ヤミノツカミDIARY

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在りし日の道程

2005年12月05日 | 日常
 この時期、忘年会が多くなるというのは前述の通り。
 私の職場は、私と一番歳の近い人でも一回りは違います。そのため、幹事でもあ
る私は、その年齢のギャップを埋める努力をしなければならないのでした。
……ありていに言うと、二次会のカラオケでどんな曲を歌ったら上司に喜ばれるの
かなー、と(^^;
 私は昔の曲なんてほとんど知りません。私は必然とも言える理由で、とりあえず
一番身近な両親へとその質問を投げかけてみることにしたのでした。
 最初は若い頃のベストヒットの羅列を試みていましたが、どうにも記憶から引っ
張り出せないらしく、仕方なく話の方向は、誰々があの時歌っていたのは何て曲だ
ったっけ、という思い出話に――。
 父は(見た目にも)カタブツそうで、歌ったり遊びに行ったりとかしないイメー
ジがあったのですが、若い頃は以前務めていた会社の友人たちと、様々なところへ
遊び回ったそうです。
 時には母に電話もせずに友人宅で宿泊して、その後母と大喧嘩になったとか。私
は父と母が喧嘩をしているところを一度も観たことがありません。私が生まれる前
に、そんなことがあったなんて……なんだか、ちょっと感慨深いです。
 他にも、私の知らない父の友人の話や、遠路はるばる出向いた従姉妹の結婚式、
新婚旅行、心に残った思い出の土地……などなど。
 延々と続く両親の思い出話は、不思議なことに、聴いているだけで胸にこみ上げ
るものがありました。
 だから私は、思わず、こう言ってしまったのです。
「なんだ。二人とも、結構幸せな人生を送っているんじゃないか――」
 しかし母は、苦笑とも不平とも取れる微妙な表情を顔に浮かべて、
「何言ってんの。ここまで来るのには、それ以上に苦労もあったんだよ。全部が幸
せな人生なんて、この世にあるはずがない」

 ――不覚にも、とても衝撃を受けました。
 私は、私が生まれてからの両親しか知りません。だけど、私が生まれる前にも両
親には道があって、ここまで歩いてきた道程には、たくさんの思い出を残してきた
のでしょう。
 物事を私の尺度でしか捉えていなかった自分自身が、とても小さく思える。
 一番身近な人たちでさえ、私以上に様々な経験を積んで生きてきたのです。そん
な当たり前のことを認識する機会は意外にも少なく、そして気付けることは幸福だ
と感じます。
 ガラにもなく、そんな素直な感賞を抱いた一日でした。
 ……でも、やっぱり、少なくとも両親のそれは幸せな人生だと思うんだ。
 だって、苦労があったからこそ、乗り越えたときに幸せであると気付けるんだから。