雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第八回

2015-06-30 10:00:00 | 二条の姫君  第一章
          第一章  ( 七 )


姫さまの母方の叔父にあたられる善勝寺の大納言殿が、縹色(ハナダイロ・薄いあい色)の狩衣といったお姿で牛車を横付けされました。
殿上人は、中御門為方殿がただ一人伺候されていました。他には、北面の武者二、三人、召使いなどで、御車を付けたちょうどその時、いかにも時刻を知っているかのような鶏の声が、寝ている人を起こそうとばかりにしきりに鳴く上に、河崎の観音堂の鐘の音は、ただもう姫さまの濡れた袖に語りかけるかのように響いてくるのです。

御所さまは、姫さまの御父上とでもお話をなさっているのでしょうか、なかなかお姿を見せません。
御車の近くで御見送りするため控えている姫さまは、とても盛装とはほど遠く、しかも新枕のあとの気恥ずかしさを人目にさらしている状態で、実に儚げに見えます。
西の空の有明の月もすっかり白みかけていて、御所さまとのこと、御所さまのさまざまな御言葉のそのまま受け取ってよいものかなどと、思い悩んでいる様子がありありと伝わってきます。

「おお、何といじらしい姿よ」
ようやく姿をお見せになった御所さまは、姫さまに声をかけ愛おしげに手を取りました。
そして、そのまま御車に引っ張り込むようにして乗せると、すぐに御車を出させました。
御所さまと一緒に行くなどとは御父上にも申し上げておりませんし、その上寝乱れた姿に薄い単衣を羽織っているだけなのです。

『 鐘の音におどろくとしもなき夢の なごりも悲し有明の空 』 (「おどろく」は目覚めるの意)
姫さまは、まるで昔物語にでもあるように、さらわれていくような心細さをこのように歌っています。
御所さまも、たった今盗み出してきた女にするように、姫さまを抱きしめて甘いお言葉をかけ続けていましたが、姫さまは、心細さと辛さがまさる心地で、涙の他はお答えできない様子でございました。

やがて、御車は後深草院御所に着き、角の御所の中門に乗り入れて、お降りになった御所さまは善勝寺の大納言殿に指示を出されました。
「この子は、あまりにも頼りなく、おさなごのような有様なので、放っておくわけにもゆかず連れて参ったのだ。しばらくは人には知らさないつもりなので、お前が世話をするように」
と言い置いて、常の御所にお入りになられました。

残された姫さまは、幼い頃から仕えている御所だと感じられず、とても恥ずかしい気持ちになり、実家を出てきてしまったことが悔やまれ、「これから先、あたしはどうなっていくのか」と、またも涙をあふれさせておりました。
すると、御父上の声が聞こえてきましたが、姫さまの身の上を案じられて後を追ってきたのでしょう。善勝寺の大納言殿が御所さまが命じられたことなどをお伝えになっています。

「今となっては、このように妃でもなく女房でもないという中途半端なことはよろしくない。今までと同様の状態で召し置かれるのがよいでしょう。隠しておいて噂が漏れるのは、かえってよくないのでは」
などと言われて、御父上は退出されました。
「ほんとうに、これからのあたしはどうなるのか」
と、御父上の声が去っていくと、姫さまの不安はさらに増し、この身をどうすればよいのかと悲しみは増すばかりでした。

やがて、御所さまがお見えになり、昨夜来の甘い言葉や御車の中での愛を誓う言葉などを繰り返されましたので、姫さまも次第に慰められて、これが逃れることのできない御縁なのかと思われ始めたようでございます。

     * * *


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