古木

2014-09-12 04:54:15 | 日記

 樹齢60年近いりんごの古木大半は雪折れや高接ぎで日焼けして傷口から腐れが入り枯死した。小学生頃は手伝いに一緒に付いて養蚕や麦の草取りの手伝いに行った。狭い曲がりくねったリヤカー道で仕事が終って帰宅すると暗くなっていた。
家から2km以上離れていて登り上げの農道のリヤカーにも荷物を積んでいるので時間が掛かった。畑の主な農作物は豆、麦、中には陸稲で特用作物には養蚕の桑だった。牛に引かせて鋤、砕土で耕して栽培していた。
 小学生の高学年辺りからチラホラ果樹に切り替える農家も出て来た。植えてから長い年数を掛けてやっと収穫が出来る果樹経営では生計を立てる事が難しく地元の河川の護岸工事や堰堤工事に出ていた。
 どの仕事も冬季間は根雪に入る時期は早くしかも大雪で手作業の土方仕事は忘年会で終わりだった。雪の降らない暖かい都会に土方仕事、静岡県にミカン捥ぎ等の出稼ぎには大半の農家の若者が行っていた。
 体の都合は畜産を始めた方は冬季期間には農作物を入れるかます、俵、炭俵、むしろ織り雪解け前に準備していた。草履、わらじ、養蚕機具等履物から農具一式自分の家で作っていた。果樹経営と一緒に酪農もやったので養蚕からの切り替えは遅い方だった。
 蚕の餌の桑は猛毒の農薬でホリドールの飛散農薬で上族間近に頭を振って駄目になった事は何回もあった。中学卒業時の畑の交換分合で農道整備等の構造改善事業が始まり果樹園地が広がって今に至る。
 いろんな思い出のあるりんごの古木で紅玉、国光、スターキングで今では品種更新高接ぎでふじ、昂林等の品種。りんごの始まりの古木で広い面積にまだ3本が健在で収穫出きる。幹廻り太く2m弱で抱きまわす事の出来ないりんごの木、俺とどちらが長く健在でいられるか?毎年この木の葉摘みをすると感じる。

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