
以前の表門
1695年に五代将軍綱吉から柳沢吉保が貰い受け、下屋敷として使った所です。吉保はわずか440石の小身旗本でしたが、綱吉に取り入り15万石の大名にまで出世したやり手です。「生類憐みの令」など、綱吉時代の殆どの規律を作ったのが吉保だそうです。現在は約3万坪、駒込駅の目の前にあります。以前は駅前の門からすぐに入れたのがどういう訳か、今はぐるりと10分ほど歩いた裏門からしか入場させなくなってしまいました。おじちゃんのような、ものぐさにとっては全く不便になってしまいました。年寄りでも元気な人だけが行くからなんでしょうか。


現在の表門
来ているのは不思議と年寄りばかりで、若い人たちの姿がありません、まあそれもそのはず、おじちゃんがここを通るときは平日が多いですからね。ましてや子供の姿なんか、ついぞ見た事がありません。成程、都の庭園は65歳以上の年寄りは無料なんですね。多いわけです。年寄りよりも15歳までは無料にした方がいいような気がしますがね。
おじちゃんが小学生の頃、ここの池に大きな鯉を釣りに来た事がありました。1メートル近い鯉が入れ食い状態で、それが面白くて何度も来た記憶があります。でも大きすぎて持ち出せない。何度か通ううちに、とうとう管理人に捕まりひどい目に遭った事もありました。それ以来、亀だけを捕るようにしました。亀は上着に隠して持ち出せたから。でも、すぐに戻って池に放しました。今、思うとずいぶんと悪いことをしたもんです。

今は住まいから数百メートルの距離なのに、殆ど入園することはなくなってしまいました。あまり近すぎるとこうなのかもしれません。だいいち大人になった今は、あの楽しかった鯉釣りは出来ないですからね。

明治に入って、成り上がったあの岩崎弥太郎が買い取り、その後東京都に渡り、都の庭園として公開されました。おじちゃんが小学生の頃は、塀が明治時代に出来たものだったので、所々壊れてもぐりこめたことがあったんです。今ではすっかり新しいものに換えられ、ねずみさえ潜り込める事が出来ない立派なものになりました。あまり立派過ぎて想い出から遠ざけているようで、それも最近入園しない理由の一つになっているのかもしれません。

湯島の岩崎邸