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かーちゃんはつらいよ

施設入所した19歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

春は別れの季節

2013年03月24日 16時39分20秒 | みゆみゆとの生活
午後から、川島環境楽園に行ってきました。
あたたかくて、お花が咲き始めていて、とても気持ち良かったです。

3月。
別れの季節。

そうちゃんの隣のクラスにいる支援員の先生が、この年度末で退職されるということを、終了式の朝、知りました。
新卒の若い男の先生で、4月は学生さんの雰囲気をそのままフレッシュに持っておられました。
そうちゃんとも、朝の30分、体育の授業、給食等、かなりの時間関わってくれました。
おそらく、はじめての生徒だったと思います。

その先生が、帰りに児童クラブに寄ってくれ、そうちゃんにお手紙を写真をくれたと、児童館の先生にあとで教えてもらいました。
しかも、渡してくれただけではなく、そうちゃんの前に立って、お手紙を読み上げてくれたそうです。
先生は読みながら涙ぐまれ、周りにいた児童館の先生たちもほろりとした、とのことでした。

そうちゃんの持ち帰ったそのお手紙を夜読んで、私も泣けました。
手紙の最後には、こう書いてありました。

「そうちゃんのえがお、すてきでした。
 ほんとにありがとう。そして、さようなら。
             ○○せんせいより」

みんなに迷惑を掛けるばかりの存在と思われがちなそうちゃんに、まっすぐに「ありがとう」と言ってくれる人がいたということ…。
実際に、「先生」になったばかりだった先生にとって、そうちゃんの笑顔に救われた日はあったのかもしれない。
なんだか切ないような温かいような気持ちになって、ワインを飲みながら泣きました。夫と二人で。

言葉の意味がはっきりわからないそうちゃんに、読み聞かせてくれたその気持ち、親はしっかり受け止めました。
そうちゃんの存在意義をかみしめ、先生の親の気持ちにまでなって、ワインと一緒に飲みほしました。

他にもそうちゃんは、先生方力作の写真アルバムなどを持って帰ってきました。
通信簿も、作品集も、手のかかり方が普通級とは違います。

そうちゃんのようなタイプに、通常小学校で出会うことはかなり少ないはず。
経験がなく、助言者もほとんどなく、教材やノウハウもない中、それぞれの先生がそうちゃん個人のことを考えながら一生懸命関わってくれた1年でした。
本当にありがたいです。。

一方で、通常小学校の限界についても思うところの多い一年でした。
そうちゃんのような子を親も学校も余裕を持って小学校で教育できるようになるには、まだまだ10年、20年はかかるのだろうなと思いました。
地域から「最初からいなかったかのように」排除されたくない、という思いから、まず「そうちゃんを知って欲しい」と入れた小学校でしたが。

そうちゃんにとってはどうだったのかな。
養護学校に行って落ち着いた環境で専門教育を受けていればもっといろいろできるようになったのかな。
アルバムを見て、先生方の御苦労を思いながら、やっぱりそんなことを考えて、泣きました。

ご心配なく。気持ちが沈んでいたというわけではなく、ワインのせいです、たぶん。
一年最後の夜は、感傷的な晩でした。

どちらにせよ、元々そうちゃんを6年生まで地元小学校に通わせるつもりはありません。
先々生きるための力を身につけていくためには、現在の教育制度では、養護学校でないと無理だと、わかっているので。(少し悲しいけれど。)
いつ転校するか。
3年生からか、4年生からか、そこを迷っています。
26年度、新設の養護学校ができるので、情報収集中。

卒園して1年。
よく頑張った。そうちゃんも、親も。
学校はじめ、支援者のみなさんのおかげで、この一年、できるようになったこともたくさんあります。
一人でトイレに行けるようになって、一人で眠りにつけるようになり、数字が読め、自分の名前が読めるようになった。
1年、よく頑張ったね。
先生方を悩ませたこと、お友達に知ってもらえたこと、価値のある一年だったと思う。
お母さんからも、そうちゃんに、ありがとう。