goo blog サービス終了のお知らせ 

なんかこのー  Eso Que・・・ 

下手なスペイン語ですいません
Lo siento por los españoles poble

日本の伝統文化  都都逸の面白さをひとつ

2013年08月31日 | 日記




かなり以前に常磐線周りで東北・北海道をひとりで旅したとき、定かではないですが確か石岡駅だったでしょう、下り列車の先頭のホームの一角に常陸が故郷だった寄席芸人で、江戸時代に都々逸を津々浦々に浸透させた功労者「都々逸坊扇歌」(どどいつぼう せんか)の歌碑が建っていたのを覚えています。かなり前ですから、今現在あるかどうか確かめたわけではないですが。その碑には

『今日の旅 花か紅葉か知らないけれど 風に吹かれてゆくわいな』


と彫られていました。偶然、列車が止まったところに在ったので、なんかこのー、「前途三千里のおもい胸にふさがりて」と嘆じた芭蕉ではないですが、これから長いみちのくの旅に出かける心の中にひどく響いたのを覚えています。
また円生が落語の枕でこの扇歌のことをよく噺していたので余計に印象に残ったのでしょう。

情歌といわれる都々逸、いいのがありますね、

『ちらりちらりと降る雪さえも 積もり積もりて深くなる』
『浮名立ちゃ それも困るが世間の人に 知らせないのも惜しい仲』
『言葉のはずみで 別れた人に 今夜は逢えそな 朝の蜘蛛』(蜘蛛が朝巣をかけるとゲンがよいとの諺から)

『山のあけびは何見てひらく 下の松茸見てひらく』
『ついておいでよこの提灯に けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから』
『皺(しわ)のよるまで あの梅の実は 味も変わらず すいのまま』(変わらぬ女心)
『諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた』(扇歌)
『たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車』(〃)
『白鷺が 小首かしげて二の足踏んで やつれ姿の水鏡』(〃)

『あとがつくほどつねっておくれ あとでのろけの種にする』 (志ん生がよく演った)
『あとがつくほどつねってみたが 色が黒くてわかりゃせぬ』 (      〃    )
『この酒を 止めちゃ嫌だよ酔わせておくれ まさかしらふじゃ言いにくい』
『火鉢引き寄せ 灰掻きならし 主(ぬし)の名を書き目に泪』(        〃     )

『嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理がいい』
『お前に見しょとて 結うたる髪を 夜中に乱すも またお前』
『惚れさせ上手なあなたのくせに 諦らめさせるの 下手な方』
『君は吉野の千本桜  色香よけれど   きが多い』
『おまはんの 心ひとつでこの剃刀が 喉へ行くやら眉(まゆ)へやら』
『酒に酔うまで男と女 トラになるころ オスとメス』


どうです。お気に入りのはありましたか。江戸時代には全国津々浦々までも『寺子屋』が普及していたので、世界でも稀に見るほど文盲率が低かった日本です。余程でない限り寺子屋へは殆どの人が通っていたそうですし、そこではすぐに役立つ読み書き習字や簿記、算盤などを教えていたそうです。

そうじゃなければ、こんな洒落て、ひねりの効いた言葉の解釈は出来ませんからね。


鳥の上下関係

2013年08月30日 | 日記







胆のう摘出手術後、傷口が痛む時、横になると必ず文鳥のつがいが交代でやって来ます。交代なのはまたメスが産卵し替りばんこに抱卵をしているので、同時に出てこれないからです。特に最近は二羽とも甘えが増長しています。やはりいつも二羽で行動しているのが出来ないせいなんでしょうか。

それをじっと見ている、やもめのインコが、二羽の隙を狙って寝ている顔に止まりに来ます。これはとても気が小さくて文鳥が近づくとすぐに逃げてしまうので文鳥がいないのを見計らって飛んできます。文鳥の方もそうと知ってか、おお威張りでインコを追い払っています。

インコが不憫になりますが、性格だから仕方がないかと諦めています。オスの文鳥は言うことをよく聞きますが、メスの方は自由奔放でなかなかきかん坊なところがあります。自分の好きなことは怒っても絶対にやめないで、しつこくやり続けますが気に入らないと見向きもしません。まったくと思うけれど、どれも一長一短でなかなかに面白いです。こんな小さな生き物でも一緒にいると楽しいものです。

百日紅の咲く頃

2013年08月29日 | 日記

車のガラスの反射が入り見苦しいですが


百日紅と書いてサルスベリと読みます。夏から秋のはじめ頃までの百日間咲いているからこう呼ばれるようになったそうです。ですが3ヶ月以上咲いているというのは少し誇張かもしれませんが、かなり長い間咲いているのは確かです。

この花も好きで親父さんの家の庭に、30年ほど前2株植えましたが、今では立派な大木に成長しています。なにかこの花の咲くころには、寂寥感を覚えてしまうのです。理由は分かりませんが何となく秋の訪れを感じるからでしょうか、ただ何となく寂しさを感じてしまうのです。

今日、母の墓参に行きましたが霊園にもたくさんの百日紅が咲き誇っていました。見事に手入れされた並木になっていました。そちらを撮影すればよかったのですが、残念ながら出来ませんでした。

今日は凄く道が車で混んでいました。このところ夏休みのせいなんでしょうか、いつも東京は渋滞がありますが特に混んでいるように感じます。道路の並木にも百日紅があるといいのですか。

増えるマナー違反

2013年08月26日 | 日記




何だか危なっかしい乗り方でした。今にも倒れるんじゃないかと思うヨタヨタ運転でした。万一倒れでもしたら、本人はともかくとばっちりを食った周りの人は堪ったものじゃありません。

とにかく注目されたいのでしょうが、こんな乗り物は公道への乗り入れは禁止されているはづです。車にぶつかる可能性も大いにあるし、歩行者との接触も考えられますから、絶対に公道では乗らないようにしてほしいものです。

でも最近は、こうした自分勝手のマナーや道徳観や礼儀を忘れた日本人が増えてきています。本当に嘆かわしいことです。やはり家庭での躾ができていないのと、学校での教育が自由ばかりが強調されて、自分勝手が増えているせいでしょう。

家庭で躾ができない親が増え、学校では社会性や協調性や道徳観が欠落した授業や教師自身が増えた結果でしょう。日本人なのに入学式や卒業式で国歌も歌わず、起立もしないのが違法ではないと判断する裁判官が、この国に存在していること自体が異常です。それは自由とは違います。それなら学校の試験を受けなくても落第させるのは、学校が悪いと言っているのと同じです。

一日も早く教育の現場からこんな教師たちは排除して、法曹界からは、こんな判断をする判事や弁護士を駆逐しない限り、日本本来の日本人としての誇りや道徳心は生まれてきません。日本人の素晴らしさは『和をもって貴しと為す』という聖徳太子の十七条憲法の初めに書かれている言葉です。

とにかくおかしな教育によって反日思想に汚染された教育者や、反日左翼のマスコミ、常識からかけ離れた頭がおかしいとしか思えない判決を下す裁判官、オウムなどの殺人集団の弁護や、光市の母子惨殺殺人鬼の弁護を自ら買って出る21人の弁護士たち。こんな害虫たちがはびこる社会から、日本を救うには、真っ先に反日左翼思想にどっぷりと浸かった日教組を退治することと、効果的な殺虫剤を用意しておくことが重要です。

そして一日も早い日本本来の『和をもって貴しと為す』国家の再建を急ぐことが最重要課題です。

ずっと嫌っていてください ∞ ‼    アジアで反日は中韓だけ 

2013年08月25日 | 日記



『日本人が知らない親日国家「20対2」の真実』japan business pressより


【安倍首相のアジア訪問で明らかに】
 安倍晋三首相が7月27日、3度目の東南アジア訪問を終えて帰国した。この歴訪でまた印象づけられたのは、わが日本がアジアの大部分の地域で圧倒的多数の諸国から親近感を抱かれ、頼りにされているという現実だった。日本が憲法を改正しても、閣僚が靖国神社に参拝しても、なにも文句をつけず、むしろ協力を深めようというアジア諸国が大多数なのである。

 この現実は、中国と韓国の反日姿勢をアジアでの例外として浮き彫りにすることともなった。「日本がアジアで孤立しつつある」などというのは一部の日本批判勢力の現実を歪めた主張なのだ。

【アジア諸国は日本に「反発」していない】
 安倍首相は7月25日からマレーシア、シンガポール、フィリピンの3国を歴訪し、27日夜、東京に戻った。2度目の首相になって以来、1月のベトナム、タイ、インドネシア歴訪、5月のミャンマー訪問に次ぐ3度目の東南アジア訪問だった。

 今回の3カ国歴訪でも、各国の日本への友好や期待が強く示された。中国の脅威に対して連帯を強化することが合意された。また、安倍首相が日本の憲法改正や集団的自衛権解禁の意図を説明すると、フィリピンやシンガポールが同意と理解を示した。要するに東南アジア諸国の日本への信頼が改めて明確になったのだ。
 一方、日本内部では主要メディアも含めて、安倍政権の安全保障への前向きな取り組みや憲法改正への動きをとらえて、「アジア諸国の懸念や反発を呼んでいる」とか「日本はアジアで孤立しつつある」という評ばかりが目立つ。
 ところが東南アジア諸国の日本への好感度の高さを見ると、中国と韓国だけがアジアでは反日であり、例外であることが歴然としてくるのだ。

 そもそも日本と戦争をしたこともない韓国が日本の閣僚の靖国参拝に猛反対し、「日本は侵略戦争を反省せず、美化している」などと断じている。
 戦争の美化や正当化を非難する声は、本来、日本軍の進撃や占領を受けた諸国からより強く、長く起きるべきである。日本軍の戦場となった諸国からこそ「日本の軍事行動」に起因する非難が強くぶつけられて然るべきなのだ。ところが現実は逆である。

 フィリピンやインドネシアでは、日本軍が米軍やオランダ軍と死闘を展開した。フィリピン人やインドネシア人も日本軍に戦いを挑んだ。日本の歴史認識を問題視する傾向が激しくてもおかしくない。だが実際にはこれらの国では「日本には戦争への反省や謝罪が足りない」という声は出てこない。靖国参拝に関しても同様である。

 日本に対し過去への認識を理由に非難を続けるのはただの2国のみ、韓国と中国だけである。
 そんな日本非難は決してせず、もっぱら日本のあるがままの姿を認め、一部には防衛力の強化を求めるのが、それ以外の大多数の諸国、つまり合計20カ国なのだ。総計すると、20対2なのである。

 つまりはアジアでは日本は合計20の諸国家に好かれ、信頼され、一方、ほんの2カ国だけには嫌われているというのが現実なのだ。

 20対2がなぜ「日本はアジアで孤立」という総括に結びつくのだろうか。2カ国の側にむしろ特別な事情があるからこそ、反日、嫌日となるのではないか。その反日、嫌日は日本側に原因があるのではなく、嫌う側に特殊な内部事情があるからではないのか。


そうやってずっと嫌っていなさい。嫌いなのに無理に付き合う必要はありませんよ。願わくば日本と国交を断絶してください。それは大多数の日本人の願望であり意思です。犯罪や毒食をはじめとする汚染が減って大歓迎です。



靖国は日本人の心

2013年08月24日 | 日記








日蓮宗系の尼僧、鈴木日宣(すずき・にっせん)さんの言葉 【産経ニュースより】

 宗教と呼ばれるものには4つの要素があります。(1)教えを提唱した教祖や開祖があること(2)本尊として拝む対象の神仏があること(3)経典、教義があること(4)伝導する者がいること。これらすべてが当てはまって初めて宗教といえるのです。
 
 貴賤上下や老若男女にかかわらず日本を護(まも)るために亡くなった方々を「神」として祭祀しています。しかし「神」といっても超越的絶対者、天地創造主の「神(GOD)」とは全く異なります。日本では古来より優れた能力、智慧、徳のある者、皇室の御先祖をはじめ国や人のために献身的に尽くした人が亡くなった後、その功績を称えて「神」として崇めているものであり、宗教上の「神」とは違います。
 
 しかし、靖国神社に当てはまるものは何一つありません。開祖もなければ経典もない、いわゆる日本の伝統文化であって宗教ではありません。仏教、キリスト教、イスラム教、そのほか新興宗教といわれるものとはまったく別の次元であると考えられるべきです。
 感謝の心を捧げる一日に 宗教とはいえない靖国神社で国のために亡くなった方々を追悼することに何はばかることがありましょう。また国が徴兵し戦死された数多くの国民も祭祀されており、国家として追悼する責務があるはずです。中国や韓国からの「内政干渉」に屈する必要はありません。堂々と総理大臣は公式参拝すべきです。また天皇陛下が心安く御親拝されるようになることを切に祈っております。


マスコミや馬鹿な政治家は靖国は宗教施設だから政治家が参拝することは相成らん、とまるで中韓のように叫ぶ者もいる。認識不足もいいとこだし、それこそ歴史を知らない阿呆だ。靖国神社は戊辰戦争の戦死者が祀られたのが始まりで、大東亜戦争の戦死者だけが祀られているのではない。

ただひとつ江戸っ子のおじちゃんが気に入らないのが、戊辰戦争の戦死者でもクーデターを起こした張本人の薩長と土佐肥後の戦死者しか祀られていないことだ。未だに幕府の彰義隊や会津の武士たちは祀られていない。これは勝者の薩長の者たちが明治政府の要職についてしまったのだから仕方がない。まさに『勝てば官軍』なのだ。

それはともかく、日本と戦争もしていない共産シナや韓国にとやかく言われる根拠もない靖国参拝を、あの風見鶏の中曽根康弘が止めてから、日本の左翼たちが勢いづき今日に至っている。すべての禍根は日本自ら作り出しているのだ。反日マスコミはさらにそれを増長させている。

靖国参拝を政教分離と言っている公明党こそ、自らのカルト集団創価学会からの完全分離をしてから政治を行うべきである。

CO2からエタノールや燃料を創り出す日本の技術

2013年08月23日 | 日記



地球温暖化の元凶の二酸化炭素CO2から燃料を創り出してしまうという、夢のような実験がいま日本で着々とおこなわれている。すでにパナソニックでは実際にCO2からエタノールなどの有機燃料の生成に成功している。さらに効率的な装置の作成が続けられている。いづれ地球を汚しているCO2が燃料の原料として使われ、二酸化炭素の削減とともに温暖化や異常気象などの災害も減ってくる可能性も含んでいる。

完成していないので特許などの枠以外にも、いろいろな方法によってCO2を燃料に変換する技術は存在するが、この分野では日本が今のところ群を抜いているという。このまま進められれば10年後位には実用化も夢ではないらしい。そうなれば藻から石油を作ったりするよりも、はるかに効率的なエネルギー生成になるだろう。

昨日も書いたが、日本人の発想や技術力や諦めないチャレンジ精神は、世界の中でも最高水準にある。何度も何度も失敗を繰り返しても諦めずに、研究を進めて行くのは、先人たちの偉業を見ても証明している。伊能忠敬や田中儀衛門や家族を犠牲にしてまでも、世界初の麻酔薬で乳がんの手術を成功させた花岡青洲。

さらに自らも研究中に罹患し死亡した黄熱病と梅毒の菌を発見した野口英世、破傷風やジフテリアの血清を開発し、ペスト菌を発見した北里柴三郎、世界有数の自動車メーカーにのし上げた本田宗一郎や世界のソニーに育て上げた盛田昭男氏や日本人の優秀さを証明するのは、枚挙にいとまがないほどの数に上る。

CO2からエネルギーを取り出すことも、日本が最初になり日本はエネルギー資源国になるかもしれない。日本人の知恵は宇宙のように無限なのだと思う。


日本人て世界一優秀

2013年08月22日 | 日記

世界広しと言えども1秒単位で遅延なく運行している国は日本だけ


以前に書いたコピーになるがもう一度
 嘉永6(1853)年、黒船を率いて日本に開国を迫ったぺリー提督は、幕府との交渉のかたわら江戸湾沿岸の測量に精を出した。日本と開戦した場合に備え、地形を把握するのが狙いだった。3隻の船を使い、当時世界最先端だった三角点測量を繰り返した。そして意外な事実に気づく。測量結果と、携えていた日本の地図がまったく同じだったのだ。

 この地図を作成したのは、ご存じ伊能忠敬。地図をつくるには数学や天体観測技術、地球の自転に対する理解など先端知識が必要。このため、ペリーは正確な地図がつくれるのは文明の進んだ西洋の数カ国に限られると思っていた。

 ところが、予想に反して日本の技術レベルが高水準なことに驚き、測量を中止して引き揚げてしまった。このことがやがて「ペリーの艦隊と戦端を開かず、無事に(明治)維新を行う原動力となった」(日本人の育ての知恵、PHP文庫)とされる。

 最近、日本の技術力に目を見張ったのは中国だろう。中国は2年前、尖閣問題をめぐる対立で日本に対し、電気自動車など先端製品の生産に不可欠なレアアース(希土類)の「禁輸」に踏み切った。中国は世界のレアアースの9割以上を生産。日本に対する強力な外交カードになるはずだった。

ところが、日本企業はレアアースが不要な製造技術やリサイクル技術を次々に開発し、実用化。さらに調達先をオーストラリアなど中国以外に広げ、対中依存度を急速に引き下げた。このため、中国のレアアース業者は軒並み業績悪化や工場停止に追い込まれる事態になっている。日本を侮った結果といえ、中国にとってはまったくの誤算だっただろう。

 一方、今の日本経済は「失われた20年」「超円高」「空洞化」と難問が山積している。少子高齢化にも直面し、国内総生産(GDP)は中国に抜かれた。民主党政府の無策ぶりもあって、閉塞(へいそく)感に覆われているのが実情だ。昨今の世論調査をみても明るい展望を持てない人がたくさんいる。

 日本が得意の技術が突破口にならないか。こんなことをよく考える。iPS細胞を開発した京大の山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞受賞は、日本の技術水準を改めて世界に知らしめた。一枚の地図がぺリーを追い返したように、技術には計り知れないポテンシャルがある。日本人はもっと自国の技術力に自信を持っていい。(フジサンケイビジネスアイ 副編集長 小熊敦郎)


ノーベル物理学賞や科学賞を取った日本人は米国に次いで世界で二番目に多い。◆ノルウェーで行われる『ノーベル平和賞』などは、およそ政治的な要素が強くノーベル賞の基準から外れたものが多い◆
したがって世界のすべての技術の発端は日本発と言っても過言ではないほど、日本の技術は優れている。
それは今回ノーベル生理医学賞を取った山中伸弥京都大学教授の言葉「家族や研究仲間の協力と、日本という国に支えていただいて、日の丸のご支援がなければ、この素晴らしい賞は受賞できなかったと、心の底から思いました」という言葉に凝縮されている。日本人の持つ「和」の精神が世界の発展にいかに貢献しているか、ほとんどの日本人が再認識したことだろう。

それに引き替え、東芝に勤めながら青色LEDを開発した研究員は3億円の報奨金では飽き足らず、なんと6百億円も裁判をしてもぎ取っていった。彼一人の努力だけではなく、会社があり協力者たちの援助があってこそ初めて成功したものなのに、それらすべてをまさに裏切り莫大な金額を手にし、さっさとアメリカに逃げて行った守銭奴としか言いようのない者もいた。

もちろんこんなのは、例外中の例外であってほとんどの日本人研究者は、仲間たちの協力に謝辞を述べている。

それはともかく、鎖国していた江戸時代ですら伊能忠敬や高等数学を編み出した和算の権威、関孝和や、季節によって昼夜の時刻の長さの違う日本の不定時法に対応して、季節により文字盤の間隔が全自動で動く、世界初となる仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させた、からくり儀衛門こと田中久重は、後の東芝の創業者。この時計の仕組みは現在の精工舎の技術者によって分解されたが最新技術をもってしても複雑すぎて創れない、という結論に至っている。

明治に入ってからは、ライト兄弟よりも12年も前に、動力飛行機を飛ばしていた人がいた。それは香川県丸亀出身の二宮忠八という豪商の息子。

まだ20代の二宮忠八が、香川県の丸亀練兵場で、わずか10メートルではあるが、世界初のプロペラ飛行実験を成功させたのが、明治24(1891)年4月29日である。

もうその頃から日本人は世界の最先端を踏み出していた。江戸時代にポルトガルやオランダの宣教師や外交官たちが、日本の道路や町が自国よりもはるかに清潔で整備されていることに驚嘆している文献が数多く残されてもいる。

技術立国日本は、何も戦後始まったわけではなく先人たちの知恵は数百年、数千年前から日本人の中に培われていた。新自由主義を唱える小泉、竹中の米国の走狗と阿呆集団「民主党」によって失わされた空白の時間を、今度こそ優れた国民性の、真正日本を取り戻すチャンスにする時だ。



さあ、いよいよ退院

2013年08月21日 | 日記








入院から4日、手術から3日が経った。昨日の昼から食事が提供されたが、まったく食欲なく一口も手を付けられない。点滴のせいなのだろう吐き気と悪寒がひどく、本当に全く食べる気が起こらない。

今朝、尿道に差された管を看護婦さんが抜いてくれた。これでもうおトイレにも行けますね、一緒に行きましょう、どのくらいお小水出るか見ますから、と一緒にトイレに連れて行ってくれる。

情けないものだ。ほんのちょっと腹を切っただけなのに、こんなに弱々しくなるなんて。昔の侍や兵隊はこんな傷でも、おそらく戦っていただろうに。

夕方、2本の点滴が抜かれた。急に食欲が出てきた。その夜の夕食は美味しくはないが、半分ほど平らげた。やはり点滴は食欲には天敵なのだ。

そして毎日夕方には手術を担当した先生方が診察に来る。傷口を見て、腹水で汚れていますから取り替えます、とすべての傷口のガーゼを取り換えた。


4日目の夕方になると、一人だけ先生が現れ、摘出した胆のうのそばの肝臓の下に挿入されていた管を抜きに来た。実をいうとこれが一番痛んでいた。ほかの箇所は傷口だけだから動けば痛むが、ここだけは寝ていてもズキズキと痛みを感じていた。先生は結構荒い手つきで絆創膏を取りガーゼを剥がして中に入った管を引っ張り出している。

7~8センチあるというから、抜くとき結構痛い。痛みに我慢強いですね、と先生は言うけれど、そんなことはない、やせ我慢しているだけだ。だが不思議抜いたとたんに、あの違和感のある痛みがかなり軽くなった。この管が痛みを増幅していたんですよ、と先生はニコニコしながら何かあったら明日でも言ってくださいと、病室を出て行った。

アー、このまま順調なら明日で5日目退院の予定日だ。おそらく大丈夫だろう。

翌朝看護婦さんから、よかったですね、退院の許可が出ましたよ、と知らせてくれた。仲良くなった看護婦さんが、わざわざ来て「私、今日はここの担当ではないんですが、よかったですね」と一緒に喜んでくれた。娘よりもずっと若い看護婦さんたちに本当に感謝です。

服を着替えて待っていると、毎日来てくれていたカミさんがあらわれ、「アラ、今日はずいぶん元気だ事、まるで別人みたい」と昨日までの痛そうな様子とはあまりに違うので驚いている。

人生において病気ほど損なことはない。よくなっても元通りに戻るだけ。痛い思いをして永い入院と、この上ない苦痛とべらぼうに高額な治療費を支払わなければならない。こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。

外に出ると、残暑の蒸し暑さが体全体を包み込んできた。



入院時の預かり分を差し引いた清算金

手術の後 一日目

2013年08月20日 | 日記



やはり手術当日は、一睡もできなかった。朝早くから起きたくても、痛みで起き上がることは出来ない。点滴の痛み止めのロピオンという薬のせいなのだろうか吐き気がひどい。6時半に看護婦さんが回診に来る。熱と血圧を測る。熱は37.8分ある。傷のせいらしい。

その後30分か1時間おきに次々と看護婦さんたちが来て熱を測ったり、痛みますかと聞いたり、吐き気はと、色々なことを聞きに来る。眠れなかったから眠ろうとしても、痛みや最悪な気分のせいで寝ることも出来ない。

中には、立ってトイレに行ってくださいなんて、無責任なことをいう看護士もいる。脚も固定され小便の管もついていて、しかも点滴が2本も繋がっているのに、どうやって立つんだ、と言ってやりたい気分だ。行けるわけないだろうに。それでも看護士か?そんなのも一人だがいた。

その夜も眠れそうにない。先ほどまでしていた酸素はとられてしまった。心臓手術後に服用している血液をサラサラにするアスピリン系の薬の作用なのだろうか、出血がかなりあったようで、赤血球が減り、そのせいで酸素を運ぶヘモグロビンが減少して、いつも少し桜色の爪の根元も指も手のひらも青ざめてしまっている。息が苦しいわけだ。心臓手術の後もヘモグロビンの値が平常14のところわずか4まで下がってしまい、急遽輸血をして助かったほどだ。

そうした経験から、息が途切れたり、脈が飛んだりしたりするので、どうしても酸素を、と頼み人差し指で酸素の量を計ってもらったら92。95以上が正常とのことで、やっと聞き入れてもらった。お蔭でかなり息苦しさから解放された。

今こうして書くことができるが、その日は本当に地獄にいるような、今にも地の底に突き落とされてしまうような何とも言われぬ嫌な気分だった。しかし、メキシコで心臓を手術した後の、本当に針のむしろに寝かされていた半年間の苦しみから比べたら、こんなものはまだまだましだと思いながらとても辛いけれども、耐え忍んだ。


さあて いよいよ手術

2013年08月19日 | 日記

昼に看護婦さんが呼びに来て、徒歩で地下の手術室まで誘導される。ステンレスの大きな観音開きのドアーが開くと、長い廊下に沿っていくつもの手術室が並んでいる。こんなに大きな手術室は見たこともない。10数室あるのだろうか。その一室につれて行かれ、麻酔科の女医さんたちに取り囲まれ素っ裸にされた。台に寝て、手の甲に麻酔を打ちますから少し痛いですよ、と誰かが云った。チクリと針の刺さる感触の後、体が少し熱くなる。麻酔薬が入ってゆくのだろう。あんまりいい気持ちじゃない。

今まで数回受けた手術では、病室で麻酔の点滴を受け、手術室に運ばれてから、呼吸器の麻酔で完全に眠ってしまうのが普通だが、ここのは少し違う、鼻と口にマスクをかけられても数を数えてくださいもなにもない。普通この段階で4まで数えると意識がなくなるのだが、まだ手の甲がチクチク痛い。ちゃんと針が入っていないんだな。そんなことを感じながらマスクがかけられてから数十秒後には、意識が飛んでいた。

気がついたときには、手術終わったんですか、と聞くと、はい終わりました、の返事。もう3時間経ったんだ。それから30分ぐらいしてから病室に連れ戻された。何だか背中とおなかが痛む。おなかは4箇所切っているから痛いんだろうが。体が全く動かない。それもそのはず、両脚に空気ポンプが繋がれて血圧計のように動いている。

恐らく脚で血栓が作られない用心のためなんだろう。勿論痛みと点滴の針が手に二箇所入っているので、左手は全く動かすことができない。両足も駄目。がんじがらめで腰が痛い。傷口が痛いのは切ったのだから仕方ないが、背中や腰は手術台に寝ていたせいからだろう。

息苦しい、やっと動く右手を見ると心臓手術のときと同じように真っ青になっている。酸素不足だ。出血して血が減った分赤血球が減って息苦しいんだ。看護婦さんに酸素マスクというと、すぐに持ってきてくれた。息は少し楽になった。

胆のうから摘出された胆石

胆嚢結石の手術

2013年08月18日 | 日記







検査の結果、胆嚢結石(たんのうけっせき)と診断されました。胆嚢全摘出の手術です。しかも全身麻酔ですって。ちょっと待ってください。以前心臓冠動脈の手術で心臓の1/3が壊死しているんです。それなのに全身麻酔ですか。

先生は「そうです」「先生何とか局部麻酔で出来ないでしょうか?」「心臓手術していても大丈夫ですよ。それに血液サラサラの薬も飲み続けてください」「エッ それでは血が止まらなくなってしまうんですが」「わかりますが、万一手術中に血栓が脳に飛ぶほうがリスクが高いですから」

という訳で、数日前からやめていたその薬を入院の前日から飲み始めました。いよいよ入院、暑いので暑がりには、やはり個室しか選択肢がないし、それも特別室しか空きがない。仕方ない。余裕もないのに1泊すると84000円也だ。部屋代がこの病院は高すぎると言っていた人がいたが、成る程だ。

手術代は120万円、それの3割40万円が負担分、さらに部屋代と食事代や薬や経費、ものすごい負担になる。しかし病気になってしまったのだから仕方ない。全く、病気なんて一番損だ。

いつもそうなのだか、不思議と手術には慣れているせいか、少しの恐怖心も緊張感もない。看護婦さんたちが、明日手術ですが、全く緊張していませんね、と異口同音に言う。それはそうだ、自分で手術するんじゃないし、専門のお医者さんがするのだから、心配したって仕方ない。

だけど、全身麻酔で心臓の動きが止まるのは心配だ。心配はただそれだけ。でもそれもお任せするしかないのだし、余計な心配したところでどうなるものでもない。看護婦さんに勧められた睡眠薬も断り、いつものようにぐっすりと眠る。


入院のため少しだけ休業いたします

2013年08月08日 | 日記




いつも寄っていただいている方には申し訳ありませんが、内臓疾患のため手術が必要になり、しばらく写真も撮れませんので、休ませていただきます。まだ何時入院かは病院の都合で決まらないのですが、体調もよくなく我慢しながらの作業では、なかなかいいものが出来ませんので、ご迷惑にならなくなったら、又再開したいと思います。

8月なので医師の休暇などが入り、手術は急がなければいけないそうですが、日程がなかなかつかないらしく、入院も未定の状態です。まあひと月もすれば、手術も済み、退院できると思いますので、その節は又よろしくお願いいたします。



アルゼンチンの想い出

2013年08月06日 | 日記

タンゴで有名な「カミニート=小路という意味」ほんの100mほどの路地



フロリダ通りのバンドネオン弾き



典型的なアルゼンチンの美少女



ブェノスアイレスはまだ早春の始まりだった。港から吹き付ける風はまだ肌寒く、コートの襟を立てるほどだった。この巨大な町一番の繁華街のフロリダ通りには、宵闇迫る頃になると様々な大道芸人が繰り出し、無料か、あるいは僅かの小銭程度で本場のタンゴやフォルクローレが見られる。

アルゼンチンは何度かハイパーインフレに近い状態に陥り、経済も混沌としている。そんな中でも市民たちは逞しく、しかも美しく人生を送っている。南米のパリと称された街だけに、お洒落には人一倍敏感のようで、この銀座通りのような数キロのフロリダ通りには、ヨーロッパの高級ブランドの店が軒を連ねている。

女性は美しく着飾り、美しい顔立ちがさらに美しく映るし、男たちは伊達男の異名を欲しいままに、映画から抜け出したようなスマートな装いで颯爽と街を闊歩して行く。さもありなん、ここは日本の銀座なのだから。

そんな光景を見ていると、この国が経済危機に瀕していることさえ忘れてしまう。ある晩、タンゴを踊る場所ミロンガにでも行こうかとも思ったが、どうせ踊れもしないで見ているだけなら、タンゴショーの常設店へ行こうと決め、一番はどこかと尋ねてみた。街外れのアルマセンという店がいいと聞いたので、10時の開店に合わせてタクシーを飛ばした。

ショーはまだ始まっていなかったが、かぶりつきのいい席に案内された。3時間のショー。こんなに酔いしれたショーを見たのは生涯で初めてだった。その余韻は今でも続いている。

骨董屋?

2013年08月05日 | 日記











骨董とありますが、そこら辺に捨ててあったものを拾ってきて、販売している感じです。一般的な感覚ではゴミとしか見えませんがねー。

これでも骨董なんでしょうか。これで商売になれば、世の中いかにも変ですね。ゴミが骨董になるとは。まあ、世の中には色々な人がいますから、これはこれで商いになるのかもしれません。

しかし、どう贔屓目に見てもゴミとしか映らないのは、こちらの偏見でしょうか。