雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第四十九回

2015-07-12 09:25:04 | 二条の姫君  第二章
               第二章 ( 七 )

さて、そのようなことがありました頃のことでございます。
後深草院と亀山院御兄弟の御仲がよろしくないということが、たいそう良くないことだと鎌倉幕府でも噂になっているということが、伝わってきておりました。
そこで、こちらの御所へ新院(亀山院)が御幸なさりたいというお申し出がありました。

蹴鞠が行われる場所に植えられている木々などご覧になられるであろうということで、その折に蹴鞠を行うということになったそうでございます。
「どのような形式で行えばよいものか」
と、御所さまは前関白であられる近衛の大殿にお尋ねになられました。
「あまり度を越さぬ程度に御酒を差し上げます。そして、蹴鞠の途中でご装束をお直しになられる時には、柿浸し(干柿を刻んで酒に浸したもの)を差し上げることがあります。女房に差し上げさせればよろしいでしょう」
と、お答えになられました。

「女房は誰が良いか」
などと、なお相談をなされて、「ちょうどよいお年頃です。それにふさわしいお人柄でもあるから」ということで、そのお役を姫さまが承ることになったのです。
樺桜(カバザクラ・表が蘇芳、裏が紅花色という重ね)七枚、裏山吹(表が黄、裏が紅)の表着、青色唐衣、紅の打衣、生絹(スズシ)の袴といったご装束でございました。
さらに、浮織物の紅梅の匂いの三つ小袖、唐綾の二つ小袖という艶やかさでございます。

新院がお成りになられました時、御座を差し向かいに設けておりましたが、新院は御覧になられると、
「後嵯峨院の御時に定めおかれたのに、御座の設け方がよろしくない」
と申されて、ご自分の御座を長押の下の廂の間に下げられましたところへ、主人側である御所さまがおいでになられ、
「朱雀院の行幸では、主人の座を差し向かいにされたのに、今日のお出ましには御座を下げられたのは、変わった趣向ですね」
と、申されたそうでございます。
源氏物語の一場面を引いて、御所さまが弟である新院をお引き立てなさったものですが、「とても優雅なお振舞いであった」と、人々が噂されておりました。

格式に従った御食事をなされ、三献が終わった後に春宮(トウグウ)がお出でになり、蹴鞠が行われました。
半ば過ぎた頃、新院が二棟の東の妻戸へお入りになったところへ、松襲(マツガサネ)の五つ衣に紅の打衣、柳の表着、裏山吹の唐衣といった盛装の女房別当殿に、柳箱に御杯を据えて、金の提子(ヒサゲ・つるのついた銚子)に柿浸しを入れたものを持たせて、姫さまが伺候され、御杯をお勧めになられました。
「まず、そなたから飲まれよ」
などと、お言葉をお掛けになられたそうでございます。

新院は、暮近くになるまで蹴鞠を続けられ、松明をともしてお帰りになられました。
次の日、近習の藤原仲頼殿が使者として新院からの御手紙が姫さまに届けられました。仲頼殿は、姫さまの乳母の御子息で旧知のお方であります。
御手紙には、
『 いかにせむうつつともなき面影を 夢と思へば覚むる間もなし 』
とあり、しかも紅の薄様の紙で、柳の枝に付けられているといった、なんとも艶めいたものだったのです。
姫さまもさすがに躊躇されましたが、そのままご返事申し上げないというわけにもゆかず、縹色(ハナダイロ・薄い藍色)の薄様の紙に書いて、桜の枝に付けて、
『 うつつとも夢ともよしやさくら花 咲き散るほどと常ならぬ世に 』
と、この世の無常を訴える内容でございました。

その後も、新院から姫さまにたびたびお手紙が届けられ、姫さまの途惑いは増すばかりでございました。

     * * *

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