トランプ米大統領の日本訪問は、多くの話題を提供しながらも無事に日程を終えたようです。
首脳会談などの内容や成果はともかく、日本国内ばかりでなく世界中に放映される大統領の姿は、日米の強固な同盟の象徴として、広く伝えられたことは確かのようです。
一方で、「トランプ大統領は観光旅行を楽しんだ」とか、「安倍首相はヨイショのしすぎ」といった揶揄する意見を示される人もいるようです。
そうした意見の多くは、とりあえず反対意見を述べることが目的という感じがしないわけでもないのですが、国賓とはいえ、ここまでしなくても良いのではないかという意見もあって当然かもしれません。
わが国が、国家として存立していくためには、わが国一国だけで立ち行けるわけではなく、何らかの同盟、それも出来るだけ多くの国家や地域との友好関係を深めていくことが必要なことは確かな事でしょう。
その中でも、アメリカとの関係は最も重要なものでしょうから、少々オーバーな面があったとしても、今回の国賓としてトランプ米大統領を迎えたことは大成功と評価すべきのように思います。
特に、近隣国との関係が微妙な状態の所が多く、中には、同盟関係などと表現することに違和感を感じる状態になりつつある国家もあるだけに、日米関係の重要性は一段と増している感があります。
同盟関係、あるいは友好関係とはどういう形で保たれているものなのでしょうか。
もちろん、条約などで国際的に認知された形がそのベースにあることは当然ですが、ここでは、もっと実質的な意味での同盟の形を考えています。
例えば、米大統領とわが国の首相のツーショットをみる限り、今回の訪日期間だけの事ではなく、世界中で最も緊密な関係に見えるのではないでしょうか。首脳同士の親密な関係は、国家同士の同盟あるいは友好関係には重要な要素ではありますが、それで全てというわけではないことも当然です。国家間には多くの利害や思惑が入り組んでいるわけですから、各層での幅広い信頼関係を深めていくことが必要になってきます。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」というのは『荘子』にある言葉です。その後には、「小人の交わりは甘きこと醴(レイ・甘酒のような物)の如し」と続いています。
『老子』も、「上善は水の如し」と述べていますが、どうやら、あまりベタベタした関係より、水のように淡く自由自在な形を良しとしているようです。
「鉄の団結」という言葉もありますが、『老子』は柔らかな物こそが強いと述べています。
わが国は、近隣諸国とは難しい関係を強いられているような気がしますが、古今東西を問わず、隣接した国家同士は仲が悪いというのと常識ともいえるのです。同盟を結ぼうとも、首脳同士がにこやかに握手をしようとも、国家同士には常に緊張関係があるものと考えるべきですし、そもそも、国家と簡単に言っても、一つの国家の中には、人種・宗教・風土・文化・教育・貧富などで意思が統一されているわけではありませんから、そうそう簡単なものではないのです。
個別の国家間、地域・世界全体の中の日本として、しっかりと存在し続けることは容易な事でないことが今更のように思われます。
まあ、国家間に関わらず、個人に関しても全く同様で、近隣社会、それどころか、家庭内であっても、一筋縄ではいかないことが数多くあることは、私たちが等しく経験していることではないでしょうか。
( 2019.06.02 )
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