快晴。24-14度、
日中は、いきなり夏が訪れたような気候です。
国光林檎は、他の林檎の開花を待たずにして、
早くも満開を迎えようとしております。
猫達は屋根裏でくつろいだり、
もう昼間は電気行火にしがみつかず、思い思いに過ごしています。
私の実につまらない日常であっても、私は見果てぬバイオリンの夢を見、
それは、やらないほうが楽だったとは思いますが、私にもう一度人生の目標を与えてくれました。
今日から、家の整理を始めています。
今までは作っていき、今度は壊していきます。
全てを変えていきたいのです。プレーンに、シンプルに。
ボッシュの電動のこぎりはバッテリーが小さいのが難点です。
それでも、塵も積もればで、
充電しながらも、コツコツやるしかありません…。
さて、
猫で巡り合った読者の方から、コメントで「猫以外の記事でも良いのです」との励ましを受けて、
少しずつ、日常の想うことなどを、自由にポツポツ書いて行こうと思いました。
音楽に復帰したのと同じように、
今後は、自分らしくあり、生き、終わりたいと思いました…。
こんな私の稚拙な文章でも、琴線に触れた方は、今後もよろしくお付き合い願いたく思います。
練習に疲れると、買い物ついでに散歩をしました。
足はリウマチで炎症を起こしています、それが私をかなり弱気にさせていますが、
今年の早い春は高らかにファンファーレを鳴らし、これを見逃すのは惜しいからです。
家庭菜園のエンドウ豆からメンデルの法則を懐かしく思い出し、
やがて、小さな川岸に着きます。
私は、一生アルルに行くこともないでしょうが、
ゴッホの愛した日本(アルル)を探してみようと思います。
1880年2月20日、ファン・ゴッホは南フランスの小さな町アルルに降り立つ。
喧騒のパリを離れたファン・ゴッホにとって、
陽光と色彩に溢れるアルルはまさに別天地であった。
そしてこの地を彼はしばしば「日本のイメージ」と重ね合わせている。
花咲き乱れる春になれば「黄色とスミレの花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢のようだ」(書簡463/609)と記している。
さらに末妹ウィルに宛てた手紙には、「ぼくの方はここに日本の絵を置いていく必要はない〈ここにいるのは日本にいる様なもの〉だとつねづね自分にいいきかせているのだから」〈書簡w7/678)と記し、アルルと日本を同一視している事を、直截に述べている。
※ゴッホは日本を訪れた事はなく、工芸品、浮世絵、版画などから日本のイメージを作りあげ、彼の夢の中にしか存在しないユートピアを作り上げたと言える。
いつもの子です。
懐かしい風景。
桜吹雪。
ゴッホの愛したスミレ。
遺した作品。
さぁ、ここなどいかがでしょうか?
私の今日思うアルルです。
青い鳥は、自分でも探すしかありません。
そして、身近なところにも綺麗なものはあるのだと。
最後に、
読者登録の方がシャガについて記事にされており、
もうそんな季節なのかと。
私は、2011年4月に癌研で母と見た、一面の植栽のシャガが一生忘れられません…。
それと、シャガというと、この詩なのですが、うろ覚えで思い出せなくて困っています。
こんなかんじ?
野原(野ばら?)の道を行きくれば(行きつけば?)
師の家ありと我は問う(聞く?)
射干は やさしき花なりき
そして かなしき花なりき
2011年4月28日の母の入院の記事から写真を拾ってきました。
故郷の震災の被害の写真なども記事にしています。
改めて、自分の軌跡をふりかえり、
自分だって、ずいぶん無理して頑張ってきたんだなぁと。
今を大事に生きたいと思いました。
病室(癌研有明)から見るシャガです。
※追記、読者の方から有り難い情報が届きました。
それをもとに調べると、
「銀河の虹―青鷲の日記―」様に詳しく出ておりました。(ブログは3年前に止まっております。残念)
多田武彦は好き、大地讃頌も好き、
是非、曲も聴いてみたいものです。
記憶は全然あっていませんなぁ、思い出スケッチかっ、(;´Д`A ```
ま、私も詩人という事で、あらたに創作バージョン?
雪風様、ありがとうございます。
『赤き屋根
大木惇夫
野茨の道を過ぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ
野茨の道をすぎゆきて
裏山づたひ藪ぬけて
けやき林のかなたなる
赤き甍の見ゆる辺(へ)に
われや幾たび忍びけむ
訪(と)はで幾たび帰りけむ
いつも日ぐれの帰路(かえりぢ)に
著莪(しゃが)は寂しき花なりき
野茨の道をすぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ』
多田武彦氏によって、合唱化されているようです。
師の家ありというのは、
小田原に住む恩師の北原白秋の家を訪ねた時のものだそうです。
大木惇夫氏は、
カンタータ『土の歌』の歌詞の作者であり、
その中に含まれる《大地讃頌》の作詞者でもあります。
「銀河の虹―青鷲の日記―」様より抜粋
大地讃頌 歌詞付き
日中は、いきなり夏が訪れたような気候です。
国光林檎は、他の林檎の開花を待たずにして、
早くも満開を迎えようとしております。
猫達は屋根裏でくつろいだり、
もう昼間は電気行火にしがみつかず、思い思いに過ごしています。
私の実につまらない日常であっても、私は見果てぬバイオリンの夢を見、
それは、やらないほうが楽だったとは思いますが、私にもう一度人生の目標を与えてくれました。
今日から、家の整理を始めています。
今までは作っていき、今度は壊していきます。
全てを変えていきたいのです。プレーンに、シンプルに。
ボッシュの電動のこぎりはバッテリーが小さいのが難点です。
それでも、塵も積もればで、
充電しながらも、コツコツやるしかありません…。
さて、
猫で巡り合った読者の方から、コメントで「猫以外の記事でも良いのです」との励ましを受けて、
少しずつ、日常の想うことなどを、自由にポツポツ書いて行こうと思いました。
音楽に復帰したのと同じように、
今後は、自分らしくあり、生き、終わりたいと思いました…。
こんな私の稚拙な文章でも、琴線に触れた方は、今後もよろしくお付き合い願いたく思います。
練習に疲れると、買い物ついでに散歩をしました。
足はリウマチで炎症を起こしています、それが私をかなり弱気にさせていますが、
今年の早い春は高らかにファンファーレを鳴らし、これを見逃すのは惜しいからです。
家庭菜園のエンドウ豆からメンデルの法則を懐かしく思い出し、
やがて、小さな川岸に着きます。
私は、一生アルルに行くこともないでしょうが、
ゴッホの愛した日本(アルル)を探してみようと思います。
1880年2月20日、ファン・ゴッホは南フランスの小さな町アルルに降り立つ。
喧騒のパリを離れたファン・ゴッホにとって、
陽光と色彩に溢れるアルルはまさに別天地であった。
そしてこの地を彼はしばしば「日本のイメージ」と重ね合わせている。
花咲き乱れる春になれば「黄色とスミレの花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢のようだ」(書簡463/609)と記している。
さらに末妹ウィルに宛てた手紙には、「ぼくの方はここに日本の絵を置いていく必要はない〈ここにいるのは日本にいる様なもの〉だとつねづね自分にいいきかせているのだから」〈書簡w7/678)と記し、アルルと日本を同一視している事を、直截に述べている。
※ゴッホは日本を訪れた事はなく、工芸品、浮世絵、版画などから日本のイメージを作りあげ、彼の夢の中にしか存在しないユートピアを作り上げたと言える。
いつもの子です。
懐かしい風景。
桜吹雪。
ゴッホの愛したスミレ。
遺した作品。
さぁ、ここなどいかがでしょうか?
私の今日思うアルルです。
青い鳥は、自分でも探すしかありません。
そして、身近なところにも綺麗なものはあるのだと。
最後に、
読者登録の方がシャガについて記事にされており、
もうそんな季節なのかと。
私は、2011年4月に癌研で母と見た、一面の植栽のシャガが一生忘れられません…。
それと、シャガというと、この詩なのですが、うろ覚えで思い出せなくて困っています。
こんなかんじ?
野原(野ばら?)の道を行きくれば(行きつけば?)
師の家ありと我は問う(聞く?)
射干は やさしき花なりき
そして かなしき花なりき
2011年4月28日の母の入院の記事から写真を拾ってきました。
故郷の震災の被害の写真なども記事にしています。
改めて、自分の軌跡をふりかえり、
自分だって、ずいぶん無理して頑張ってきたんだなぁと。
今を大事に生きたいと思いました。
病室(癌研有明)から見るシャガです。
※追記、読者の方から有り難い情報が届きました。
それをもとに調べると、
「銀河の虹―青鷲の日記―」様に詳しく出ておりました。(ブログは3年前に止まっております。残念)
多田武彦は好き、大地讃頌も好き、
是非、曲も聴いてみたいものです。
記憶は全然あっていませんなぁ、思い出スケッチかっ、(;´Д`A ```
ま、私も詩人という事で、あらたに創作バージョン?
雪風様、ありがとうございます。
『赤き屋根
大木惇夫
野茨の道を過ぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ
野茨の道をすぎゆきて
裏山づたひ藪ぬけて
けやき林のかなたなる
赤き甍の見ゆる辺(へ)に
われや幾たび忍びけむ
訪(と)はで幾たび帰りけむ
いつも日ぐれの帰路(かえりぢ)に
著莪(しゃが)は寂しき花なりき
野茨の道をすぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ』
多田武彦氏によって、合唱化されているようです。
師の家ありというのは、
小田原に住む恩師の北原白秋の家を訪ねた時のものだそうです。
大木惇夫氏は、
カンタータ『土の歌』の歌詞の作者であり、
その中に含まれる《大地讃頌》の作詞者でもあります。
「銀河の虹―青鷲の日記―」様より抜粋
大地讃頌 歌詞付き