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空言というコトバ

2005-10-11 05:31:32 | 中国のことわざ
中国のことわざ-60 空言というコトバ

空言とは真実でないコトバ、うそのことである。竹取物語に「かくあさましき空言にてありければ」とある。「空言を言う」などと使う。これは広辞苑に出ている。

漢和辞典には①「うそ・そらごと」のほか②「口で言うだけで実行の伴わないコトバ」とある。興膳宏氏によればどんな辞書でも大同小異でこの域を出ないそうであるが、この二つの意味でカバーできない「空言」が「史記」の「太子公次序:司馬遷の歴史観を知る手がかりとなる史記の序文」に見えるという。

孔子がかつて、「春秋」を著したとき、春秋時代242年間の歴史への評価を行う方法論について述べた言葉を引用している。

「私はそれを空言に記そうとしたが、実際の史実に基づいて示す方がずっと明らかだ」
漢和辞典ではこれを②に相当する事例としてあげているそうだ。

しかし興膳宏氏は孔子が「実行力のない口先だけの言葉」で春秋を著そうとしたはずがないとし、「空言」の「空」は、もともと「実」に対する概念だから、先の孔子の言葉を「空なる(抽象的な)言(ことば)で歴史評価を行うよりも、史実そのものを示す方がわかりやすい」と解釈すれば腑に落ちるのではないかとしている。

司馬遷の「空言」についてこうした発想の転換を促したのは、アメリカの中国学者バートン・ワーソン氏(今鷹真訳「司馬遷」1965年筑摩叢書)であり、最近では多くの史記の翻訳がこの解釈を取り入れているという。

出典:広辞苑、日本経済新聞10月9日朝刊漢字コトバ散策


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