いわゆる二千万円問題は、少し落ち着いたのでしょうか。
「年金だけでは老後資金が二千万円不足する」という金融庁の金融審議会市場ワーキンググループの報告書について、私は全文を見ていませんので、推測で意見を述べるのはどうかとも思いますが、テレビや新聞の報道の多くも、私と同程度の理解力をベースで報道されているような気がしています。
それどころか、国会での討議も、そうした記事をベースにしたものや、まことに独自的な理解をベースに討議されているように見え、馬鹿々々しくなってしまいます。
おそらく、当報告書の狙いの重点は、老後生活に自助努力が必要だということを訴える、ということにあったと思われるのですが、そうだとすれば、これだけ大騒ぎしたことにより、その狙いを伝えるという目標だけは十分に伝わることになり、大成功だったのではないでしょうか。
ところが、「二千万円不足」というのが一人歩きどころか、大暴れしてしまい、それに年金制度云々という滅茶苦茶な理屈を言い出す人が出てくるなど、国会の貴重(?)な時間をかなり無駄遣いしてしまいました。
そもそも「二千万円不足」という部分は、数か月前に厚労省の資料として使われていたものをほとんどそのまま流用したものらしいのですが、今初めて知ったということは別に恥ずかしいことではないかのように、言葉だけは激しい論争となってしまったようです。
「まるで鬼の首でも取ったように責めたてる陣営」、「報告書を受け取らず、すたこら逃げ出そうとする陣営」。どれもこれも、参議院選挙を意識してのことだと思われるのですが、せめて有権者だけは、的外れの論争に惑わされないようにしたいものです。
ところで、二千万円はともかく、年齢により差はあるとしても、老後の生活資金の問題は、重いテーマといえます。
「二千万円不足」と示されたモデルケースの場合を考えてみても、そもそも、これだけの年金を受給できると人は、どれほどの比率を占めているのでしょうか。国民年金だけの人はとても及ばないわけですから、おそらく三分の一以上の人が、モデル外になってしまうことでしょう。
この種のモデルは、多くの人が様々な形のものを示してくれています。国家を運営していく上では、モデル世帯なり平均世帯なりが必要なのでしょうが、それを錦の御旗のように振り回されても、あまり役に立たないということも、為政者の方々は承知すべきです。
しかし、私たちには老後があり、年老いても生活費は必要です。不満だらけの年金制度とはいえ、世界中の国々と比べると、わが国の制度は捨てたものではないはずです。
現に、老後の生活資金を考えた場合、十分ではないとしても、ほとんどの人が年金収入が必要資金の中の一角を占めるのではないでしょうか。
そこで、不足部分をどうするのか、ということになりますが、二千万円はともかく、知恵を絞って生み出すしかないようです。年金収入がモデルケースに及ばない人はもちろん、それ以上の人であっても、簡単には準備できない金額が算出されるはずです。
でも、あまり楽観するのもなんですが、いろいろ方法はありそうですよ。
まず一番は、資金寿命が耐えられるまで働くことでしょう。九十五歳まで働けば問題は解決しそうですが、さて、どの程度の収入が期待できるかという問題が残ります。
反対に、生活資金をどこまで減らすことが出来るかというのを趣味にしてしまうことです。国民年金だけで悠々自適の生活を生み出せれば、それはそれで豊かな生活ということになります。もう一つは、海外移住ですか・・・。
まあ、現実の問題としては、これらの手段を少しずつ取り入れて、何とか逞しく生き抜きたいものですねぇ。
( 2019.06.26 )
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