北窓を開けしみじみとある御空 笑子
きたまどをあけしみじみとあるみそら
【北窓開く】・・・春の季語です
(春になり冬の間締切りだった北側の窓を開くこと)
私の生まれた町にある文化財です
当時の成人式が行われた体育館の裏にあって
今も変わらずずっとそこにあるのですが
たまたま、そばを通りかかり見学させていただきました
ここは養蚕技術の改良に一生を捧げた木村久蔵という人が
明治27年に建設したもので埼玉県でも希少な産業構造物の遺構です
木村久蔵は、炭火の火力で蚕室の湿気を排除する蚕の温暖飼育法を考案しました
この蚕室の構造は換気に綿密な配慮がされた設計になっています
障子の開口部を広くとり、床下には換気口と煉瓦積の炉が設けられ
天井には空気が通り抜ける作りになっています
全国各地から、学生が集まりここで
蚕の飼育法を学び広めたそうなのです(*^_^*)
我が家も20年前ほど前まで 亡くなった大きいお爺さんお婆さんと
義父母で養蚕を営んでおりましたので大変興味深い見学となりました
見学を終え見上げた空に たくさんの鳥が飛んでいました(*^_^*)
「9」が付く日に空の写真をアップしています
詳しくは・・・かず某さん、chacha○さん のブログまで・・・♪
埼玉県本庄市・競進社2016.2.4 12:30ごろ
※このブログはコメント承認制を適用しています。
ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
コメントのお返事は ご訪問にかえさせていただいてます(*;ω人)
ポチッと応援 宜しくお願いいたします(。uωu)
きたまどをあけしみじみとあるみそら
【北窓開く】・・・春の季語です
(春になり冬の間締切りだった北側の窓を開くこと)
私の生まれた町にある文化財です
当時の成人式が行われた体育館の裏にあって
今も変わらずずっとそこにあるのですが
たまたま、そばを通りかかり見学させていただきました
ここは養蚕技術の改良に一生を捧げた木村久蔵という人が
明治27年に建設したもので埼玉県でも希少な産業構造物の遺構です
木村久蔵は、炭火の火力で蚕室の湿気を排除する蚕の温暖飼育法を考案しました
この蚕室の構造は換気に綿密な配慮がされた設計になっています
障子の開口部を広くとり、床下には換気口と煉瓦積の炉が設けられ
天井には空気が通り抜ける作りになっています
全国各地から、学生が集まりここで
蚕の飼育法を学び広めたそうなのです(*^_^*)
我が家も20年前ほど前まで 亡くなった大きいお爺さんお婆さんと
義父母で養蚕を営んでおりましたので大変興味深い見学となりました
見学を終え見上げた空に たくさんの鳥が飛んでいました(*^_^*)
「9」が付く日に空の写真をアップしています
詳しくは・・・かず某さん、chacha○さん のブログまで・・・♪
埼玉県本庄市・競進社2016.2.4 12:30ごろ
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コメントのお返事は ご訪問にかえさせていただいてます(*;ω人)
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すごく堂々とした建物に感動です。
自分の町にあるのって、、うらやましいな〜。
蚕、、私が小学校の頃、教室で飼ってました。
みんなで桑の葉っぱを探したものです。(笑
やっぱり北ですよねぇ。
北向き大好き☆☆
競進社模範蚕室、養蚕の学校のようなものでしょうか、
絹糸の最盛期の時代、本物の時代だったのでしょう。
この絹糸生産の大変さから生まれたのが人絹、人造絹糸です。
カタカナではレーヨン、お蚕さんにヒントを得たこの製法が、
後の養蚕衰退へとつながったのでしょう。
今のデジタルと銀塩フィルムの差が
今だかなりの差があるように、本物と安物、
この見極めを持つ目を養っておきたいと思います。
北窓開く、とっても季節が伝わる季語ですね、
おっちゃんも頑張って写真で北窓を開きたいです。
北窓を開けたくなる青空ですね。
空も建物も美しいですねぇ。
蚕といえば、小学生の頃は学校でも家でも
蚕を飼っていました。宿題でした。繭が
できると学校に寄付するのです。桑の葉も
よく学校へもっていきました。昭和20年代
のことですが、、、(^_^;)。
青空に飛ぶ鳥たちに声をかけたくなりました!
なるほど、北の窓を開けるのですね。
確かに冬の間は開けられません。
通勤などで毎日のように自転車をこいでいます。
そうすると向かう風の変化を感じますね。
自動車だと余り感じることが無い季節感でしょうかね。
歩きだともっと季節を感じるのでしょうね。
山麓の斜面には至る場所に
桑畑の記号を見ることが出来ます。
いかにカイコの餌が必要だったかということですね。
今の若い人はその事実を知らないのかなぁ。
応援ぽち
昔は蚕が盛んでしたね〜
大空に羽ばたく鳥の大群、鳩さんかな?
すばらしいですね。
空に鳥さん?何の鳥さんかしら?
青空が綺麗・・。
かつての繊維の主流で、日本の基幹産業で有った養蚕業の歴史を伝える建家、産業として消え去るのはやむ終えないことでも有ります。
新しい物を創ろうとしてきた者からすれば。
その遺構を永遠に残すことの重要さは何物にも替え難いです。
北窓の重要さ、原理原則を知る上では詩的情感に勝る重みが有ります。
北の窓を開ける・・風も温かく感じるようになった証拠でしょうね。
明日から3月・・まだまだ手放しでは喜べない毎日ですが、少し足踏みをしながらでも暖かくなってきていますね。
P
素敵な春の季語ですね♪
昔の方は、季節を身体で感じていた。
そう再認識してます。
歴史的価値のある素晴らしい建物ですよね。
世界遺産の高山社とも関係が深く
本庄市の宝ですよ
こちらからもその内見学会を行おうか検討しています。
実家の隣の家では養蚕をされてて
写真のように棚に蚕がいました
うようよたくさん居て
ちょっと怖かった記憶があります
応援☆
納得です♪
家の北窓は、まだ開いてませんが(笑)
埼玉県でも希少な産業構造物の遺構!
文化財が、近くにあるっていいですね。
凸
今日の応援です☆☆
養蚕を見てこられた笑子さんですが、私も地域の中で
そんな家を見たことがあります。
もう半世紀も前のことですが。
☆
書かれた本を見せていただいたことがありました。
競進社のことも書かれてあったと思います。
行ってみたいですね~。
☆応援シマス♪
「北窓開く」、は春の季語…。
春について直接的な表現ではないところに、
含蓄の深さを感じます。
写真の空は2枚とも雲ひとつない青空☆
思わず深呼吸したくなりますね。そして
春が近づいてきたのですから、
わたしもココロの北窓を開かねば~!(笑)
関西ではほとんど馴染のない養蚕業。
でも知れば知るほどこちらも歴史と業績を
感じます。
いつか機会があればそちらを見学したいです。
この時期は花粉の飛び交う季節・・・
今年はいかがですか?私は何とか薬でおさえています。
笑子さんの故郷は養蚕が盛んだったのでしたか?
私の所もそう・・友達の家はお座敷中が蚕棚だった記憶があります。
それにしても先人たちは素晴らしい・・・
おはようございます。
>北窓を開けしみじみとある御空
春の訪れですね!
では、また
「強新社模範蚕室」ですか。
さすが養蚕の先進地ならではの遺産ですね。
当地からも勉強に行ったものがいたのかも・・。
青空に舞う鳥は何でしょうか、きれいですね。ポチ。
素敵なことですね。
子供の頃は、親戚などで蚕を育ててました。