敗戦後の日本
おぞましいものや、物の怪(もののけ)や、
わけの判らぬ事態に遭遇して、人間は総毛立つ。
子どものころは、お化け屋敷探検や墓場の肝だめしなど、
反面、暑さしのぎのユーモアを潜ませていた。
興味津々、トムソーヤ成りきり気分でワクワクしたものだ。
そんな楽しい思い出がおありの大人たちは、
日本の今の子どもたちの心を気遣っている。
たまらなくって、大人が泣き叫びたい辛さにある。
子ども時代の夢を奪われた日本の子ども。
この残酷さは、身震いするほど悔しい。
昔、戦争で父親を亡くし、家族がバラバラになった例などは、山ほどもあった。
小学のクラスの友にも施設で暮らす友がいた。
彼女は頑張り屋だったから、泣き言を言わなかった。
きっと、心の中で戦っていたんだね。
でも、彼女にも、ぉらにも希望が輝いていた。
「生きてさえいれば、きっと素晴らしいことに出会える」
毎朝、昇る太陽を拝んでは
「おてんとさま、ぉらは一人ぽっちじゃありません」と叫ぶ。
よその子たちが
親子そろって夕ご飯の匂いが
そこここに立ち込めている日本の夕べ。
そんなあったけぇ玄関口を開けて「ただいまぁ♪」
意気揚々と吸い込まれていく。
奥のほうから、爺や婆や母親の声が聞こえる~「おかえりぃ♪」
敗戦後の食べ物がない時代も、
家族は芋の茎や豆や配給物資で生き延びたようだ。
金銀宝石・兜や刀剣などは
戦時中に国家へ収めたと聞く。
庶民はなけなしの帯や呉服を
列車に乗って農村へ出かけ、わずかな米と交換した。
たとえ、身ぐるみ裸になっても 「命」さえあれば何とかできる。
ぉらも小さなリュックを背負って、お米を運んだ覚えがある。
母は帯の間にまで米をつめていた。
米が見つかって摘発されるための防衛だ。
何とか、見逃してもらっていたようだ。
でなければ、生き延びられない。
摘発の警官もまた、家族を守らねばならなかった。
「命」守るための戦いを見た。
今、日本の子どもたちに、大人の闘いが見えるだろうか?
世界で、初めての
放射能放出量=福島原発事故は、
チェルノブイリを
はるかに越える凶悪な状況だ。
もはや、日本に任せられない。
かく情況に陥った、と思う。
①レベル8を提唱する博士。
②世界の各リーダー博士が行動されている状況。
③日本の政治が、世界に認識された「世界原子力村」であること。
など、ぉらの低頭脳で考えてみた。
とんでもない状況にありながら、
「脱原発」を叫ぶ人々が、被曝の汚染地域に多くの人々を集める「矛盾」。
これは、善意に解釈すれば
「放射能に対する認識の相違」である。
が、果たして「善意」で済んでしまうことだろうか。
東京都知事選も「東京の汚染度」の認識について、
ぜひ、候補者にお聞きしたいものです。
東京都民の「命」をいかが、守られますか?
東京都が行っている「瓦礫焼却」による放射能汚染拡大について、
どう、都民の「いのち」を守られますか?
既に、都民の健康問題が報告され続ける現状に対して、
どう、責任を取られますか?
責任がとられない問題に属すると考えますが、
いかが、お考えですか。
子どもたちの夢を奪い尽くした「原発」をいかが、なされますか?
縮緬雑魚(チリメンジャコ)にもならないミクロ婆より.