ウクライナをめぐる情勢が厳しさを増しています。
外交努力によって問題が解決すると思っていたわけではありませんが、米ロ間の会談が日程に上がってきたことで、爆発しそうな状況が少しは冷やされて、しばらくは条件闘争になるのではないかと期待していたのですが、どうやら、甘すぎる判断だったようです。
ウクライナの一部地域はすでにロシアの影響下にあるとは言われていましたが、その地域を国家として承認するや否や、どうやら、実質的な侵攻が始まったようです。それも、親ロシア系の国民が実効支配している地域だけでなく、ウクライナ全土がターゲットだとすれば、背筋が寒くなるような気がします。
一部民族間の争いや、内戦が隣国まで影響を及ぼしてしまうような戦乱は、残念ながら頻発しているのが現実ですが、大国が堂々と侵略を開始するとなれば、軍事的に弱い国は、対処の方法などあるのでしょうか。
少なくとも、しっかりとした国家体制を持っている国同士の紛争は、ぎりぎりまでは外交努力、つまり、話し合いや第三国や国連などの仲介による解決努力がなされ、軍事衝突は、それらの努力ではどうにもならなくなった後のことだと思っていました。
しかし、テレビで報道されている程度の情報からの判断ですが、ウクライナとロシアの衝突は、完全に軍事力による決着に至るような気配が感じられます。
わが国も、この問題を、対岸の火事のように見ていて良いはずがありません。いくつかの領土問題を抱えていますし、政府間あるいは国民間の感情が良くない国家もありますし、具体的な火種を抱えている面もあります。さらに、軍事力となれば、わが国にどの程度の対抗力があるのでしょうか。
外交努力、つまりは話し合いで多くのことが解決できると私たちには考えている風があるのですが、そうした努力は、決して錦の御旗になり得ないことも認識しておく必要があるような気がしてしまいました。
これは、極端すぎる考え方かもしれませんが、この度のウクライナをめぐる衝突は、かつての、東西冷戦時代に似た国際情勢を生み出すのではないかと懸念してしまうのです。
「ボタンの掛け違い」という言葉があります。何とも古い言葉ですが、国際関係が大国を中心とした対立関係に戻るとすれば、これも、かなり古めかしい国際情勢ということになります。
それだけに、厳しい国家や地域の対立や紛争も、「ボタンの掛け違い」的な問題を含んでいる部分がありそうな気がするのです。
私たちの国家も、他国との関係において、国内の諸問題においても、「ボタンの掛け違い」的な問題に起因している事項が少なくないように思うのです。
ただ、こうした問題の難しいところは、掛け違ったボタンを直すためには、どこまで遡ればよいのか、と言うことです。「ボタンの掛け違い」は、多くの場合は最初からずれている場合が多いのですが、国家間の紛争となれば、最初に戻すためには、数百年前にまで遡るという場合も少なくありませんから、解決は簡単なことではありません。
「ボタン」など使っているから食い違いが発生するのであって、「ファスナー」にすれば多くの物は解決する、という意見もあるようです。確かに「ファスナー」にすれば、掛け違いはなくなるかもしれませんが、もし、食い込ませてしまった時には、元に戻すのがさらに難しくなってしまいます。
どちらにしろ、難しいものです。
( 2022.02.25 )
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