球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

ビットレートの旅

2006-11-01 | 技術
※ハロウィーンが終わったので、背景を以前のものに戻しました。

僕は64kbpsと192kbpsの違いのわからなかった、耳の腐った男です…

という宣言から。

デジタル音源についてあまり詳しくない人のために直感的に説明すると、
最近急速に普及が進む携帯型音楽プレーヤは、実は1曲で使うディスクの容量を
ある程度操作して、音質をよくしたり悪くしたりできます。
具体的には、12kHzより上とか、18.7kHzより上とか、人間の耳に聞こえにくい音をカットすることで、
データ量を減らすという操作です。

ですが、「いい音質」と言われているものと「クソ」と言われているものが、
現実的にどのくらい違うのか… という話。

「ビットレートが低いと音質が悪い」という言葉を、理屈で判断し、
聴感上どこまで聞き苦しくなるのか、気になるのかを、試したこともなかった。
そのくせ、人には
「ipodに入れるなら128kbpsはないとツラい」とか言えちゃったりしてね。一体誰なんだ、主語は。
実際は言ったことがないから別に頭を悩ませることもないけど、
聴きもしないで、そんなこと言うなって気はしますよね。
でも、聴き比べができなくてもこういう理屈に従って
高いビットレートを信望する風潮は醒めないでしょう。
音楽とかを「かじっていると」なおさらです。

参考人名:藤本健匿川(玉子?)
↑デジタル圧縮音源について「ノベて」いる人たち。
長いので、興味がある人は読んでみればよいです。

藤本氏は主に周波数特性(カットオフ周波数)から音質を論じるのに対し、
匿川氏はそれに文句をつけまくってあくまで聴感上から判断しろという姿勢。
藤本氏は工学的(電気的)に正しく、匿川氏は心理的に正しい。

この二人のやっていることをある程度止揚して一言で纏めようとすれば、
「定量的な評価をしたいがために電気信号から音質を推定することもあるが、
 やはり、最終的には人間が聴いてみないとわからない。」
ということになるでしょうか。



実は、良い音を表現するボキャブラリーがあるように、
良くない音を表現するボキャブラリーというものが存在します。
こんなことをわざわざ言うのは、バリエーションに乏しいからです。
「こもる」「割れる」「ドンシャリ(たまに褒め言葉)」
ネットで検索すると、大体こんなもんです。

その言葉の意味を、自分で、自分の血の一滴として、説明できなくちゃつまらないですよね。
というわけで今日は聴き分けということを行っています。



感想(あえて感覚的な言葉を多用します)
イヤホンでクラシック音楽を聴くときには、高音(Vn)を聴きたければ左耳に意識を集中し、
低音(Vc)を聴きたければ右耳に意識を向けるとだいぶ聴き取りやすくなります。

変な言い方ですが、携帯音楽プレーヤの聞き方は
①高音寄りに聴く
②低音寄りに聴く
③どっちにも均等に意識を向けて聴く
の3通りがあるような気がします。

僕はパート譜から音を抽出しようとするクセがあるらしく、今まで割合②のような聴き方をしていました。
しかしそれをやってしまうと、合奏中、他の人の音がわからなくなってしまうことがあり、
ハッキリ言って相当よくありません
(どうやら、合奏中でも知らず知らずのうちに「自分以外の音を無視する習慣に忠実に」耳を使うことに原因があるようです)。
音楽というのは聞き方次第では頭の感覚が研ぎ澄まされるような気分をもたらしてくれるものですが(七田式参照)、
③の聴き方をしないと、頭がすっきりまでしてくれません。

どうやらこの現象は、Vnの高調波に関係があるらしく、
低ビットレートの音源を集中して聴くのが難しい、今日はそんな感想を持ちました。
"音質が悪い"という表現には至らないのですが、低ビットレートの音は聴いてて疲れます。

よく「打楽器の音が変質する(殊にシンバル)」という言い方で低ビットレートの罪を表現しますが、
僕にとっては、全体を聴こうとした方がそれを感じやすいことがわかりました。
やろうとしていることは、同じなのかもしれませんが。

ちょっと長くなったのでそろそろおしまい。
そのうち続きを書こうと思います。
もっと、耳を育てよう。
コメント (3)
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