Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

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2014-01-27 01:08:44 | Weblog
 突然だけど、今日でこのブログを開設してから3000日が経ったそうです。3000日と言うと8年以上になるのか。我ながらすげー。もはやひとつの歴史っすね。

 初めてブログを更新した時のことは割と鮮明に覚えてる。やっぱりすごい高揚感があったし、高校時代にも日記を付けていたくらい俺は昔から文章を書くのが好きだったのだけど、それを公に出せるのは自分にとっては結構な感動で。たとえ感想をもらえなくとも特に友達などには「自分はこんなことを考えてる」というのを知ってもらいたい気持ちもあって、それはダイソーの日記帳では叶わないことだからね。

 3000日の節目に過去の記事を読み返してみると、初期の頃は「社会的な事件を斬る」みたいなことばかりやっていたんだね。今見ると色々きつすぎるけど、まぁ当時の俺なりに色々考えていたんだろう(笑)。その頃とは丸っきり思想も変わったし、最近は1周回って「政治について語るのはカッコ良くないかな~」という風になってきているけれど、きっとそれも含めて8年間の足跡ってことなんでしょう。

 ただ、一貫しているのは、俺にとってブログがすごく大事だということ。さっきも書いたように俺は「自分を知ってくれ」という超面倒臭い人間だし、最近つくづく思うのはブログって一種のカウンセリングなんだよね。気持ちが塞ぎ込んでも俺にはそれを相談できるような人がいないけど、情けない自分を主人公に記事を書けば大抵は正当化されるし、文章のデキ如何では収支を黒にまで持っていけるという。

 でも、だからと言って、鬱系の文章一辺倒にはしたくないと思う。変な下ネタを言うのもまた俺だし、周りが引くくらいの毒を吐くのも俺。ポエム調の文章で日々の葛藤を描くのももちろん俺。それら全てがひとりの人間に同居するから楽しいんだと思うし、そのバランスみたいなことはすごく考える。文章は熱が最も大事だと思うけど、同時にそれを背中越しに冷笑するニヒリストな自分もいなくちゃいけない。

 最近はブログの更新も途絶え気味で、それは自分で設定したハードルを超えれないのが一番の原因なんだけど、あとは文章それ自体に価値を見出せなくなってきているのも正直ある。映像技術は日々進歩を遂げるのに文章はいつの時代も大して変わり映えしない。言語表現でレボリューションを起こす人は現れないのか。きゃりーぱみゅぱみゅの歌詞を見ると、ほんの少しその臭いを感じたりもするけどね。

 とは言え、自分がどこまでもブログをやめれないのも事実。結局俺は見つめ合うと素直にお喋りできないし、他人に対しても自分自身に対しても文章でしか存在を示せない。鳥が絶えず羽を動かすように俺もブログを書き続けるしかない。文を作ることなんて億劫でしかないし、更新間隔が開くと「そろそろ書かなきゃ」という焦燥感がマジ半端ないけど、そこから逃げた瞬間に大切な何かを失いそうな気がする。

 というわけで、今後もぼちぼち頑張っていくので、ご愛読のほどよろしくお願いします。こんな文章を読んくれる人がいるだけでも俺は超ウルトラ幸せ。割とマジにそう思ってます。


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