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外国特派員協会の反日ぶり

2015年12月27日 | 中国



◆世界に「反日の毒」をまき散らす 外国特派員協会
http://www.sankei.com/politics/news/140514/plt1405140020-n1.html
「政治活動」と称する記者会見設定、いまも抜けない占領者気分。日本について悪意に満ちた情報を海外に垂れ流すメディア拠点の実態を暴く(文藝評論家・西 法太郎 月刊正論6月号)
 ニューヨーク・タイムズ元東京支局長H・S・ストークスはFCCJの本姿を次のように述べている。
  日本外国特派員協会は、マッカーサーの日本占領と同時に設立された。理由は、アメリカによる日本占領がいかに正しく、人道的であり、歴史の偉業であるか、全世界へ向けて報道させるためだった。東京裁判史観を、世界中に撒き散らした総本山が、日本外国特派員協会といってよい。
  マッカーサーはメディアの力を目いっぱいに活用して、自らのエゴを美しく飾り立てた(『英国人記者の見た連合国戦勝史観の虚妄』)。
 占領期、FCCJはGHQの情報発信基地だった。占領軍が去った講和後もそのスピリットを受け継いだ外人ジャーナリストたちは、いまなお日本人を敗戦国民扱いし、反日活動にいそしんでいる。その姿をあぶり出してみよう。

◆歴代「害人記者」のすさまじい所業
 週刊新潮(2011年2月3日号)に「害人記者会」というタイトルの記事が載った。書いたのは元新聞記者だ。あらましは次のようなものだ。
●シカゴ・サン紙特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』で敗戦下猖獗を究めた米兵の狼藉に一行も触れていない。
 狼藉とは調達庁の調べとして占領期間中、米兵により、毎年平均350人の日本人が殺され、1000人以上の婦女子が暴行されたことだ。
 GHQの強要で日本政府が設けた慰安施設(売春宿)について「米軍を腐敗させようとするぬかりない日本側の謀略がある。その武器は酒と女で、目的は占領軍の士気と占領政策の破壊にあった」とすり替えた。
 10万人が生殺しにされた東京大空襲の焼け跡を眺め、「6千人は死んだ」と平然とウソをついている。
 日本にはまだ十分過ぎる工業力があるから「製鉄、造船施設の大半を支那・朝鮮にやろう。それでも日本は豊かだ」と言う。他のアジア諸国が日本より貧しかったのは白人たちに植民地として搾取されていたからだろう。
●南ドイツ新聞のボルクは皇太子殿下の写真に「失敗」のキャプションをつけた。
●NYタイムズのデビット・サンガーは小錦に人種偏見で横綱になれないとしゃべらせた。人種偏見とは黒人奴隷を使い、ポリネシア人が平和に暮らしていた南国の楽園ハワイをかすめ取り、十万人単位でフィリピン人を虐殺したアメリカ人のためにある言葉だ。
●サンガーの後任のクリストフは日本兵が人肉を食らったと書いた。
●その後任のハワード・フレンチは在日朝鮮人の犯行を日本人がやったと書いた。
 極東に優秀な記者は来ない。日本にやって来た外人記者の大半はウソやデタラメしか書かなかった。
 それでも大手の欧米報道機関が職業記者を送り込んでいた時代はマシだったという。留学や物見遊山で日本にやって来て本国に帰れなくなり、他にやることがなくジャーナリストを名乗るようになった輩がFCCJに巣食いだした。それが協会幹部になってから酷くなったという。その仲間に、暇を持て余した日本人たちが加わってメチャクチャになった。
 通信社の元極東総支配人、民族学学者崩れ、大手新聞元外報部長、英語教材会社のHPに「外国特派員クラブの窓から」というコラムしかない老嬢、経済誌の元編集委員などだ。

 FCCJの機関誌「No.1 Shimbun」は「秘密法が調査報道に与える影響」を特集した。そこで会長(FCCJトップ)は、「歴史的に、FCCJは見解が分かれる論争において、中立の立場を保ってきた。しかし報道の自由を侵す行為は看過できない」と表明した。
 ほんとうにFCCJは中立を守ってきたのだろうか。

◆偏向「反日」外国人記者に語学試験を http://www.sankei.com/column/news/151215/clm1512150004-n1.html
 現在ロンドンの人口の8割は海外から来た人で占められ、国勢調査では、英国生まれの白人は全人口の44・9%に過ぎないらしい。
 戦後、英国人は肉体労働を嫌い、アジア、アフリカ、西インド諸島の旧植民地の移民を受け入れ、最近は中東や東欧から大量に流入し、英国社会は多民族、多文化が進んだ。移民問題は大英帝国の歴史そのものだ。多様な人種が話す英語もそれぞれの「お国なまり」が混じって聞き取りにくい。英語も多種多様なのだ。
 赴任のビザ(査証)取得の際に英語の試験を課せられた。1990年代初めに留学した米国や90年代後半に駐在したロシアでは語学力を要求されなかったため異様に思えた。しかし赴任してみると、英国理解には、まず言語を習得すべきだと痛感した。
 赴任前、入会していた日本外国特派員協会で、日本語ができない外国人記者たちが偏向した「反日」記事を世界に発信しているのを苦々しく感じた。日本も日本語能力を外国人特派員へのビザ発給の条件にしたらどうだろうか。正しい日本理解につながるかもしれない。(岡部伸)



































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