球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

もやっとボール

2008-06-17 | マジメな話
「開くとどうなるんですか?」
彼女は煙草をくわえたまま楽しそうにテーブルの上で手をあわせた。
「回復するのよ…」

~カテゴリ通り、きわめてまじめな話です。というか自分の話ですね。
 (あえて、暗いとは書かない。前向きではあるから。)

…ごめんなさい、冒頭の文は完全なパクリだ。

そんなわけで今日はただの火曜日なのだけど、
自分ができる全力で酒を飲み気持ちの開放に努めた。
隣人に届かない音圧のファルセット。




ここ数日のBlogをご覧いただいていもお分かりかと思うけど、
どうにも最近気分がすぐれない…どころかかなり悪かった。
今は落ち着いている。

それの最大の原因が、今の自分には素の感情を発せられる場所がない…
ということにあるらしいことをこの数日で突き止めた。

数日前自分がしたことを思い返して惨憺たる気持ちになったり、
オケやら仕事の失態を思っては気が重くなり、
これからやることにつきまとう障害を思ってはやる気の喪失。
缶コーヒーの缶が床に落ちたことに対する正体不明の激情。

落ちて中味がこぼれた缶を怒りに任せてゴミ箱に思いっきり投げつけて、
"ちょっと…まずいな、これは"と考え出した。

些細なことで怒るということは、どこかで感情を抑えている証拠だ…
ということは実はあまり知られていない。
ゲームをやっていてキレる兄貴とかさ… 別に短気ってわけでもなかったのか?



残念ながら多くの人の前で上手く自分の感情を流していけるかは
育ちにかかっている部分が大きく、
さらに残念ながら僕はそこのところでつまずいてしまっている。
それは、言動に未だに子供っぽい稚拙さが残る形で残っている。
"青春が延びているんだ"なんて吹聴しているけど、現実はそういうこと。

自分が本当に困っていることを相談しようとすると
話題を逸らされたり、適当な返事をされたり、なぜか逆切れされたりするアレだ。
"余計なことは考えないで勉強しなさい"みたいな言葉で。

あまり家族のことを悪く言いたくはないのだが、
昔からあまり自分の気持ちにまともに向き合ってもらった記憶がなく、
今もってその手の相談がまったく苦手なのは育ちに一因があることを否定できない。
言ってもムダなんだ、っていう諦めが染み付いている。

付き合いのある人は、多分この辺をよくわかっているのではないかと思う。
僕が基本的に人(と自分)を信用できないことを。



従って、実家はぐうたらする場所であってものんびりできる場所ではない。
"帰る場所がない"なんて口にすると、最近秋葉原に発生した愚か者のようだが、
あれだって、空間ではなく心理のことを言っているはずだ。

これから時間をかけてこうした歪みを矯正していかなければならず、
今年はなかなか大変な歳になりそうだ。
自分の帰れる家を自分で作るため。
コメント
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