剣聖・宮本武蔵の里を訪ね~~
湯郷温泉で体を癒した明くる日に、宮本武蔵の里を訪ねました
約一時間程、山道を走らせ智頭急行線の「宮本武蔵駅」に
向かいました・・・こんな強そうな駅名なんて珍しいですよね~
左の建物は待合室で階段を上がった所がホームです・・・
此の智頭急行線の駅舎は結構、瓦葺きの趣が有る風情です
駅舎の前には子供時代の「武蔵・お通・又八」の銅像が有ります
ホームには迫力有る?(老齢)の武蔵の陶板画が飾られて居ました・・・
五輪坊の中庭には二刀をかざした若き武蔵像が建って居ました~~
迫力満点の今にも振りかざして来そうで凄かったよ~
(こんなへっぴり腰の岡っ引きには歯が立たないニャァ==ェヘェ)
武蔵道場と書かれていたんだけど、中は見学出来なかった・・
此処で修行したのですかね??
武蔵資料館(五輪坊)には絵画・彫刻・小柄・武具・工芸品など
ゆかりの作品が展示されて居ます・・・
剣聖そして芸術家としても優れた才能が有ったのですね~
武蔵生誕地=武蔵は天正12年3月(1584年)美作宮本村に置いて
父無二斉・母お政の次男として生まれたんですよね
奥の白壁作りが生家で、元は草屋葺きだったんですが暴風雨で大破したり
昭和17年の火災で焼失したんですね・・・
其の跡に現在の瓦葺きの家を建てたものだと言われています・・・
右の茅葺きは武蔵の姉(おぎん)の嫁ぎ先だとされ大きな「平尾家」です
元和9年、おぎんの次男(九郎兵衛景貞)がここを住居にして
武蔵家を相続したと言われています~~
武蔵神社=郷土の生んだ剣聖を祀る神社として建立されました・・
右は武蔵の眞筆刻字「戦気 寒流帯月燈如鏡」・・(意味不明~ご免なさい)
武蔵は正保二年(1645年)九州熊本で没したが、九年後に
養子伊藤が武蔵の里に魂を帰す為に、ここ平田家の墓地に分骨したと言われています
左が剣聖宮本武蔵のお墓で何か太刀先にも見えますよね~
右は父(無二斉)・母(お政)も眠って居ます・・武蔵の叔父武助の子孫が守って居るんです
武蔵の里・動画
神社の中に少し崩れかかった石段に囲まれ
墓石も苔と刻印も少し崩れかかって読みにくく成っています・・・
(私も勝負強く成る様にお願いしてきましたニャァ~)
宮本武蔵決闘の場=武蔵が13歳の時、眞当流の達人「有馬喜兵衛」を金倉橋の
たもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したと言われています・・・
戦いの場の向かいに「平福駅」が有り、ここも瓦葺きの駅舎です
右は江戸時代、平福藩刑場跡として伝えられて居るところから
此の六地蔵が供養の為に建てられたと考えられているんですよね~
一泊二日の湯郷の旅も終わり、中国自動車道・佐用ICから帰路に着きました
吉川ICから阪神高速北神戸線で藍那で降り、3時頃に着きました~
長くなりました・・・ご覧頂き有り難う御座いました==
湯郷温泉で体を癒した明くる日に、宮本武蔵の里を訪ねました
約一時間程、山道を走らせ智頭急行線の「宮本武蔵駅」に
向かいました・・・こんな強そうな駅名なんて珍しいですよね~
左の建物は待合室で階段を上がった所がホームです・・・
此の智頭急行線の駅舎は結構、瓦葺きの趣が有る風情です
駅舎の前には子供時代の「武蔵・お通・又八」の銅像が有ります
ホームには迫力有る?(老齢)の武蔵の陶板画が飾られて居ました・・・
五輪坊の中庭には二刀をかざした若き武蔵像が建って居ました~~
迫力満点の今にも振りかざして来そうで凄かったよ~
(こんなへっぴり腰の岡っ引きには歯が立たないニャァ==ェヘェ)
武蔵道場と書かれていたんだけど、中は見学出来なかった・・
此処で修行したのですかね??
武蔵資料館(五輪坊)には絵画・彫刻・小柄・武具・工芸品など
ゆかりの作品が展示されて居ます・・・
剣聖そして芸術家としても優れた才能が有ったのですね~
武蔵生誕地=武蔵は天正12年3月(1584年)美作宮本村に置いて
父無二斉・母お政の次男として生まれたんですよね
奥の白壁作りが生家で、元は草屋葺きだったんですが暴風雨で大破したり
昭和17年の火災で焼失したんですね・・・
其の跡に現在の瓦葺きの家を建てたものだと言われています・・・
右の茅葺きは武蔵の姉(おぎん)の嫁ぎ先だとされ大きな「平尾家」です
元和9年、おぎんの次男(九郎兵衛景貞)がここを住居にして
武蔵家を相続したと言われています~~
武蔵神社=郷土の生んだ剣聖を祀る神社として建立されました・・
右は武蔵の眞筆刻字「戦気 寒流帯月燈如鏡」・・(意味不明~ご免なさい)
武蔵は正保二年(1645年)九州熊本で没したが、九年後に
養子伊藤が武蔵の里に魂を帰す為に、ここ平田家の墓地に分骨したと言われています
左が剣聖宮本武蔵のお墓で何か太刀先にも見えますよね~
右は父(無二斉)・母(お政)も眠って居ます・・武蔵の叔父武助の子孫が守って居るんです
武蔵の里・動画
神社の中に少し崩れかかった石段に囲まれ
墓石も苔と刻印も少し崩れかかって読みにくく成っています・・・
(私も勝負強く成る様にお願いしてきましたニャァ~)
宮本武蔵決闘の場=武蔵が13歳の時、眞当流の達人「有馬喜兵衛」を金倉橋の
たもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したと言われています・・・
戦いの場の向かいに「平福駅」が有り、ここも瓦葺きの駅舎です
右は江戸時代、平福藩刑場跡として伝えられて居るところから
此の六地蔵が供養の為に建てられたと考えられているんですよね~
一泊二日の湯郷の旅も終わり、中国自動車道・佐用ICから帰路に着きました
吉川ICから阪神高速北神戸線で藍那で降り、3時頃に着きました~
長くなりました・・・ご覧頂き有り難う御座いました==
岡山の美作市は帰省の時に立ち寄るPAなんです~♪
「宮本武蔵駅」なんて名前の駅があるんですねぇ~
なんだか駅も待合の感じも普通の駅とは
違いますね~武蔵ファンでなくとも
行ってみたくなりますねぇ(* ̄▽ ̄*)フフ
道場は公開してないんですね~
残念でしたね。。
でも楽しい旅になったようで…(*^-^*)
宮本武蔵駅。
すごく趣きがあって素敵♪
駅には見えないですね。
近代的な駅もいいけど、こういう駅を巡る旅をしてみたいです。
つもりのコメントが無い
宮本武蔵さんは岡山に分骨されて岡山にも
眠っているのですね
13歳で倒したとは凄いですね!
いまだに親族が守って見えるから
立派な家系だったのですね
素朴な所に整地された里山ですね
mizocyanさんの近くに良い所がありますね
温泉と 素朴な風景に癒されて
ご夫妻で楽しい旅行で良かったですね!
人名が駅名になっているってそうそうないですよね。
駅舎の方から見ると、とても駅前とは思えない佇まいですよね。
温泉と書かれていますが、武蔵もここで湯治をしていったのでしょうか?
街並みが、今の日本じゃないような雰囲気も好きですね。
昔はどこもかしこもこんな風景だったんですけどね…。
たれぼうこさんちの故郷は岡山なんですね~
岡山には兵庫からは近くて良く遊びに行きますよ=
武蔵の里は今回で二度目なんですが
此の武蔵駅は初めて知り寄って見ましたね~
国道から少し入った農村地帯の中にひっそりと勿論、無人駅なんですが結構、趣の有る駅舎でしたね
今回の一番の目的は「武蔵のお墓」だったので其れを見れて本当に良かったです・・・
又、機会が有れば寄って見たいですね~
智頭急行と名前は素敵なんですが
勿論、単線で一時間に一本ぐらいの一両車両で
のんびりと走って居ましたね~
ホームには武蔵の陶器絵が印象深かったですね~
前後にはトンネルと田舎ならではの景色でしたよ~
どうしたんだろうね?ご免なさいね
その様ですよ~九州で無くなったんですね~
此の生家の有る此の地に分骨されたんですね
矢張り剣聖と謂われた様に幼少の頃から
才能と言うか天性の力を秘めて居たんでしょうね・・
生誕地は裏には山、前には綺麗な川と
幼少の頃には遊び場所には困らなかったでしょうにゃぁ~
神戸からだと中国・山陽道と高速が有り
2時間位で行けるので手頃な旅行ですよ~
矢張り此も観光の為の命名なんでしょうね
でもこう言う駅名も面白くて印象に残りますよね==
此の辺にも結構、温泉が有りますね~
きっと武蔵も幼少の時は入ったでしょうね~
駅舎は少し高台に成って居るので、石段なら良いんだけど、鉄筋なのが少し風情を壊して居ますよね・・・
丁度、瀬戸内海と日本海の真ん中ぐらいの
田舎町なので、古い町並みとか茅葺きの
民家、棚田などがとっても素敵な風景ですよ~
宮本武蔵の里っていう所があるんですね
駅の名前も宮本武蔵ってついてるんですね
びっくりです。
瓦葺きの駅舎が多いところなんですね。
資料館もあって宮本武蔵の歴史にいっぱいふれることができますね。
道場も見学なかったのはちょっと残念でしたね。
昔闘いのあった場所ですがいまはこうしてのどかな風景で湯郷の旅、いっぱい楽しまれましたね。
行ったことない所や知らなかった所を、いろいろ見せていただけてありがとうございまーす(^^)
いつもイラストも楽しいの上手に探されてますね(^_^)v
駅の名前には私もびっくりしましたね~
其れに仰有るとおり、此の智頭急行の駅舎は
結構、瓦葺きの駅舎が多いですね~
其れが一段と風情が有り近親感が湧きますよね
此の資料館は泊まりも出来るんですよね~
掛け軸・武芸品とか沢山の資料が展示されていました・・・
決闘の場は国道と川の間に有り、今では
只の野原なんだけど、其れなりに何かを感じる
様な場所でしたよ・・・
イラストはドット打ちで私が造りましたよ~
此のドット内で何点かアニメを造リマしたニャァ~~