雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

慢心を戒める ・ 今昔物語 ( 20 - 39 )

2024-09-08 08:36:17 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 慢心を戒める ・ 今昔物語 ( 20 - 39 ) 』


今は昔、
清滝河の奥に庵を造って、長年修行を続けている僧がいた。
水瓶(スイビョウ)に水を入れようと思う時には、水瓶を飛ばして、この河の水を汲ませた。
このようにして年月を過ごしていたので、「これほどの修行者は他にはおるまい」と、時々自ら思う時もあった。そのような慢心を抱くことは悪いという事も、知恵がないため知らなかった。

ところが、時々、その庵の川上の方から水瓶が飛んで来て水を汲んでいく。
僧はこれを見て、「如何なる者が、この川上にいて、このように水を汲むのか」と、ねたましく思って、「どんな奴か見てやろう」という気になった。
そう思っていると、いつもの水瓶が飛んで来て水を汲んでいく。そこで、僧は水瓶が返っていく方向を目指して、あとをつけていくと、河に沿って上流に五、六十町ばかり登った。見ると、ぽつんと庵がある。
近くに寄って見ると、間口三間ほどの庵である。持仏堂や寝所などがある。庵の様子はたいそう貴気である。庵の前に橘の木がある。その下に踏みつけられた行道(仏像の周辺を回り歩いて、仏を礼拝する作法。)の跡がある。閼伽棚(アカダナ・仏前に供える水や花を置く棚。)の下に、花柄がたくさん積もっている。庵の屋根にも空地にも苔が隙間なく生えていて、長い年月を経ているらしく神々しいことこの上ない。
そっと近寄り、窓のある所からのぞいてみると、文机の上に法文などが散らばっていて、経典も置かれている。不断香(フダンコウ・常に焚きしめている香。)の香りが庵の内に満ちていて、たいそう芳しい。
さらによく見ると、年が七十ばかりで、たいそう貴気な僧が、独古(ドッコ・法具の一つ。もともとは古代インドの武器。)を握り、脇息に寄り掛かって寝入っている。

やって来た僧は、その姿を見て、「あれはどういう人だろう。試してやろう」と思って、静かに近寄り、そっと火界の呪(カカイノシュ・不動明王の陀羅尼。)を唱えて加持すると、庵の聖人は、眠りながら散杖(サンジョウ・加持祈祷の際に香水を散らす棒状の仏具。)を取って、香水(コウズイ・仏に供える香気ある清浄な水。)に差し浸して四方に濯いだ。その香水が、やって来た僧の上に濯ぎ懸かったと思うと同時に、衣に火が付き、どんどん燃え上がった。
たまらず、やって来た僧は大声を挙げて慌て騒ぐ。どんどん燃え上がるので、庭の中を転び回った。

その時、庵の聖人は眠りから覚めて、目を見開いてその様子を見ると、また散杖を香水に差し浸して、この焼け惑っている僧の頭に濯いだ。
すると、たちまち火が消えたので、庵の聖人はやって来た僧のそばにより、「いかなる御坊ですかな。こんなひどい目に遭われているのは」と言った。
やって来た僧は、「長年、吉野河(清滝河が正しい。)の辺に庵室を造って修行をしている修行者の聖人でございます。ところが、川上からいつも水瓶が飛んで来て水を汲むのを見て、怪しく思って、『どのような人の水瓶だろう』と後を追って来ましたところ、御坊がいらっしゃるのを見て、『お試ししてみよう』と思って、加持を致しましたところ、このように大変な目に遭いましたので、返す返すも貴く、畏れ多いお方と存じ上げます。今は、御坊の御弟子となってお仕えしたいと思っています」と答えた。
庵の聖人は、「たいへん良いことですな」と言ったが、視線は遠くを見ていて、この僧のことは気にもかけていない様子であった。
やって来た僧は、「わしは知恵がないのに、慢心を抱いているのを、仏が『憎い』とお思いになって、このように勝れた聖人に会わせて下さったのだ」と、悔い悲しんで、もとの庵に返っていった。

されば、人は、「自分は賢い」と思って、慢心するようなことがあってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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