ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

私の中のゴッホ探し、

2018-04-03 09:38:54 | 時は輝いている
快晴。24-14度、
日中は、いきなり夏が訪れたような気候です。

国光林檎は、他の林檎の開花を待たずにして、
早くも満開を迎えようとしております。






猫達は屋根裏でくつろいだり、



もう昼間は電気行火にしがみつかず、思い思いに過ごしています。

私の実につまらない日常であっても、私は見果てぬバイオリンの夢を見、
それは、やらないほうが楽だったとは思いますが、私にもう一度人生の目標を与えてくれました。


今日から、家の整理を始めています。
今までは作っていき、今度は壊していきます。
全てを変えていきたいのです。プレーンに、シンプルに。

ボッシュの電動のこぎりはバッテリーが小さいのが難点です。
それでも、塵も積もればで、
充電しながらも、コツコツやるしかありません…。

さて、
猫で巡り合った読者の方から、コメントで「猫以外の記事でも良いのです」との励ましを受けて、
少しずつ、日常の想うことなどを、自由にポツポツ書いて行こうと思いました。
音楽に復帰したのと同じように、
今後は、自分らしくあり、生き、終わりたいと思いました…。
こんな私の稚拙な文章でも、琴線に触れた方は、今後もよろしくお付き合い願いたく思います。


練習に疲れると、買い物ついでに散歩をしました。
足はリウマチで炎症を起こしています、それが私をかなり弱気にさせていますが、
今年の早い春は高らかにファンファーレを鳴らし、これを見逃すのは惜しいからです。









家庭菜園のエンドウ豆からメンデルの法則を懐かしく思い出し、

やがて、小さな川岸に着きます。


私は、一生アルルに行くこともないでしょうが、
ゴッホの愛した日本(アルル)を探してみようと思います。

1880年2月20日、ファン・ゴッホは南フランスの小さな町アルルに降り立つ。
喧騒のパリを離れたファン・ゴッホにとって、
陽光と色彩に溢れるアルルはまさに別天地であった。
そしてこの地を彼はしばしば「日本のイメージ」と重ね合わせている。

花咲き乱れる春になれば「黄色とスミレの花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢のようだ」(書簡463/609)と記している。
さらに末妹ウィルに宛てた手紙には、「ぼくの方はここに日本の絵を置いていく必要はない〈ここにいるのは日本にいる様なもの〉だとつねづね自分にいいきかせているのだから」〈書簡w7/678)と記し、アルルと日本を同一視している事を、直截に述べている。

※ゴッホは日本を訪れた事はなく、工芸品、浮世絵、版画などから日本のイメージを作りあげ、彼の夢の中にしか存在しないユートピアを作り上げたと言える。





いつもの子です。







懐かしい風景。

桜吹雪。




ゴッホの愛したスミレ。






遺した作品。




さぁ、ここなどいかがでしょうか?
私の今日思うアルルです。














青い鳥は、自分でも探すしかありません。
そして、身近なところにも綺麗なものはあるのだと。


最後に、
読者登録の方がシャガについて記事にされており、
もうそんな季節なのかと。
私は、2011年4月に癌研で母と見た、一面の植栽のシャガが一生忘れられません…。
それと、シャガというと、この詩なのですが、うろ覚えで思い出せなくて困っています。
こんなかんじ?

野原(野ばら?)の道を行きくれば(行きつけば?)
師の家ありと我は問う(聞く?)
射干は やさしき花なりき
そして かなしき花なりき

2011年4月28日の母の入院の記事から写真を拾ってきました。
故郷の震災の被害の写真なども記事にしています。
改めて、自分の軌跡をふりかえり、
自分だって、ずいぶん無理して頑張ってきたんだなぁと。
今を大事に生きたいと思いました。

病室(癌研有明)から見るシャガです。





※追記、読者の方から有り難い情報が届きました。

それをもとに調べると、
「銀河の虹―青鷲の日記―」様に詳しく出ておりました。(ブログは3年前に止まっております。残念)
多田武彦は好き、大地讃頌も好き、
是非、曲も聴いてみたいものです。
記憶は全然あっていませんなぁ、思い出スケッチかっ、(;´Д`A ```
ま、私も詩人という事で、あらたに創作バージョン?
雪風様、ありがとうございます。

『赤き屋根
                 大木惇夫
野茨の道を過ぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ
野茨の道をすぎゆきて
裏山づたひ藪ぬけて
けやき林のかなたなる
赤き甍の見ゆる辺(へ)に
われや幾たび忍びけむ
訪(と)はで幾たび帰りけむ
いつも日ぐれの帰路(かえりぢ)に
著莪(しゃが)は寂しき花なりき
野茨の道をすぎゆけば
師の家ありとわれ思ふ』

多田武彦氏によって、合唱化されているようです。

師の家ありというのは、
小田原に住む恩師の北原白秋の家を訪ねた時のものだそうです。

大木惇夫氏は、
カンタータ『土の歌』の歌詞の作者であり、
その中に含まれる《大地讃頌》の作詞者でもあります。

「銀河の虹―青鷲の日記―」様より抜粋

大地讃頌 歌詞付き
コメント (6)
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