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火牛の計

2005-07-28 12:27:28 | 十八史略を読む
十八史略を読む-36 
戦国の七雄-1 斉その13 火牛の計
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

斉の「びん王」は宋を滅ぼしてすっかり慢心していた。その虚をついて燕がかつて斉にうち破られた怨みを晴らそうと斉に攻めてきた。びん王は「きょ」に逃れたが、燕を援助した楚の将軍に殺されて、土地も燕と楚とで分配されてしまった。

斉に王孫賈(おうそんか)という男がいて、彼はびん王とはぐれてしまい、家に一人で帰ってきた。家には母がおり、息子に母は「王様が危難に遭っているときにはぐれて、よくもまあこの家にのこのこと帰ってきたね。恥を知りなさい」と叱った。

発憤した王孫賈は楚軍に決死の斬り込みを敢行し、見事に楚の将軍を殺し、びん王のあだを討った。そしてびん王の子である法章(ほうしょう)を探し、王位につけ、なおも燕に抵抗した。

このとき、斉の城は「即墨(そくぼく)」と「きょ」が残っているだけに過ぎなかった。即墨の人々は田単を将軍に推したてた。田単は自ら板やすきを持って、兵士と共に泥まみれになって城を築いた。そして妻や妾までも隊伍に組み込んで働かせた。

一方で牛を使った次のようなスペインの闘牛を思い起こさせるような策略を用いた。まず、城中から千頭の牛を集め、これに五色の竜の絵を描いた赤い絹の着物を着せた。

そして牛の角には刀を縛り付け、尾には油をしみこませたタイマツを結びつけた。城壁に数十の穴を開け、夜になるのを待って、牛の尾のタイマツに火を付け、一斉に牛を解き放った。そのあとには決死隊が続いた。

尾を焼かれた牛は怒り狂って、燕軍に突っ込んでゆく。これとともに決死隊が鬨の声を上げて進む。

燕軍はあっという間にばたばたと倒れ,恐れおののき、敗走に敗走を重ねた。こうして斉は奪われていた70余城をことごとく奪還する事ができた。

かくして、田単は「きょ」から襄王を迎えた。襄王は田単に領地を与え、安平君とした。

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