新聞やテレビなどで報道されるニュースに限ってみても、何ともやるせない思いにさせられる事件や出来事があります。
個々の事件に触れることは避けたいと思いますが、「どうしてここまで自分を追い込んでしまったのか」と思わせられるニュースが少なくありません。
最近何かと話題になる、高齢者による自動車事故などは、様々な原因はあるとしても、直接的な原因は事故であって、集中力や運動機能、心身両面の病気、といったものに起因するものもあるのでしょうが、長年抱えてきた問題に起因することは少ないと考えられます。
その一方で、犯罪とされるような事件の多くには、そこに至る何らかの原因が、その関与の程度はともかく、存在しているように思われます。
「この世の事は、この世で解決できる」「この世の事で、この世で解決できない事などない」といった言葉を、いつだったか読んだ記憶があります。
絶望を感じている、あるいは、苦しみ悩んでいる人へのアドバイスの文章の中の一部だったと記憶していますが、歳を重ねて、今、思うことは、「本当にそうだろうか」ということです。
苦しんでいる人を励ます一手段としては全否定することは出来ませんが、この世の出来事で解決できないものなど山ほどあるのではないでしょうか。
古来、私たちの先人たちは、辛い人生の脱出方法として、「来世では報われる」と祈り、理不尽な苦しみに対しては、「前世の報いを受けている」と観念しました。
現在でも、前世や来世について語ることや、問題解決の手段に登場してくることは少なくありません。
当ブログで、「今昔物語拾い読み」という連載を延々と続けさせていただいていますが、今昔物語を読む上では、前世や来世はあるものとして考えないことには、物語そのものが成り立たなくなってしまいます。だからといって、それを信じているのかといわれますと、明確に答えることが出来ませんが、前世も来世もあると考えた方が気が楽なような気がしないでもありません。
私たちの日常生活には、思うようにならないことが数多くあります。右から左へとスッパスッパと問題を処理する人もいますが、どうにも対処できないような悩みは、ほとんどの人が抱えているのではないでしょうか。
胸が潰されるような事件の背景には、解決できない事の苦しみに押し潰されたり、むりやり逃れようとしたことに起因しているものがあるように思えてならないのです。
苦しみや悩みは誰でも抱えています。その解決を来世の自分にお任せするのも一つの方法ですが、解決できないことをもって解決とする考え方を提案したいと思います。
残念ながら、この世には、どうにもならないことはあるはずです。無責任に投げ出すことを善しとするわけではありませんが、解決できないことを認めてしまう、つまり、「未解決という解決」という手段を身につけない限り、自分を忘れてしまうような大事を引き起こす懸念を抱き続けることになるのではないでしょうか。
( 2019.06.08 )
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