ヤミノツカミDIARY

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見出される価値

2005年12月20日 | 日常
 最近、ちょっとしたことで驚くことが多くなりました今日のとりびあー
 これは本当に知りませんでした。4年に一度の「うるう年」はもちろん知ってい
ましたが、まさか「うるう秒」などというモノまで存在していたとは……井の中の
蛙でした。まだまだ知識の大海は広い。
 あぁ、でも、うるう年の概念があるのだから、うるう秒があってむしろ当然とい
うわけだ。
 そんな帰結に気づかず、知ると思わず「なるほど!」と唸ってしまうあたり、私
の頭は間が抜けているというか、いかに大雑把に生きてきたかがわかってしまうと
いうものです。
 身近な不思議なんて、探そうと思えばいくらでもそこいら中に点在している。
「人生は変わりなく怠惰だ」と嘆いている方は、努力や気持ちよりも、むしろ注意
力が足りません。人生は、世界は、もっと面白いコトでいっぱいですよ?

 実はこっそりと(虫食いですが)観ていた『1リットルの涙』が、今日で最終回
を迎えました……。
 忌憚ない言葉で言います。このドラマは、正直、ベタだ。
 主人公が不治の病、次第に身体の感覚を失っていく症状で、それゆえに己の存在
に苦悩し、絶望し、けれど健気に生きて、少しずつでも前に歩こうとする――。
 いくらでもあります、そんな話。
 作中でなくても、現実でもそんな人は多いし、だからこそ創作でも描かれます。
もっと苦しい病気の人もいるでしょう。もっと涙を流した人もいると思います。
 ……でも、それでも。
 心打たれてしまうのは何故なんだろう?
 対比して、己のほうがまだ幸せだと感じるからでしょうか。それとも同情でしょ
うか。
 だけど、少なくとも確信して言えるのは、「人の命は尊い」、ということ。
 これまたベタな言葉ですが。心打たれるのは、人の命は、たとえどんな形であろ
うとも価値があるのだ、と私自身が感じているからかもしれません。
 どんなに短命でも、不幸でも、己を磨き、輝こうとした原石に曇りは無い。価値
を生み出すのは己自身ですが、価値を認めるのは周囲なのです。
 どんなにベタでも、輝かしい命は美しく光ります。だからこそ原作は180万部も
売れたのだと思うし、それだけ彼女の人生に価値があったと喜ばしく思うのです。
 彼女の流した1リットルの涙は無駄ではありません。死ぬまで己が苦悩した想い
は、後の世の価値となり、希望の泉として皆の渇きを潤すでしょう。
 何かを遺せるというのは、きっと、それだけで幸せなことなのかもしれません。