佐倉城
2011-03-10 | 城址
老中・土井利勝が徳川家康の命により慶長16年から元和3年の7年間をかけて
佐倉城を築城し その周辺に城下町が形成された
現在の城址は国立歴史博物館が主要な建物となっている
個人的には明治の初めに取り壊された天守閣の復元や城門等の保存だが
本丸跡はさくらの時期はお花見でにぎわうが今は誰~れもいない
周囲は土塁で囲まれ 天守閣跡だけが残る
ソメイヨシノではないけれど 一本だけ開花し始めた
明治時代の始めになると 佐倉城内は陸軍歩兵連隊が駐留することとなる
ここから日露 日清 太平洋戦争へ出兵 陸軍病院もあったことから
戦後 昭和50年頃まで木造の病院があり お見舞いに行ったこともある
佐倉城は初代土井利勝から始まり 徳川譜代の有力大名が治め
堀田氏が一番長い期間 城主であった なんたって
昭和40年代でも 堀田の殿様が佐倉市の市長であった
幕末には堀田正睦 筆頭老中としてハリスとの日米修好通商条約
をまとめ開国へと導いた
大手門近くの広場では河津さくらが咲き始め
天守閣の復元 何時だろか →
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佐倉城を築城し その周辺に城下町が形成された
現在の城址は国立歴史博物館が主要な建物となっている
個人的には明治の初めに取り壊された天守閣の復元や城門等の保存だが
本丸跡はさくらの時期はお花見でにぎわうが今は誰~れもいない
周囲は土塁で囲まれ 天守閣跡だけが残る
ソメイヨシノではないけれど 一本だけ開花し始めた
明治時代の始めになると 佐倉城内は陸軍歩兵連隊が駐留することとなる
ここから日露 日清 太平洋戦争へ出兵 陸軍病院もあったことから
戦後 昭和50年頃まで木造の病院があり お見舞いに行ったこともある
佐倉城は初代土井利勝から始まり 徳川譜代の有力大名が治め
堀田氏が一番長い期間 城主であった なんたって
昭和40年代でも 堀田の殿様が佐倉市の市長であった
幕末には堀田正睦 筆頭老中としてハリスとの日米修好通商条約
をまとめ開国へと導いた
大手門近くの広場では河津さくらが咲き始め
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