第三章 ( 五 )
御所さまの姫君のご病気も快方に向かわれましたので、初夜の勤行を最後として法親王は御所を退出なさいました。
後朝の有明の月殿の面影が、やはり姫さまの心に残っているご様子でしたが、お送りした後は思い悩む心をお静めになり、ご自身の局に戻り横になられました。
すると、まだ夜も明けきらぬというのに、右京権太夫菅原清長殿が御使いとして参られました。
御所さまが、「早々に参るように」とのお召だと申されるのです。
昨夜は東の御方が参上されておりますのに、なぜこれほど早い時間にお召しがあるのかと不思議に思われましたが、姫さまはそれ以上に意外に感じられたご様子で、胸騒ぎを押さえられているご様子で出仕のご準備をなさいました。
姫さまが参上なさいますと、
「昨夜は、更けゆくにつけ、『そなたを待ち焦がれている御方が気をもんでいることだろう』と思ったものだから、そなたを差し向けたのだ。世間に見られる普通の恋ならば、これほど寛容な態度がとれるはずがない。あの御方のお人柄がいい加減でないから、そなたとの恋を許したのだ。
それにしても、今宵不思議な夢を見たのだ。
かの御方が五鈷(ゴコ・密教の法器の一つ)を下さったのを、そなたは私に隠すようにして懐に入れたので、私が袖を引っぱって、『私がこれほど寛容なのに、なぜそのような態度を取る』と私に言われて、そなたは辛そうにして流れる涙を振り払って懐から取り出してみると、銀の五鈷だった。それは、亡き法皇の御物なので『私のものにしよう』と言って、立ち上がろうとしたところで、夢から覚めたのだ。
今宵、きっとこの夢の験(シルシ)となることがあるはずだ。もしそうだとすれば、疑いなくそなたは、子を宿すことだろう」
と、御所さまは仰せだったのです。
姫さまの衝撃はそれはそれは大きなものでございましたが、同時に、必ずしも真に受けていなかった様子もあったのですが、それ以後は翌月になるまで、御所さまから御寝所へのお召は途絶えてしまったのです。
姫さまは、いずれにしても「我が身の過ちなれば」と、御所さまのつれない態度をお責めになる言葉はなく、じっと耐えておられるご様子でございました。
やがて、姫さまのお体の変調が明らかになりました。
姫さまは、何もかも御所さまがご承知のことであり、さらに、このところ御所さまからまったくお召しがないことなども合わせて、これから先のことに茫然となっておられました。
そんな矢先の三月初めの頃でございました。
いつもより伺候されている人が少ない時でした。夜のお食事などということもない折に、御所さまが姫さまにお声をお掛けになり、二棟の方にお入りになる御供にお召しになられたのです。
どのようなお話をなさるのかと、姫さまは大変ご心配なされましたが、御所さまはとても穏やかなお言葉で、愛情が少しも変わらないことをお誓い下さったのです。そのお言葉に、とても嬉しいというべきか、とても辛いというべきか姫さまが迷っておられますと、
「いつぞやの夢のあとは、わざと言葉を掛けなかったのだ。そなたと共寝をするのもひと月置いてからと待っていたが、ひどく心細かったよ」
と仰られるので、やはりいろいろお考えの上なのだと姫さまは辛い思いでございました。
そして、その月より姫さまは間違いなくただならぬお体となり、有明の月殿のお子を身籠った疑いは紛れもないこととなり、夢のような儚い契りの結果の懐妊も、今さらながら姫さまは苦い思いと共に受け入れようとされておりました。
* * *
御所さまの姫君のご病気も快方に向かわれましたので、初夜の勤行を最後として法親王は御所を退出なさいました。
後朝の有明の月殿の面影が、やはり姫さまの心に残っているご様子でしたが、お送りした後は思い悩む心をお静めになり、ご自身の局に戻り横になられました。
すると、まだ夜も明けきらぬというのに、右京権太夫菅原清長殿が御使いとして参られました。
御所さまが、「早々に参るように」とのお召だと申されるのです。
昨夜は東の御方が参上されておりますのに、なぜこれほど早い時間にお召しがあるのかと不思議に思われましたが、姫さまはそれ以上に意外に感じられたご様子で、胸騒ぎを押さえられているご様子で出仕のご準備をなさいました。
姫さまが参上なさいますと、
「昨夜は、更けゆくにつけ、『そなたを待ち焦がれている御方が気をもんでいることだろう』と思ったものだから、そなたを差し向けたのだ。世間に見られる普通の恋ならば、これほど寛容な態度がとれるはずがない。あの御方のお人柄がいい加減でないから、そなたとの恋を許したのだ。
それにしても、今宵不思議な夢を見たのだ。
かの御方が五鈷(ゴコ・密教の法器の一つ)を下さったのを、そなたは私に隠すようにして懐に入れたので、私が袖を引っぱって、『私がこれほど寛容なのに、なぜそのような態度を取る』と私に言われて、そなたは辛そうにして流れる涙を振り払って懐から取り出してみると、銀の五鈷だった。それは、亡き法皇の御物なので『私のものにしよう』と言って、立ち上がろうとしたところで、夢から覚めたのだ。
今宵、きっとこの夢の験(シルシ)となることがあるはずだ。もしそうだとすれば、疑いなくそなたは、子を宿すことだろう」
と、御所さまは仰せだったのです。
姫さまの衝撃はそれはそれは大きなものでございましたが、同時に、必ずしも真に受けていなかった様子もあったのですが、それ以後は翌月になるまで、御所さまから御寝所へのお召は途絶えてしまったのです。
姫さまは、いずれにしても「我が身の過ちなれば」と、御所さまのつれない態度をお責めになる言葉はなく、じっと耐えておられるご様子でございました。
やがて、姫さまのお体の変調が明らかになりました。
姫さまは、何もかも御所さまがご承知のことであり、さらに、このところ御所さまからまったくお召しがないことなども合わせて、これから先のことに茫然となっておられました。
そんな矢先の三月初めの頃でございました。
いつもより伺候されている人が少ない時でした。夜のお食事などということもない折に、御所さまが姫さまにお声をお掛けになり、二棟の方にお入りになる御供にお召しになられたのです。
どのようなお話をなさるのかと、姫さまは大変ご心配なされましたが、御所さまはとても穏やかなお言葉で、愛情が少しも変わらないことをお誓い下さったのです。そのお言葉に、とても嬉しいというべきか、とても辛いというべきか姫さまが迷っておられますと、
「いつぞやの夢のあとは、わざと言葉を掛けなかったのだ。そなたと共寝をするのもひと月置いてからと待っていたが、ひどく心細かったよ」
と仰られるので、やはりいろいろお考えの上なのだと姫さまは辛い思いでございました。
そして、その月より姫さまは間違いなくただならぬお体となり、有明の月殿のお子を身籠った疑いは紛れもないこととなり、夢のような儚い契りの結果の懐妊も、今さらながら姫さまは苦い思いと共に受け入れようとされておりました。
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