雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

落々として石の如く ・ ちょっぴり『老子』 ( 45 )

2015-06-19 13:38:56 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 45 )

               落々として石の如く

すべては、一が司る

「 昔之得一者。天得一以清、地得一以寧、神得一以霊、谷得一以盈、萬物得一以生、候王得一以為天下正。 」
『老子』第三十九章の冒頭部分です。
読みは、「 昔はこれ一(イツ)を得る者有り。天は一を得て以って清く、地は一を得て以って寧(ヤス)く、神は一を得て以って霊に、谷は一を得て以って盈(ミ)ち、萬物は一を得て以って生き、候王は一を得て以って天下の正を為せり。 」
文意は、「昔は、一(絶対的な真理、すなわち『道』を指す)を体得した者がいた。天はこの一を得て清く、地はこの一を得て安らかであり、神はこの一を得て霊妙であり、谷はこの一を得て盈ち、萬物はこの一を得て生き、候王はこの一を得て天下の政治を行った。 」

第三十九章はなお続いているので、文意だけを記しておきます。
「  これらのものをそのようにさせているものは一である。(ところが、一(すなわち『道』)が失われつつあるので)天が清くなくなれば、おそらく避けてしまうだろう。地が安らかでなければ、おそらく崩れてしまうだろう。神が霊妙でなくなれば、おそらくその働きが尽きてしまうだろう。谷が盈ちていなくなれば、おそらく涸れてしまうだろう。萬物が生きることなくなれば、おそらく死滅してしまうだろう。候王が一に基づく政治を行わなくなれば、おそらくその地位を失うだろう。
従って、身分貴い者は、へりくだって賤しい者を手本とし、高い地位にある者は低い地位の者を基として大切にしなければならない。それ故に、候王は自分のことを「孤・寡・不穀」という。これは、貧しい物、身分の低い者を手本としようとする例ではないか。
(候王のような者でもそのようにへりくだってきたのだから)あまり誉を得ようとすれば、かえって誉がなくなる。すべて人は、録録として輝く玉のようになることを欲しないで、落落として粗くいやしい石の如くあれ。 」

落落として石の如くあれ

この章も、「一」すなわち『道』という真理によってすべての物が司られているという論理の展開といえます。
そして、「天・地・神・谷」と「萬物」で、宇宙全体を表現し、その一翼には「候王(諸侯)」を置いているのは、当時の有名・無名の学者たちの多くは、諸国の高官を目指しいたからと思われます。『老子』先生が宮仕えを目指していたとは思いたくないのですが、政治のあり方を説いていたことは確かでしょう。

この章の最後の部分は、「 不欲録録如玉。落落如石。 」となっています。
「録録(ロクロク)」は、「碌碌」「琭琭」など、さまざまな字が当てられていますが、輝いている様を表しているようです。
「落落(ラクラク)」は、粗末なさまを表現しているのでしょうが、「落」の字をこのような使い方をしている例は少ないようです。
個人的には、「落落として石の如くあれ」という言葉はとても好きな言葉です。『道』の何たるかを知ることは至難の業ですが、何事につけあまり背伸びをしないで、「落落として石の如く」生きたいと思うのです。

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