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春秋の覇者 三晋に分割

2005-07-19 17:42:41 | 十八史略を読む
十八史略を読む-17
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

文公の死後も晋は代々覇者の地位を保ち続けた。襄公、霊公、成公、景公、れい公を経て悼公(とうこう)のときになると、覇者の地位はゆるぎないものとなった。

しかし平公、昭公、けい公と経るうち、晋の公室は次第に衰え、六卿の范(はん)氏、知氏、中行氏、趙氏、魏氏、韓氏が勢力を強めてきた。そして定公を経て、出公の代になったとき、知氏、趙氏、魏氏、韓氏が同盟して范氏、中行氏を滅ぼし、その領地を分配した。

出公がこれに腹を立てたが逆に四氏に攻められる羽目になった。出公は斉に逃れ、そこで死んだ。次に哀公が立った。韓、魏、趙の三氏は同盟して知氏を滅ぼしその領地を分配した。

このあと幽公が即位したときには、公室の領地は僅かに絳(こう)と曲沃(きょくよく)だけとなり、残りは全て韓、魏、趙に領有されてしまった。この三卿がいわゆる三晋である。

幽公のあと烈公が立ったが、このとき三卿は周の威烈王の大命を拝受して独立し、それぞれ諸侯となった。

その後、孝公(こうこう)を経て静公の代になったとき、魏の武公、韓の哀公、趙の敬公は共謀して静公を廃し、平民に落とした上、その領地を分配した。こうして、晋の公室は絶え、もはや先祖を祀るものがなくなった。

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