先週の29日30日31日と、奈良、和歌山、三重に行ってきた。
「吉野の桜を見に行こう」と、毎年息子に言われていた。で、今回の旅行なのだが、肝心の桜は1週間遅れで蕾状態。
結局、吉野山は断念し、石上神宮、和歌山城、高野山、伊賀上野城などを回った。
今朝早く、女房は鈴鹿のFIを見に出かけた。今日明日は、おれは家で留守番だ。
まず行ったのが、天理教本部。この建物、日本最大規模の本格的和風建築なのでは。
小中高、さらに大学などが、とてつもない広さの敷地の中にあった。とにかくびっくり。
天理図書館。年度末の休館で入れず。
石上神宮、崇神天皇陵、箸墓古墳、大神神社などを回り、最後に行ったのが藤原宮跡。
和歌山城。旧国宝だったが、空襲で焼失。こういう城、いくつもあるよね。
紀州東照宮。楼門、唐門、拝殿、本殿が重文。
雑賀崎灯台。霞んでいたが、淡路島、四国が見えた。
和歌山市内でランチ
高野山 奥の院。霊廟、慰霊碑、記念碑などがひしめいて、独特な雰囲気だった。
金剛三昧院多宝塔(国宝)。北条政子が頼朝の菩提を弔うために建立。
高い石垣が有名な伊賀上野城
東海道関宿
トイレに飾った庭のワビスケ
3月は年度末ということで、かなり忙しい。今月は10件(撮影分を含めて)の仕事の予定。まだ増えると思うけど、気が重い。
しがない自営業なんで、昔は仕事の電話があると、予定表にそれを記入しては、女房と喜んだものだ。
サラリーマンの場合、忙しいとそれがストレスになる。しかし、自営業はその逆だ。仕事がないと、どうにもこうにもならない。
ヒマがストレスになる。収入がなければ、生活できないからね。
写真屋として何十年、よくここまでやってきたものだ。女房には、いろいろ苦労をかけてきたけど。
おれも年なんで、そろそろ仕事を減らそうと思う。まずは、面倒な仕事と大変な仕事かな(汗)。
仕事が頭にあると、ほかに手が回らないからね。
たとえば今月だ。確定申告、免許証の更新、庭の手入れ、地区の仕事、等、等。
ほかに、旅行の計画なんかもあるしね。今月末は、奈良の吉野山・和歌山を旅行するつもり。
宿の予約はしたものの、今月は忙しい。「ちゃんと行けるかな」と、今から心配しているところ。
早いもんで、明日から3月。日差しが強くなり、春めいている。
「ウグイスが大きな声で鳴いている」と、女房に呼ばれた。居間に行き庭を見ると、ユズの木にいるウグイスを発見。
我が家の庭で鳴くなんて、すごいねえ。すぐどこかに行っちゃったけどね。
「鳴き始めにしては、上手なホーホケキョだった」と、女房。春だねえ。
PCの話。今使っているPC(Mac mini M1)が壊れたわけではないが、もう1台購入した。
やはりMac miniで、M2, 16GB/SSD512GBというやつ。おれなんかは、これで十分。おつりがくるくらいだ。
データの移行に半日かかってしまった。Mac miniは、これが4台目かな、5台目かな。
一昨日の話。上田で撮影中に三脚が倒れた。レンズはなんともないようだが、カメラ(D850)が故障した。
ファインダーを覗くと、ぼやけて見える。すぐサービスセンターに出したが、がっかり。
こういうの、過去に何度もある。気をつけないとね。
今回は、バヨネットマウントあたりが、いかれたらしい。いろいろ出費だ(泣)。
一昨日の早朝の様子。5cmほどの積雪だったが、午後にはすべて消えてしまった。
「あつた蓬莱軒」も良かったけれど、この「うな富士」もいいね。
せっかくなんで、大盛りを頼んだ。
夜は、「海の日」という居酒屋へ。
キリンビール名古屋工場を見学。
見学参加費500円。毎日行きたい(汗)
先週、息子のいる名古屋に行って来た。何回も誘われたからだ。
栄駅の近くに宿を取り、あちこち出かけた。長野からだと、時間がかかるが、とても行きやすい。
「JR特急しなの」を利用すると、始発と終点だからね。
冬至近い12月中旬の撮影。写り込む太陽を手で隠している。
夜景も、晴れた日がいいね。
太陽が薄雲に入ったタイミングで撮影。
f9.5 1/180秒 ISO800。 ストロボを天井に当てている。
日差しが強すぎる。
これでは、日差しが弱すぎる。
f9.5 1/8秒 ISO1600というデータ。人には言えないが、ISO感度は平気で上げる。
身を乗り出しての手持ち撮影。何回もシャッターを押し、ブレのないものを選ぶ。
昼間の写真と違って、夕方は色とかコントラストの苦労がない。
建築写真の撮影を生業としている。主に住宅写真だが、今月は駐在所、ショートステイの介護施設なんかも撮る予定。
どんな風に撮るかというと、まあいろいろだけど、たとえば上の写真の場合を話そう。
午前10時、現場に到着。キーボックスを開け、キーを取り出し、玄関を開ける。
立ち会い人はいず、おれひとりだけの撮影。荷物を中に入れてから、建物の外観をチェック。撮る位置とその時間帯を決める。
「東南側はここからで、すぐ撮ろう」「曇ったら、後でもう一度撮るかな」「あちら側は、午後すぐに撮ろう」なんてね。
室内も、同様。ぐるりと回って、撮影順を決める。
上の写真の家は、見学会の前日での撮影。ソファー、椅子、テレビなどは、建設会社が運び入れたもの。
観葉植物、ランチョンマット、食器、スプーンとフォークなどは、おれが持ってきたもの。撮影の小物というやつだ。
LDKだけでなく、トイレ、家事室、玄関なんかにもいろいろ飾る。
観葉植物などの小物を入れての撮影は、この建設会社の要望。
どちらかというと、こういう例は少ない。多くは、竣工前のなにもない状態で撮る。
また、引っ越しが終わり、落ち着いてから撮る場合もある。いろいろだね。
部屋の撮影で困るのが、カーテンやブラインドがない場合。
差し込む日差しを生かしてそのまま撮ることもあるが、太陽が雲に隠れるのを待ったりする。
場合によっては、窓を大きなシーツなんかで覆うこともある。まあ、テクニックというやつだ。
LDKなどは、夕方も撮影する。暗い方が照明が生きて、雰囲気が出るからね。でも、タイミングがむずしい。
時間をずらしながら、何回も撮る。外の明るさとのバランスで、後でカーテンを全開にしたりする。
浴室とかトイレなどは簡単だが、意外と大変なのが玄関。玄関戸を開け、外から中を撮る場合、
昼間は絶望的だ。手前が明るすぎて、とてもじゃないが撮れない。これも、夕方に撮ることが多い。
室内の夕方の写真を撮ったら、急いで外に出る。外観の夜景だ。これも、タイミングがむずかしい。
やはり、時間をずらして何枚も撮る。困るのが、ポーチの照明。
ほとんどの場合、人感センサーライトなので、すぐ消えてしまう。で、何度も何度も往復することになる。
カーテンやブラインドは全開で撮り始めるが、外の暗さを見て、途中から閉めたりする。
説明は省くが、外壁の色や建物の向きによっても、撮り方は大きく変わる。
どんな仕事もそうだと思うけど、うまくいったりいかなかったり。むずかしいね。
大門町のホテルの屋上から見た中央通り。切妻平入りの商店が並んでいる。1982.6
左手の屋根は、善光寺仁王門。ここから奥の山門までが仲見世通り。1982.7
長野駅から善光寺に続く道を「中央通り」と呼んでいる。
長さ約1.4km、北高南低のゆるい坂。旧北国街道で、昔からの商店が並んでいる。
仁王門から先が仲見世で、観光客で賑わうところだ。
1980.1
1980.1
1980.1
1980.1
飯山市の雁木造り 1982.2
アーケードは公有地だが、雁木造りは私有地。前の家の軒下である。
「二礼二拍手一礼」というのが、流行っている。どこの神社に行っても、右を見ても左を見ても、みんなやっている。
とくに若い人なんかが、まじめに「二礼二拍手一礼」をやっている。
この作法、丁寧な作法でいいと思うのだが、「これが正式」とか「これが正しいやり方」と言われると、どうしてもひっかかる。
「神社での参拝に定まった作法はない」というのが、宗教学者の言葉である。調べたら、神社庁でも、「二礼二拍手一礼」なんて言ってない。
「二礼二拍手一礼」なるものは比較的新しいもので、伝統的な作法ではない。明治になって、だれかがそれらしく言ったものらしい。
ところがだ。平成になってからだと思うけど、それが全国的に広まった。不思議だねえ。
「二礼二拍手一礼」は、おれはしない。面倒だからね。
「参拝の仕方がどうこう」なんて、神様は言わないと思うし、神様はそんなに了見が狭くないと思うんだよね。
10年後20年後、ひょっとしたら、時代劇に「二礼二拍手一礼」が登場するかもしれない。
半分冗談だけど、半分予想(笑)。
フラメンコのダンサーがスペインらしい
今日は、朝からチック・コリアの代表曲「SPAIN」をいろいろ聞いている。
この曲は、スペインに敬意を表して、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」から始まる。
「アランフェス協奏曲」大好きなおれとしては、冒頭から泣ける。
バイオリンといえば寺井尚子だが、ナナメヒダリさんもいいね
ボーカルのおねえさん、音程がしっかりしていて、心地よい
ギターは言うまでもないが、弘子さんの表情と眼差しに惚れた
湯滝温泉(飯山市)の休憩室。千曲川(信濃川)の向こうは野沢温泉村。
飯山市に住む娘に誘われて、女房と3人で湯滝温泉(飯山市)に行った。
先日行った子安温泉(高山村)もよかったが、この湯滝温泉もなかなかいいね。
女房が聞いてきた話。
毎月1回、女房の古い友人数人がたれかの家に集まる。持ち回りというやつだ。「豆暦(まめごよみ)の会」という正式名称だが、みんな「お豆の会」と呼んでいる。
30年、40年来の友人で、とても仲がいい。当初は俳句の会であったが、いつの間にか飲食の会に変わった。この辺が、おばさんだね。
おれの家でやるときはおれも加わるが、あくまでも女子会だ。
女房「松本のM君、知ってるでしょ」
おれ「ああ」
女房「M君、56になったんだって」
おれ「56かよ・・」
M君の年を聞いて、とても驚いた。知り合った頃、M君はまだ学生だったからね。考えたら、30年以上も前の話だ。
おれも女房も、年を取るわけだ。
M君は性格もいいし、イケメン。だれからも好かれていた。学生時代、大モテだったらしい。
おれ「そのM君が、どうかしたの」
女房「こんど結婚したんだって」
おれ「・・・・・」
女房「その相手のひと、28歳の女医なんだって」
おれ「すごい年の差だね」
女房「うらやましいでしょ」
おれ「うん」
女房「先日、Eさんの家にM君がその女の人を連れて遊びに来たんだって」
M君は卒業後、世界中を旅した。そして、予備校の講師になった。今も、そのはずだ。
M君の相手というのは、10ほど前、その予備校で知りあったようだ。つまり、教え子ということかな。
今度M君に会ったら、その辺の話を詳しく聞いてみよう。
予備校の講師って、いい職業だね(汗)。
新潟県境の信濃町柏原の国道18号 1979.6
いちばん左側の茅葺の家は鍛冶屋で、老夫婦が土間で鎌や鍬を作っていた。
家の中を格子越しに覗いていたら、中に招き入れてくれた。お世話になりました。
その鍛冶屋の外観。この建物は、今も文化財として町で保存している。
1979年(45年前)というと、おれの20代半ばのころだ。
当時、ろくな収入もないのに、あちこち出掛けては、こんな写真を撮っていた。
というか、仕事が少なく、ヒマだったんだね(汗)。
「十年一昔」なんて言うけど、もう大昔のこと。とても懐かしい。
この年賀状を投函したのは、年末の30日。
少しでも早く届くようにと、ちょっと離れた大きな郵便局に行った。
こういう性格が、恥ずかしい。もっと早く出せばいいのにねえ(汗)。
女房はというと、届いた年賀状に返信するらしい。
娘はこれから書くようだし、息子はまったく興味がないみたい。
息子が持参したウイスキー(シングルモルト)を毎晩飲んでいる。