タイトル:ノルウェイの森 2010年製作、日/133分
ジャンル:村上春樹原作ベストセラー
映画館:福知山シネマ2 1人/135席
鑑賞日時:2011年2月5日(土) 21:10~
私の満足度:70%
オススメ度:65%
【序】
封切は2ヶ月前だけど、福知山シネマは初日。村上春樹ファンでもないので
地元でやるのを待ってました。しかも何とレイト上映。果して何人はいる
のだろうと考えながら歩いてゆくと5分遅刻。
-今から入れますか。
-ちょっと待ってくださいね。
お客さんがゼロだったんで・・(と言って電話を取る)
もう電源落としてるんじゃなかなあ。
-それならいいですよ。
-(映写室へ)お客さんこられたんですけど、まだいけますか?はい。
(私へ)大丈夫です。
-ひとりのために申し訳ないですね。
-いえいえ、わざわざ来ていただいて上映できない方が申し訳ないです。
というわけで、やりました。私ひとりのために上映です。
福知山で映画館が復活して、早や3年半2名で鑑賞は何回もありましたが
ひとりで鑑賞は、東京のキネカ大森で「ジャンヌと素敵な男の子」をひとりで
見て以来の生涯2度目です。
フラットなフロアのど真ん中に座って、後ろを気にせず背伸びしたり、
首のマッサージをしたり。菊地凛子のあえぎ声が大きいときには、
ボリュームさげなあかんなあという気になったりと、一人鑑賞満喫です。
【ストーリー:gooHPから引用】
親友・キズキを自殺で失ったワタナべは、東京で大学生活を送り始める。
ある日、ワタナベは偶然にキズキの恋人だった直子と出会い、毎週直子と
東京の街を散歩するようになる。しかし、直子の20歳の誕生日、精神的に
不安定になった直子と夜を共にする。それ以来、ワタナベは直子と連絡が
とれなくなってしまう。さらに喪失感が深まり心を病んだ直子は、京都の
療養施設に入所していたのだ。直子に会いたくても会えない状況の中で、
ワタナベは大学で出会った不思議な魅力を持つ女の子・緑にも惹かれていく。
[2010年12月11日公開]
【感想】
恥ずかしながら、村上春樹作品は一冊も読んでいません。でもベストセラー
だけにまわりで読んでいた人もいました。学生運動が盛んな時代で、舞台は
京都の精神病院と聞いても興味はなくパスしてました。ちなみに、私は生れも
育ちも京都市左京区内でして区内で有名な某病院がその舞台だとの噂でした。
当時の私がもっていた一般の精神病院のイメージとしては閉鎖病棟で鉄柵の
向こうが病室というイメージです。その有名な病院のHPでも、以下のように
書いてあります。()内追記、**削除
『終戦から7年(病院開設の1952年)、残念なことに当時の社会は精神病者を
全くの厄介者と見なしていました。檻のような病棟の中に閉じ込め、隔離する。
人間として扱われず、差別と偏見の中に、精神病者は取り残されていたのです。
そんな病院に、1970年、理想に燃えた6人の青年医師たちがやってきました。
その時から開放医療を目指す**病院の闘いが始まりました。』
さて映画の舞台である1969年。ヒロイン直子が精神的に病んで入った療養施設。
映画の公式HPとか、各社の映画紹介のストーリーでも、病院じゃなくて、
療養所とか療養施設なんですね。映画でもたぶん病院という言葉は使ってない
のでは?で、映画ででてきたその療養所をみたときに、こりゃ前述の病院じゃ
ないなあと思いました。あんなところで療養できたら理想的じゃないですか。
山の中で緑があって、空気もよくて自然に溢れ。温泉療法はないでしょうけど
森林浴で癒されそう。ああここはノルウェイの森だと思いました。昔、飛行機
で、スウェーデンに降り立ったとき、ストックホルムからオスロに電車で移動
したときの緑が目に浮かびました。日本でよくこんなところみつけてきたなあ
と思います。ちなみにネットで調べると、前述の某病院説というのは、そうだと
いう話を聞いたという意見としてはあがっていたものがありましたが、その説を
となえる人はなく、モデルであるとの噂がある施設は同じ左京区内ながらもっと
北の方でした。マイナーな話題ですが、京都市左京区といっても南北に40km
ぐらいありまして市街地といえるのは、ほんの僅か。北半分は公共交通では
ちょっと無理という山奥が多くそのあたりなら映画のイメージにも近いなあと
思いました。もっとも作者は、モデルの施設はなく、架空であると言ってます。
その療養所で流れるのがタイトルでもある「ノルウェイの森」
直子『この曲を聴くと、深い森の中で迷っているような気分になるの。
どうしてだかわからないけど。
一人ぼっちで、寒くて、暗くて、誰も助けに来てくれなくて・・・。
でも、本当に一番好きな曲なのよ』
このセリフを聞いたときに直子にとってもう「ノルウェイの森」=「深い森」は、
自分自身で、療養所の周辺のみならず、療の部屋も、心の中も、東京で歩いた
公園もみ~んな「深い森」で、どんなに早く歩いても、同じところに来てしまい
抜け出せなくて、それでいて一番いごごちのいいところになってしまっている
のだと思いました。そう考えると、いろいろ不自然に思えたことも、それが
一番良いようにも思えてくるんですね。
例えば
-60年代の精神病の療養所が開放的すぎる
-菊地凛子が年とりすぎてる、ずぶとすぎる(繊細でない)
-水原希子のセリフが棒読みすぎる
-性交時に、なぜ下着をつけているのか
また、ストーリー的にも謎は多くて
-なぜキズキは死んじゃったのか
-なぜレイコはワタナベに長い手紙を書きつづけたか
等々、わからないというか私は間違って考えているかもしれないなあという
ところが多々あります。でも、不自然や謎の向こう側から「喪失感」「無力感」
「危うさ」が、人間そのものとして伝わってきました。
だから、映画のキャッチ・コピーである「深く愛すること。強く生きること。」
というよりも「どうにもならないこと。」であり、
本の帯の「100パーセント恋愛小説」というのでもなく
むしろ「100パーセントの実写版心象風景」の方がしっくりくるような、
凄い映画であると感じました。
ストーリーについては、謎についてのひとつひとつの私の解釈を書きたい気も
するのですが、とりあえず長くなったのでここまで。
映画を見た後、となりのスクリーンでは、まだハリーポッターをやっていて、
顧客さんが入っていてよかったなあと思いながら映画館を後にしました。
PS.ビートルズのノルウェイの森については、タイトルを訳したプロデューサが
誤訳であると発言していたり、歌詞について様々な議論があることを知り、
興味深くネットで記事を追いました。そのなかで、風呂場に寝に行く(to sleep
in the bath)というのがあるんですが、そんなことするんですかあ?
ベッドがなかっても床に寝たほうがいいのでは?これも謎です。
ジャンル:村上春樹原作ベストセラー
映画館:福知山シネマ2 1人/135席
鑑賞日時:2011年2月5日(土) 21:10~
私の満足度:70%
オススメ度:65%
【序】
封切は2ヶ月前だけど、福知山シネマは初日。村上春樹ファンでもないので
地元でやるのを待ってました。しかも何とレイト上映。果して何人はいる
のだろうと考えながら歩いてゆくと5分遅刻。
-今から入れますか。
-ちょっと待ってくださいね。
お客さんがゼロだったんで・・(と言って電話を取る)
もう電源落としてるんじゃなかなあ。
-それならいいですよ。
-(映写室へ)お客さんこられたんですけど、まだいけますか?はい。
(私へ)大丈夫です。
-ひとりのために申し訳ないですね。
-いえいえ、わざわざ来ていただいて上映できない方が申し訳ないです。
というわけで、やりました。私ひとりのために上映です。
福知山で映画館が復活して、早や3年半2名で鑑賞は何回もありましたが
ひとりで鑑賞は、東京のキネカ大森で「ジャンヌと素敵な男の子」をひとりで
見て以来の生涯2度目です。
フラットなフロアのど真ん中に座って、後ろを気にせず背伸びしたり、
首のマッサージをしたり。菊地凛子のあえぎ声が大きいときには、
ボリュームさげなあかんなあという気になったりと、一人鑑賞満喫です。
【ストーリー:gooHPから引用】
親友・キズキを自殺で失ったワタナべは、東京で大学生活を送り始める。
ある日、ワタナベは偶然にキズキの恋人だった直子と出会い、毎週直子と
東京の街を散歩するようになる。しかし、直子の20歳の誕生日、精神的に
不安定になった直子と夜を共にする。それ以来、ワタナベは直子と連絡が
とれなくなってしまう。さらに喪失感が深まり心を病んだ直子は、京都の
療養施設に入所していたのだ。直子に会いたくても会えない状況の中で、
ワタナベは大学で出会った不思議な魅力を持つ女の子・緑にも惹かれていく。
[2010年12月11日公開]
【感想】
恥ずかしながら、村上春樹作品は一冊も読んでいません。でもベストセラー
だけにまわりで読んでいた人もいました。学生運動が盛んな時代で、舞台は
京都の精神病院と聞いても興味はなくパスしてました。ちなみに、私は生れも
育ちも京都市左京区内でして区内で有名な某病院がその舞台だとの噂でした。
当時の私がもっていた一般の精神病院のイメージとしては閉鎖病棟で鉄柵の
向こうが病室というイメージです。その有名な病院のHPでも、以下のように
書いてあります。()内追記、**削除
『終戦から7年(病院開設の1952年)、残念なことに当時の社会は精神病者を
全くの厄介者と見なしていました。檻のような病棟の中に閉じ込め、隔離する。
人間として扱われず、差別と偏見の中に、精神病者は取り残されていたのです。
そんな病院に、1970年、理想に燃えた6人の青年医師たちがやってきました。
その時から開放医療を目指す**病院の闘いが始まりました。』
さて映画の舞台である1969年。ヒロイン直子が精神的に病んで入った療養施設。
映画の公式HPとか、各社の映画紹介のストーリーでも、病院じゃなくて、
療養所とか療養施設なんですね。映画でもたぶん病院という言葉は使ってない
のでは?で、映画ででてきたその療養所をみたときに、こりゃ前述の病院じゃ
ないなあと思いました。あんなところで療養できたら理想的じゃないですか。
山の中で緑があって、空気もよくて自然に溢れ。温泉療法はないでしょうけど
森林浴で癒されそう。ああここはノルウェイの森だと思いました。昔、飛行機
で、スウェーデンに降り立ったとき、ストックホルムからオスロに電車で移動
したときの緑が目に浮かびました。日本でよくこんなところみつけてきたなあ
と思います。ちなみにネットで調べると、前述の某病院説というのは、そうだと
いう話を聞いたという意見としてはあがっていたものがありましたが、その説を
となえる人はなく、モデルであるとの噂がある施設は同じ左京区内ながらもっと
北の方でした。マイナーな話題ですが、京都市左京区といっても南北に40km
ぐらいありまして市街地といえるのは、ほんの僅か。北半分は公共交通では
ちょっと無理という山奥が多くそのあたりなら映画のイメージにも近いなあと
思いました。もっとも作者は、モデルの施設はなく、架空であると言ってます。
その療養所で流れるのがタイトルでもある「ノルウェイの森」
直子『この曲を聴くと、深い森の中で迷っているような気分になるの。
どうしてだかわからないけど。
一人ぼっちで、寒くて、暗くて、誰も助けに来てくれなくて・・・。
でも、本当に一番好きな曲なのよ』
このセリフを聞いたときに直子にとってもう「ノルウェイの森」=「深い森」は、
自分自身で、療養所の周辺のみならず、療の部屋も、心の中も、東京で歩いた
公園もみ~んな「深い森」で、どんなに早く歩いても、同じところに来てしまい
抜け出せなくて、それでいて一番いごごちのいいところになってしまっている
のだと思いました。そう考えると、いろいろ不自然に思えたことも、それが
一番良いようにも思えてくるんですね。
例えば
-60年代の精神病の療養所が開放的すぎる
-菊地凛子が年とりすぎてる、ずぶとすぎる(繊細でない)
-水原希子のセリフが棒読みすぎる
-性交時に、なぜ下着をつけているのか
また、ストーリー的にも謎は多くて
-なぜキズキは死んじゃったのか
-なぜレイコはワタナベに長い手紙を書きつづけたか
等々、わからないというか私は間違って考えているかもしれないなあという
ところが多々あります。でも、不自然や謎の向こう側から「喪失感」「無力感」
「危うさ」が、人間そのものとして伝わってきました。
だから、映画のキャッチ・コピーである「深く愛すること。強く生きること。」
というよりも「どうにもならないこと。」であり、
本の帯の「100パーセント恋愛小説」というのでもなく
むしろ「100パーセントの実写版心象風景」の方がしっくりくるような、
凄い映画であると感じました。
ストーリーについては、謎についてのひとつひとつの私の解釈を書きたい気も
するのですが、とりあえず長くなったのでここまで。
映画を見た後、となりのスクリーンでは、まだハリーポッターをやっていて、
顧客さんが入っていてよかったなあと思いながら映画館を後にしました。
PS.ビートルズのノルウェイの森については、タイトルを訳したプロデューサが
誤訳であると発言していたり、歌詞について様々な議論があることを知り、
興味深くネットで記事を追いました。そのなかで、風呂場に寝に行く(to sleep
in the bath)というのがあるんですが、そんなことするんですかあ?
ベッドがなかっても床に寝たほうがいいのでは?これも謎です。