんかつ七兵衛)を。味付けは少し濃いめだが、甘さと醤油の味が絶妙。カツはカツ丼として薄すぎず厚すぎず。食べやすい大きさに切ってくれてる。衣と肉の結着はよく、食べている間にボロボロ崩れて衣が剥がれることもなし。適度に豚の脂身もついている。胃がしんどくなるような脂身の量ではないので、豚肉のウマさも楽しめる。玉ねぎの甘みもOK。ここのカツ丼が一番好きだなあ。帰国したときにしか食べられないので残念。
 三宮の伊予銀行支店のATMで久しぶり(1年半ぶり)に通帳に記帳。関西では数少ない貴重(?)な伊予銀行支店。無事記帳完了。蘇州へ赴任してから、口座の残高がいくらになってるのか分からなかったので、少し安心。
 伊予銀行近くのカバン屋さんへ。地下1階の店。旅行用のキャリーケースの買い替えが目的。中国で事前に調べていたProtecA EQUINOX LIGHTの銀色。店頭で実物を触らせてもらう。軽くてめちゃくちゃいい感じ。作りもチャチじゃない。デザインもよし。鍵はTSAロック。値段は決して安くないが、せっかくの買い替えなので、ちょっといいものにしました。ここのお店、店員対応よい。キャリーケースの素人の私にも丁寧にテキパキと対応してくださった。在庫状況を聞くと、すぐに返答。商品知識もあり。キャリーケースは、それほど頻繁に買い換えるものではないので次の買い替えがいつになるか分からないが、次回、何かの機会があったら再度利用したいと思います。ありがとう、冨士鞄店様。即購入。実家へ宅急便で送ってもらうことに。
 東急ハンズへ移動。フライの油用の温度計購入。蘇州の大型スーパーなどを探し回り、結局見つけられなかった代物。日本であれば難なく購入できる。中国の一般家庭では、油の温度を測る習慣がないのだろうか。
 ハンズでの買い物終了後、北側の出口を出てしまった。ハンズのすぐ近くは生田神社。せっっかくこんなに近くにあるので、お参りすることに。久しぶりの神社でのお参り。神戸の街中のど真ん中にも関わらず、しっかりと神社の形態を維持されているなあ、と関心。思い切って50円のお賽銭を投げ入れた。私的には通常の10倍の金額のお賽銭。みみちいなあ。中国人の同僚のために土産用のお守り購入。日本の宗教的文化なので、中国人に喜ばれるのかどうか微妙だが、あまり深く考えないことに。
 帰宅ラッシュを避け16時に三宮を経つ。滞在時間は2時間半ぐらいしかとれなかった。ばたばたを用事だけすませた感じ。一度、ゆっくりと神戸を観光してみたい。異人館とか。JRで三宮から新三田へ移動。

雪の春節の蘇州

2010年02月14日 | 日記
 昨晩(中国的大晦日)の23時45分に外に飛び出しました。お目当ては夜の空に鳴り響く花火を見るためです。外へでたときは既に町のいたるところで花火が上がっていました。そして、24時00分が近付くにつれ、花火の数は増していき、絶え間ない閃光と爆音が夜の空を占拠しました。1年前は自宅のアパートの中から見たのですが、中で見るよりも外で見たほうが迫力が違います。これは凄い。思わず私はデジカメを静止画モードから動画モードに切り替え、町中を走り回ってあちこちの花火を撮影しました。外では雪がちらついており、長時間いると風邪を引きそうでしたので30分ほどで帰宅しました。新年を迎えました。花火を見るために日本への帰国を遅らせたのですが、見ることができて良かったです。

 そして朝を迎えました。



 蘇州の町は雪化粧をしていました。夜からの雪が降り続いたようです。これだけ積ったのは、この冬初めてです。昨日は結構、晴れていましたので、町の姿の変わりように驚きました。少し大き目の雪が、ちらちらと降っています。たまに見る雪は本当にきれいです。
 日本への帰国を遅らせたのは、花火を見ることと、春節の蘇州の様子を見ることでした、昨年の春節のときは、町を散歩したり、スーパーへ買い物へ行ったりしたのですが、市街地を見に行きませんでした。今日は、蘇州の代表的な市街地である観前街へ行きました。
 観前街は玄妙観というお寺の門前街です。蘇州最大の繁華街でして、様々なお店と多くの人で賑わっているところです。今日は雪のためか、いつものような混雑は見られなかったのですが、それでも多くの人がいました。
 玄妙観の方へ行くと、煙の臭いが漂ってきました。



 玄妙観の近くでは、写真のような巨大な線香の売り場がたくさん見られました。



 玄妙観の敷地内は、もうもうと煙が上がっています。ロウソクや線香が煙の原因です。ディテールは違いますが、日本の初詣風景を連想させます。日本の宗教的習慣が中国の影響を受けて発達したことを、この光景を見て再認識させられました。



 ここはロウソクを斜めに差していました。斜めの向きに意味はあるのでしょうか。熱で溶けたロウを、うまく垂らすための工夫でしょうか。



 上の写真の、左下の赤いジャンパーを着た人は、お金を真中の塔みたいなものに投げ込んでいました。お賽銭みたいなものんでしょうか。赤いジャンパー以外にも、多くの人が一生懸命、何度も投げ込んでいました。



 玄妙観をあとにして向かったのは、お菓子売り場です。



 建物の中には、フロア全体がお菓子売り場になっています。昔ながらの中国っぽいお菓子ばかりです。正直なところ、私の口に合わないものが多いのですが、帰国前の土産探しにうろうろするのには楽しいところです。
 今日は春節であるのと同時に、バレンタインデーでもあります。中国では情人節と呼ばれています。正月のバレンタインデーを同時に迎えるなんて、滑稽な感じです。
 お菓子売り場をうろうろしていると、あるところからワッという笑い声が聞こえました。笑い声のする方向を見ると、50歳ぐらいの男性が赤い花(バラと思います)の花束を持っていました。店内の笑い声と、売り子さんたちの表情を見て想像したのですが、この男性はお菓子売り場の経営者か責任者だと思われました。売り子さんたち全員がバレンタインデーのプレゼントのために秘密で用意していた花束を、店に戻ってきたこの男性に渡した瞬間だったのだと思います。売り子さんたちの笑顔と、男性の少し恥ずかしい気持ちが漂う笑い顔。男性は早々と売り場から奥の事務所へ入ってきました。ほんの少し悪戯心が混じったプレゼントを、たくさんの客が入った売り場で実行するなんて……(笑)。店員さんや男性に失礼かと思えたのでデジカメで撮らなかったのですが、いい瞬間に立ち会えたなあ、としみじみと思いました。



 情人節の日は、観前街にはバラを売っている人をよく見かけます。この写真の子供が抱えているのはバラの花です。寒い雪の降る中を、一生懸命、子供がバラを売っていました。憐れむわけではないのですが、このような子供の姿はマッチ売りの少女を連想させます。実はちょっと心が痛むのです。



 最後の写真は、謎のキャラクターです。「中国黄金」という貴金属店のもの(広告?)のようです。春節に関係する歴史的人物なのでしょうか。ちょっと間が抜けた、おめでたい飾りですね。
 明日からは、5日間の日本への帰国です。荷造りなどはほとんど終わっているのですが、もう少し準備をして、早めに寝たいと思います。

 春節快楽! 虎年大吉!