雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

さて どうなるかな 米大統領選挙

2024-07-22 19:05:12 | 日々これ好日

   『 さて どうなるかな 米大統領選挙 』

   バイデン氏が 大統領選からの撤退を表明した
   後継者が誰になるか まだ流動的だが
   現段階では ハリス氏が有力らしい
   ハリス氏となれば トランプ氏とはかなり対極にある
   「もしトラ」から「ほぼトラ」となり 
   最近は「確トラ」とも 言われていたが
   さて 民主党候補の交代で どう変るかな??

                 ☆☆☆

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情欲の僧と菩薩 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 17 - 33 )

2024-07-22 08:15:49 | 今昔物語拾い読み ・ その4

     『 情欲の僧と菩薩 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 17 - 33 ) 』


   ( 1 ) より続く

さて、比叡山に帰った僧は、あの女の姿や有様を思うと、忘れ難く心に掛かって、「何としても早くこの御経を空で覚えて、行って会いたいものだ」と思う気持ちが強く、懸命に覚えようとしたので、二十日ばかりで暗誦できるようになった。
このように空で覚えようとしている間も、女のことを忘れることができなかったので、何度も手紙を遣った。
その返事の度に、帷(カタビラ・裏を付けない一重の衣服。)の布や干し飯などを餌袋(エブクロ・もともとは鷹の餌を入れて携行する容器であったが、人の食糧などの入れ物として使われた。)に入れて送ってきた。
その為、僧は、「私を本当に待ってくれているのだ」と思うと、心中嬉しいこと限りなかった。

完全に御経をそらんじることができたので、いつものように法輪寺に詣でた。その帰りに、最初の時と同じようにこの家に行った。
前と同じように、食事などさせ、家主に仕えている女房たちが出てきて、世間話などしているうちに夜もしだいに更けてきたので奥に引き上げた。
僧は、手など洗って御経を読んだ。その声は極めて貴い。しかし、心の内では女のことが気になって、読経に心がこもらない。夜もすっかり更けて、人はみな寝入ったようである。

そこで、僧は最初の時のように遣戸(引き戸)を開けて、そっと忍び足で近づいて行ったが、誰も気がつかない。
さらに女に近づいて添い寝すると、女は目を覚ましていた。
僧は、「自分を待っていたのだ」と思うと、とても嬉しくなり、その懐に入ろうとすると、女は着物を掻き合わせて入れようとせず、「お聞きしたいことがあります。それをはっきりとお聞きしたいのです。わたしが思いますに、『あなたは御経をそらんじました。ただ、それだけの理由で契りを成した後に、お互いに離れがたい思いになってしまえば、人目も恥じない振る舞いをしてしまうでしょう。わたしに取りましても、普通の男よりも、あなたのようなお方と結ばれることは清らかなことでしょう。しかし、御経を読むことだけを得意に思っているお方と妻になることは口惜しく思うのです。同じことなら、正式の学生(ガクショウ・学問によって立つ僧。僧の修行には、学問を専らとする僧と、仏教行事に熟練する僧の二方面がある。)になって下さいませんでしょうか。そうなって、此処から公卿方や宮様方の学僧として出仕なさるようになり、そのお世話をさせていただくことこそ願わしく思います。ただ御経が読めるだけの人を、出仕もさせず、家に閉じ込めておくような事はすべきではありません。このように、わたしのそばにおいで下さるのは嬉しいことですが、出来ることなら、そのようにして共に暮らしたいもの』と思いますので、本当にわたしの事を思って下さるなら、三年ばかり比叡山にお籠もりになって、日夜学問に励んで学生なってからおいで下さい。その時には、身も心もお許しいたしましょう。そうでない限り、たとえ殺されても従うことはあり
せん。あなたが山に籠もっておいでの間も、常にお便りいたしましょう。また、お困りの事がある時にはお世話させていただきます」と言った。
僧は女の話を聞くと、「なるほど、その通りかもしれない。先々のことまで心配して、このように言ってくれる人のことを、その気持ちをくみ取ることもなく拒絶するのも気の毒なことだ。それに、私はこれほど貧乏なので、この女の仕送りを受けて、それなりの地位に就くのも悪くない」と思って、返す返す約束して、部屋を出た。
夜が明けると、食事をしてから比叡山に帰っていった。

その後、すぐに学問を始めて、日夜怠ることがなかった。
「あの人に会いたい」と思う気持ちが、首の火を揮が如く(コウベノヒヲハラウガゴトク・・頭上の火を払うが如く、といった意味で、「緊急を要する例え」)思えて、心を尽くし肝を砕いて学問を続け、二年ばかり経つと、遂に学生(学僧)になった。もともと聡明な男だったので、このように早く学生になることが出来たのである。
三年になる頃には、まことに立派な学生になった。内論議(ウチロンギ・朝廷行事の一つで、天皇の御前で教義について討論する。)や法華三十講などの法会に出る度に、人に勝っていると称賛された。
「同年配の学生の中では、この人が最も優れている」と、比叡山においてもその名が噂された。

               ( 以下 ( 3 ) に続く )

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする