雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

地震予知 ・ 小さな小さな物語 ( 499 )

2013-08-17 10:14:40 | 小さな小さな物語 第九部
最近、あるテレビ番組で「地震予知」に関する討議を見る機会がありました。
この番組は、いわゆる学術的な番組ではありませんが、政治に関する話題を中心に、おざなりな意見集約ではなく、かなりきわどい内容まで放送することで知られている関西の人気番組です。
その中に一つのテーマとして、ゲスト出演しているある人物の意見は極めて明快、そして、現在の予知に関する研究や発表などを真っ向から批判するものでした。
そのゲストは、私は以前からちょっとしたフアンなのですが、なかなかその意見がわが国の地震に関する学会では受け入れられていないらしいのが残念でなりません。
といっても、その人物は、単なる受けや話題づくりで発言しているのではなく、列記とした大学教授で、それもわが国最高峰とみなされている大学の教授なのです。

その先生の意見を断片的にいくつか挙げてみますと、
* 地震予知は出来ない。現在なされている長期予報には、全くといっていいほど科学的根拠がない。
* 南海地震、東海地震など巨大地震がそう遠くない時期に発生すると断定されているが、その種の地震が周期的に発生するという科学的根拠はない。
* 東日本大地震が発生したが、わが国の中心的に地震予知に関わる研究者は、東海だ、南海だ、というだけで、東日本大地震に関しては全くマークしていなかった。
これほどのミスをすれば、野球なら当然投手交代である。しかし、研究者は誰も責任を取らない。
* 活断層など、あってもなくても巨大地震が発生すれば地滑りは起こる。素人に指摘されるような活断層の調査より、津波の方が遥かに恐ろしい。
* 原発の安全基準も、活断層の有無よりも、津波対策の適否で運転基準を考えるべきである。
* 数か月とか数年先に起こる地震の予知には、科学的根拠はほとんどない。
以上は、私が見たのをまとめたものなので、その先生の考えは完全に正しく伝えられているかどうかは自信がありませんので、その点は考慮して下さい。

因みに、東海地震に関する気象庁のホームページを見てみますと、
『 東海地震は科学的な直前予知ができる可能性があると考えられていますが、予知できる場合と予知できない場合の両方に対する備えが必要です 』
とありました。
つまり、「直前予知出来ると考えているが、出来ない場合もよろしく」ということのようです。実に正しい表記です。
それに、この直前予知というのは、数時間以内、長くても二、三日程度を考えているのではないでしょうか。
もしそうだとすれば、三十年内に発生する可能性は○○%などと言うのは、ほとんど眉唾ものと考えた方が良いようです。
例えば、五十年以内に発生するかどうかなら、私は命を懸けることも出来ますよ。

最近の巨大地震が発生した場合の被害額は二百兆円にのぼるとの報道もありました。
どうも、いたずらに危機をあおって、ある種の関係者が美味しい思いをしているのではないかと疑っていましたが、その点も、その教授は明快に指摘しておりました。
まあ、地震列島というどうしても逃げ出すことのできない立地にあるわが国ですから、地震に関する研究は続けていく必要はあると思うのです。ただ、まるで科学的根拠があるような発表の仕方や、素人に指摘されるような未熟なデーターを大げさに発表しないように注意して欲しいものです。
それと、地震予知に限りませんが、とんでもない判断ミスをしたリーダーや研究集団は、しばらくは一線から少しぐらいは引いてもらわないと、何でも言いたいほうだいになってしまうような気がするのですが。

( 2013.04.04 )

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