石川県ロシア協会は、毎年8月第一土曜日は、金沢市野田山にあるロ
シア人墓地(戦没者慰霊碑のそば)での墓前祭を長年つづけています。
日露戦争で捕虜になったロシア兵で病気となり金沢で亡くなり、祖国に
帰ることができなかった人たちを、日ソ協会(現在のロシア協会)の
先輩たちが、手弁当で墓をつくったのです。ロシア旅行で行かれた人も
いますが、第二次世界大戦で、ソ連の捕虜となり、現地で亡くなった
日本人のためのお墓もロシア人の手によって守られています。

15日は寒い日でしたが、能登内浦にあるロシア人墓地を訪問。県ロシ
ア協会会員と七尾支部の会員、県国際交流課長はじめ地元能登町役
場職員や議員のかた、そして在新潟総領事も出席して頂きました。
小木港は長い間、イカ釣り漁業の基地として、北方特に間宮海峡近辺
で漁をしていました。国境近くであり、拿捕も続出する中、友好親善
関係で平和的な漁の解決をと、多くの漁民や町役場職員の方が日ソ
協会に入会されていました。

日露戦争での2名のロシア兵の遺体が小木港に漂着し、地元の方が
葬って頂いた。昭和41年(1966年)に日ソ協会(現在のロシア協会)
内浦支部の皆さんが、高瀬山と長尾地区にお墓を建立されました。
後に、はるか日本海をこえて故郷ロシアを見れるようにと高台の現地
に慰霊碑を移転されました。歴史も記載してあります。

当日は、現地の神主にお願いし、神式の慰霊祭。祭文のあと、玉ぐし
を交代でささげました。初めての、神式のやり方にとまどいながら、
総領事や県交流委員のアンナさんも参拝。祭壇には、お神酒、お米に
加えて、ウオッカも。

長尾地区は、現地の方々のお墓と同居して、平地にあります。ここで
も一同で参拝。

内浦湾傍の松波にも、民間の方が建てられた碑があります。手書きで
書かれた日本海も薄くなっています。手作りの碑の前でも参拝しまし
た。今年の夏には、ノボシビルスクとイルクーツクで日本人墓地の参
拝、そしてこの日は、内浦で、ロシア人墓地への参拝。戦争は絶対
反対、この気持ちを強くした一日でした。
シア人墓地(戦没者慰霊碑のそば)での墓前祭を長年つづけています。
日露戦争で捕虜になったロシア兵で病気となり金沢で亡くなり、祖国に
帰ることができなかった人たちを、日ソ協会(現在のロシア協会)の
先輩たちが、手弁当で墓をつくったのです。ロシア旅行で行かれた人も
いますが、第二次世界大戦で、ソ連の捕虜となり、現地で亡くなった
日本人のためのお墓もロシア人の手によって守られています。

15日は寒い日でしたが、能登内浦にあるロシア人墓地を訪問。県ロシ
ア協会会員と七尾支部の会員、県国際交流課長はじめ地元能登町役
場職員や議員のかた、そして在新潟総領事も出席して頂きました。
小木港は長い間、イカ釣り漁業の基地として、北方特に間宮海峡近辺
で漁をしていました。国境近くであり、拿捕も続出する中、友好親善
関係で平和的な漁の解決をと、多くの漁民や町役場職員の方が日ソ
協会に入会されていました。

日露戦争での2名のロシア兵の遺体が小木港に漂着し、地元の方が
葬って頂いた。昭和41年(1966年)に日ソ協会(現在のロシア協会)
内浦支部の皆さんが、高瀬山と長尾地区にお墓を建立されました。
後に、はるか日本海をこえて故郷ロシアを見れるようにと高台の現地
に慰霊碑を移転されました。歴史も記載してあります。

当日は、現地の神主にお願いし、神式の慰霊祭。祭文のあと、玉ぐし
を交代でささげました。初めての、神式のやり方にとまどいながら、
総領事や県交流委員のアンナさんも参拝。祭壇には、お神酒、お米に
加えて、ウオッカも。

長尾地区は、現地の方々のお墓と同居して、平地にあります。ここで
も一同で参拝。

内浦湾傍の松波にも、民間の方が建てられた碑があります。手書きで
書かれた日本海も薄くなっています。手作りの碑の前でも参拝しまし
た。今年の夏には、ノボシビルスクとイルクーツクで日本人墓地の参
拝、そしてこの日は、内浦で、ロシア人墓地への参拝。戦争は絶対
反対、この気持ちを強くした一日でした。