飯山市の雁木造り 1982.2
アーケードは公有地だが、雁木造りは私有地。前の家の軒下である。
「二礼二拍手一礼」というのが、流行っている。どこの神社に行っても、右を見ても左を見ても、みんなやっている。
とくに若い人なんかが、まじめに「二礼二拍手一礼」をやっている。
この作法、丁寧な作法でいいと思うのだが、「これが正式」とか「これが正しいやり方」と言われると、どうしてもひっかかる。
「神社での参拝に定まった作法はない」というのが、宗教学者の言葉である。調べたら、神社庁でも、「二礼二拍手一礼」なんて言ってない。
「二礼二拍手一礼」なるものは比較的新しいもので、伝統的な作法ではない。明治になって、だれかがそれらしく言ったものらしい。
ところがだ。平成になってからだと思うけど、それが全国的に広まった。不思議だねえ。
「二礼二拍手一礼」は、おれはしない。面倒だからね。
「参拝の仕方がどうこう」なんて、神様は言わないと思うし、神様はそんなに了見が狭くないと思うんだよね。
10年後20年後、ひょっとしたら、時代劇に「二礼二拍手一礼」が登場するかもしれない。
半分冗談だけど、半分予想(笑)。
フラメンコのダンサーがスペインらしい
今日は、朝からチック・コリアの代表曲「SPAIN」をいろいろ聞いている。
この曲は、スペインに敬意を表して、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」から始まる。
「アランフェス協奏曲」大好きなおれとしては、冒頭から泣ける。
バイオリンといえば寺井尚子だが、ナナメヒダリさんもいいね
ボーカルのおねえさん、音程がしっかりしていて、心地よい
ギターは言うまでもないが、弘子さんの表情と眼差しに惚れた
湯滝温泉(飯山市)の休憩室。千曲川(信濃川)の向こうは野沢温泉村。
飯山市に住む娘に誘われて、女房と3人で湯滝温泉(飯山市)に行った。
先日行った子安温泉(高山村)もよかったが、この湯滝温泉もなかなかいいね。
女房が聞いてきた話。
毎月1回、女房の古い友人数人がたれかの家に集まる。持ち回りというやつだ。「豆暦(まめごよみ)の会」という正式名称だが、みんな「お豆の会」と呼んでいる。
30年、40年来の友人で、とても仲がいい。当初は俳句の会であったが、いつの間にか飲食の会に変わった。この辺が、おばさんだね。
おれの家でやるときはおれも加わるが、あくまでも女子会だ。
女房「松本のM君、知ってるでしょ」
おれ「ああ」
女房「M君、56になったんだって」
おれ「56かよ・・」
M君の年を聞いて、とても驚いた。知り合った頃、M君はまだ学生だったからね。考えたら、30年以上も前の話だ。
おれも女房も、年を取るわけだ。
M君は性格もいいし、イケメン。だれからも好かれていた。学生時代、大モテだったらしい。
おれ「そのM君が、どうかしたの」
女房「こんど結婚したんだって」
おれ「・・・・・」
女房「その相手のひと、28歳の女医なんだって」
おれ「すごい年の差だね」
女房「うらやましいでしょ」
おれ「うん」
女房「先日、Eさんの家にM君がその女の人を連れて遊びに来たんだって」
M君は卒業後、世界中を旅した。そして、予備校の講師になった。今も、そのはずだ。
M君の相手というのは、10ほど前、その予備校で知りあったようだ。つまり、教え子ということかな。
今度M君に会ったら、その辺の話を詳しく聞いてみよう。
予備校の講師って、いい職業だね(汗)。
新潟県境の信濃町柏原の国道18号 1979.6
いちばん左側の茅葺の家は鍛冶屋で、老夫婦が土間で鎌や鍬を作っていた。
家の中を格子越しに覗いていたら、中に招き入れてくれた。お世話になりました。
その鍛冶屋の外観。この建物は、今も文化財として町で保存している。
1979年(45年前)というと、おれの20代半ばのころだ。
当時、ろくな収入もないのに、あちこち出掛けては、こんな写真を撮っていた。
というか、仕事が少なく、ヒマだったんだね(汗)。
「十年一昔」なんて言うけど、もう大昔のこと。とても懐かしい。
この年賀状を投函したのは、年末の30日。
少しでも早く届くようにと、ちょっと離れた大きな郵便局に行った。
こういう性格が、恥ずかしい。もっと早く出せばいいのにねえ(汗)。
女房はというと、届いた年賀状に返信するらしい。
娘はこれから書くようだし、息子はまったく興味がないみたい。
息子が持参したウイスキー(シングルモルト)を毎晩飲んでいる。