Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

尊厳死

2006-04-09 14:31:19 | Weblog
最近は下火になったけど、少し前に医師が末期の入院患者の呼吸器を外したというのが問題になった。でもオレは何度考えても、何が問題なのか全く理解できないんだよ。普通に考えたら、あとは死が来るのを待つだけって人を、いつまでもマリオネットのように管に繋ぐことの方がよっぽど非人道的じゃないか。野原に横たわる傷付いたライオンを、助ける奴がどこにいる。同じように人間だって自分の手で何も出来なくなったら死ぬしかないはずだ。だからそれを促すのは至極当然の行為であって、遺族との合意云々を問題視することの意味が分からない。殺人だ何だってみんなで大真面目に議論してるなんてのは、オレからしてみりゃ頭がイカれてるとしか思えないね。

だいたい残された家族だって、本音では一瞬でも早く管を外してほしいって思っていたはずだよ。植物状態って言ったってCo2を吸収するわけでもなければ、見ていて癒されるわけでもない。その上バカ高い金はかかるわ、生きてる間は見舞いもしなきゃならないわで、いいことは一個もないんだから。でもなぜすぐに殺してくれと言えないかっていえば、社会から精神的リンチを受けるからなんだね。そんなこと言った日にゃ、もう影でボロクソに言われるのは目に見えてる。だから手を尽くしたって言い訳をするために仕方なくしばらくは生かすだけ。所詮ポーズなんだよ。

オレなんて今から親に言ってるもの。年寄りになって役に立たなくなったら、どっかに捨てに行くからなって。山と海どっちがいいかってね。家族なんて所詮そんなもんなんだよ。利害があるから繋がってるだけで、それ以上の意味はない。それを勘違いしてやたらと神聖化するから、よその子供を平気で殺すような事件が起こるんじゃないか。家族愛ってのは要はナショナリズムだからね。加熱したら危ないに決まってる。それなのにナショナリズムは批判される一方で、家族の愛ってものは素晴らしいということになってる。そんなおかしな話はないよ。家族との関係なんてのは、友達以上恋人未満くらいが丁度いいんだ。

それくらい割り切っていれば、親が死んだ時に呼吸器を外すか外さないかくらいで迷わないよ。懐を痛めてまで、生かすなんてありえないからね。オレは即決できる自信はある。息を吹き返すかも知れないから、ってバカを言え。生き返ってもらっちゃ困るんだ。こちとらはもう倒れた瞬間に生命保険の使い道は考えてるんだから。それにオレは長男だからスピーチだって考えなきゃならないしね。どうぞそのままでいてくださいって話さ。

そんなオレからしてみたら、残された遺族が今になって“外してくれとは頼んでない”なんて話すのは、金目当てが見え透いていて、見るに耐えないね。きっととんでもないお宝でも掘り当てた気分なんだろう。何千万かのお金を取れるって万歳してるに違いない。それでもそれを正直に言えるくらいなら、まだ健全だって思えるんだけどね。ヒューマニズムに訴えて、さも自分を正義のように仕立てるのは、見ていて反吐が出る。何が家族を返せだって。どう転んだって死んだ人間じゃないか。どこまで図々しいって言うんだよ。


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