雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第九十六回

2015-07-24 09:15:34 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 二十二 )

新年となりましたが、晴れがましいことなどは何もなく、姫さまはなお御袖を濡らす日々が続いておりました。
正月の十五日には、故法親王の御四十九日に当たりますので、姫さまが特別にお願いしていた聖の所へ参られて、御供養に合わせて、故法親王が姫さまに残しておられた金を少し取り分けて、諷誦文(フジュモン・死者の追善のために施物を供え、僧に誦経を請う文)の御布施にされましたが、その包み紙に、
『 このたびは待つ暁のしるべせよ さても絶えぬる契りなりとも 』
との御歌を書いておられました。(待つ暁=弥勒菩薩が現れて衆生を救う時を指す)

姫さまがお願いされた僧は、説教の上手として評判の聖でございますから、諷誦文は格別に胸に迫るもので、姫さまは涙で袖を濡らし続けておりましたが、それに加えて、故法親王の生前の話が出てきましたので、もう耐えられないほどのご様子でした。

その後も姫さまは、特別に何かをされることもなく、お部屋にこもりがちで、二月十五日になりました。
姫さまが、釈迦如来が入滅された昔を忍ぶのは、今年に限ったことではありませんが、やはりいつもとは違う悲しさが姫さまを苦しめるのでした。
この頃は、例の聖の庵室で、法華講讚が彼岸から続いて二十七日間行われていますので、姫さまは、毎日諷誦文を手向けておいででしたが、誰のためという御名前を明らかにするわけにはまいりませんので、「忘れ得ぬ契りある人」とだけお書きになっていることも、実に寂しいことだと思われます。

ただ、講讚も結願となる最後の日には、いつもの諷誦文の最後に次のような御歌を添えられました。
『 月を待つ暁までの遥かさに 今入りし日の影ぞ悲しき 』

東山の住いの方へも、御所さまからの御使いは途絶えていて、やはり自分のことを見捨てられたのだと姫さまは感じられているようで、明日は都の方へ帰ろうかなどと洩らされるようになりました。
すべてが物悲しい有様で、四座の講式(仏教儀式)が次々に行われて、聖たちも夜もすがら寝ることなく明かす夜なので、姫さまも聴聞所で袖を片敷いてうとうとされていました暁時、故法親王が生前と変わらぬ面影で、「憂き世でのそなたとの夢のような契りが業となって、今は、長い闇路をさまよっているよ」と言って、姫さまに抱きついて来られる夢を見られたそうでございます。

このあと姫さまは、ご気分が悪いと言いだされ、少し朦朧とされているような按配でございました。
聖の方からは「今日は、ここで治療を行って様子を見られては如何」と仰ってくださいましたが、車の手配をしていたこともあり、姫さまのご希望も強く予定通り都へ帰ることになりました。
その途中、清水橋の先の西の橋のあたりまで来ました時、姫さまはさらにご気分が悪くなられたようで、気を失ってしまわれました。

傍に付いていた者たちで姫さまを助け起こし、抱きしめるようにして姫さまを励まし、何とか乳母の家に辿り着くことが出来ましたが、お部屋に入った後も水さえも受け付けることが出来ない状態でございました。
後で姫さまの申されますのには、清水の橋を過ぎた辺りで、故法親王が夢に見たままの御姿で車に乗り込んできたので、驚いて気を失ってしまったそうです。

このあと姫さまの体調は、はかばかしくない状態が続きましたが、三月の半ばになって、どうやら懐妊されているご様子が明らかになって参りました。
姫さまには、法親王と最後に別れた暁以来、何らやましいことはなく、目を見交わした男の人さえいないと言うのですから、疑いようもなく法親王との契りゆえとなります。
とても悲しい出来事に包まれた中での契りでしたでしょうに、ご懐妊が明らかになった後は、姫さまの体調は目に見えて快方に向かい、ご自分でも不思議だと申されるほど、生まれてくる子を待ち焦がれるご様子が見えるようになっていったのでございます。

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