雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第五十回

2015-07-12 09:24:00 | 二条の姫君  第二章
               第二章 ( 八 )

六条殿と申しますのは、今は後深草上皇の別院でございますが、大変由緒ある所でございます。
ただ、幾度もの火災などで荒れておりましたが、御所さまが次々と修復をなさっておられるのです。

さて、その六条殿に新しい長講堂をお造りになっておられましたが、このほど完成し、四月にお引っ越しがございました。
御堂供養は曼荼羅供(マンダラク・曼荼羅を掲げて行う法会)。御導師は比叡山の公豪大僧正で、ともに経を上げられる僧は二十人でございます。
その後、やはり比叡山の憲実導師により、定朝堂でも御供養がございましたが、こちらはお引っ越しの後に行われました。

お引っ越しの出だし車(イダシグルマ・女房の衣の袖や裾を簾の下から出して飾りとした車)は五輌でございました。姫さまは、一の車の左側にお乗りになられ、右側には京極殿がお乗りになりました。
はい、お乗りになる席は、左側が上位であるのは当然のことでございます。
姫さまは、撫子(表は紅、裏は紫)の七つ衣、若菖蒲(表は青、裏は紅梅で次第に色が薄くなっている)の表着でした。京極殿は、藤(表は薄紫、裏は青)の五つ衣でした。
お引っ越しの後の三日間は謹慎なされるのが習わしで、白い衣に濃い色の裳・唐衣の礼装で、この間は着替えもなさらないのです。

「御壺合わせしよう」ということになり、公卿・殿上人の方々、上臈・小上臈(上臈は二位・三位の典侍や大臣の娘・孫などで女房となった者。小上臈は公卿の娘で女房となった者)方が御壺庭を割り当てられました。この壺合わせと申しますのは、壺庭を飾ってその出来栄えを競うお遊びでございます。
姫さまには、常の御所の東向きの二間の御壺庭が割り当てられました。
平時継殿は定朝堂の前の二間の通りを割り当てられていて、小さな反り橋を遣り水にとても可愛らしく渡していたのですが、善勝寺の大納言殿が夜のうちに盗んできて、姫さまの御壺に置いたものですから、それと知った時の姫さまは、はじけるほどに大笑いなさいましたのです。

そのようなこともあり、やがて八月となりました。
このところ御所さまは、特にご病気というわけではないのですが、何とはなくお悩み続けることがあって、御食事が進まず、汗をおかきになられるなどの症状が何日も続いておられました。
どういうことかと皆さま方ご心配なさり、医師が参上し、お灸を十か所ばかりに据えられましたが一向に回復されませんでした。
九月の八日でございましたが、延命供(エンメイク゜・延命菩薩、観音菩薩などを祀り読経する仏事)を始められ、七日を過ぎてもなおお変わりがないものですから、姫さまもたいそうご心配されておりました。

この時、御祈祷の阿闍梨として参上されましたのは、この春姫さまに、あからさまにお気持ちを打ち明けられ、袖に涙を宿してまで真情を示そうとされたお方だったのです。
その後も、姫さまが御所さまの御使いとして参られる折々にも、そのお気持ちを伝えようとなされているのですが、姫さまは、何かと紛らわしつつ避けてきておりました。何分、御所さまの異母弟にあたる御方でございますから、邪険にも出来ず、かといって親しくお話しなさるわけにもゆかず、姫さまにとって難しい御方だったのです。

ところがこの度も、こまごまと御心の内をしたためて御手紙を届けられ、しきりにご返事を催促なさるのでした。

     * * *





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