※忙しい日が続いています、あくまで自分のメモで。
◆6月3日(水)快晴。28-21℃
相変わらす老病(もじゃ公)の輸液、強制給餌、投薬、おむつ交換の呪文は続く。
似たような年齢の腎不全の猫(みーみーぼー)はケージレストにして、輸液を入れている。
ストロベリームーンの一歩手前の月。
◆6月4日(木)曇りから晴れ。28-20℃
相変わらず、お世話の日々。2匹の輸液。いつもの呪文を何度も。
もじゃ公㏘11時30分摘便。
なお、この日から、ケージレストの老猫にはアイスノンを包んであげる仕事を開始。気温はどんどん上昇中。
もう一匹は、これだけ暑いのに、相変わらずヒーターの上に座っている。
◆6月5日(金)快晴。29・9℃ー20℃
いつもの手当の呪文。
ふと気がつけば、庭のファイジョアが満開なのすら、もはや気が付かない。
皮肉にも、ブログを書かないことで、大分休めているという。その分色々考え、リアルな女友達と話し合えた。しかし、このコロナ禍、電話である。もう、何かにつけても、「外に出なくても良いや」の習慣になったし、コロナ太りでなく、今痩せてきた。
そして、外への憧れが徐々に諦めになった、本当に外の風景を見ていない。
◆6月6日(土)曇り。29-23℃
猫をいつも通りのお世話、ずっと低空飛行で、急変は無いだろうというギリギリの安定さを保つ猫、
耳を撫でてやると大喜びをする、「いい子だ」とたまに話しかける。深夜の全てのお世話をすませ、ウトウト眠っているのをそのまま寝かせて、布団に入る。
朝、頭をあげて、いつも通りに私を待っているとホッとする。
私が寝ているうちに逝くのは飼い主孝行かもしれないが、私が悔やむと思うからだ。(だが、睡眠はどこかで取らねばいけない。)猫は、ほんの僅かなカロリーで生きている。
今日は2月15日から自粛中の音楽のレッスンの再開だった。
4か月弱教室には行かず、外出は控えていた。
今日やるところをYouTubeでも模範的な演奏を聴く。時間になり、持っていく道具をまとめる。マスクと手袋をつけ、帽子も被るので、前髪はギュツとピンで留めて、おでこを出す。
道端の花は、苗代イチゴの蕾が出て、緑の小判草が小判の黄金に枯れていた、アジサイは色づく。
顔がマスクもあり、何をしても汗だくになる。
街はあれこれピリピリしながらも、各々、商売の再開を始めている。
エレベーターに複数で乗る事に、一瞬ためらいを覚えた。
私の後の時間の生徒さん、保護者のお母様と、生徒の小さな女の子と乗り合わせた。
そして、「久しぶりですね」とお互いに声をかけてしまったし、子供が若草のように4か月でこんなに成長するなんて、身長が伸びていて、「大きくなりましたね」と感嘆した。
お母様はともあれ、女の子は私の事を忘れていたし、
何と! もっている分数楽器も、新しい分数楽器に、一回り大きくなっていたのだった!!
到着。そして手指の消毒。
レッスンは楽しかった、久しぶりに先生のピアノに合わせて2曲弾けた。特にモーツァルト。下手であろうと堂々と、のびのびと弾けたと思う。積もった疑問、テクニックも質問出来た。
子供達は、三月は休講じゃないし(この楽器はピアノと違ってテレワークがしにくいので、)先生は、私の後の子が、やはり「外見だけでなく、内面もとても成長したのよ」とおっしゃっていた。
その分、私なぞは老化したわけだ、この4か月近くの自粛が、虚しい時間、少し残念に思えた…。楽しい時間はあっという間に終わった。
帰りに、猫のおむつを買って、人気のない場所に、いつも行く、コロナ以前からの人工海岸を久しぶりに訪れた。
私が外出を控えても、半月前から、この房総半島の内房、外房に週末は人が押し寄せている。
今日も見える高速は帰路の他県ナンバーで一杯、多いのが東京都、埼玉。うん?感染者多い地域だよね?、でも大阪のナンバーで、サーフボード積んでいるアルファロメオには脱力。大阪も多いよね? そして、感染者の多いわが県にわざわざガソリン使って、来るんか…_| ̄|○
ふと、国民全体で免疫を得る考えのスウェーデン方式だったら、自分はどうだったのか?と、しかし、死者の数は多く、免疫は国民4%しか獲得出来てはいないと、少し前にニュースで聞く。
緊急事態宣言が無くても、自分は入院したくなくて自粛していると思うが、今のこの、マスクをつけていればオケの人達が街に溢れかえっている様子を見て、第2波が来なければ良いが、今までの自粛時間も、勿体なしと思う私です。
人込みを避けて、
突端まで歩いた。
たまにある梯子は、下のテトラポットの上で釣りをする人達が置いたようだ。
曇っていたが、心はほんの少し晴れた。
東京湾に浮かぶブイが、旅情を誘う。
深呼吸したのち、
もじゃ公、おむつ交換、㏘7時36摘便。投薬と強制給餌などが待っていた。まだまだ、介護は続く、そしてやることが山積み、疲労もとれない。
4か月ぶりに見た、他人のお子さんの成長で驚いたように、私も残り時間を大切にはしたいのだが、しかし猫の最後の時間もおろそかにも出来ない。
体力がもう少しあればと、色々ジレンマです。