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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

ハザードマップ

2019年10月19日 | 話題
台風19号の被害の甚大さには心が痛みます。
被災された方々、心よりお見舞い申し上げます。

今回の被害について、ハザードマップはかなり正確に予想していたとのこと。
そこで我が家周辺のハザードマップで見てみました。

私の居住している市の場合、ハザードマップは複数あって、地震、津波、高潮、洪水などです。
その内、津波と高潮は、私の家のある場所が内陸部ですので大丈夫ですが、近くの河川の堤防決壊による洪水被害が問題ありでした。
ハザードマップは色で浸水した時の水の高低を分けているのですが、家の周辺はざっと見たところ最大3~5m未満、水に浸かりそうでした。

もっと詳しく見る為にハザードマップを拡大してみました。
すると面白いことが分かりました。
私の家の前の道は3~5m未満、水に浸かりそうですが私の住んでいる家は最大1~3m未満、水に浸かりそうなのです。
どういうことかというと、私の家は1mほど地上げしているのです。
ハザードマップを詳しく見ると、地上げしている家と、していない家は色の区分が分かれているのです。
どういう方法でそこまで細かい地図を作れたのか不思議です。

私が子供だった頃、家の前の道が大雨で何度か川になったことがありました。
でも地上げしてあったおかげで家に被害はなかったのです。
近所でも地上げしていない家は当然浸水していました。
むろん市も下水道の整備に力を入れ、ここ何十年と家の前の道が川になることはなくなりました。
でも、今後やってくるかもしれない100年に一度くらいの大雨で、2キロほど離れた近くの河の堤防が決壊した場合、たぶん我が家も床上浸水くらいすることは覚悟しなければならないようです。

実は我が家の近辺は、50年くらい前まではあちこちに沼地が残されていたりして、元々湿地帯だったのです。
我が家が建っている周辺は、2000年くらい前は近くの河の河川敷だったことも分かっています。
その近くの河は明治初期まで暴れ川とか人喰い川(!!)と呼ばれていて、しょっちゅう氾濫しては甚大な被害を出していたのです。

我が家からほんの10m北にいくと少し地面が高くなっていて、その辺りは掘れば弥生時代の遺跡が出てきます。
2000年くらい前の昔の人は河の傍に住んでいたようです。

周辺には素戔嗚尊神社という名称の小さな神社がいくつもあるのですが、素戔嗚尊(スサノオノミコト)は暴風雨の神様で、台風被害を鎮めるための神社の建立だったようです。
(関西で素戔嗚尊神社という呼称の神社が多い場所は洪水被害が甚大だった同じような土地柄とのこと。)

とまあ歴史的にみても、近くの河の堤防が決壊したら被害は避けられそうにないです。
日本中どこでもそうでしょうが、災害は他人事ではないです。
近くの河、普段は水量もわずかなのですが。


                                        


何かあったら、この子達を避難所に連れて行かなくてはならないのですが、それも大変そう。
この夏までいたみーちゃんの居場所を占拠するハッピーです。




買ってあげた猫ちぐらの上が気に入ったラッキーです。




夜はハッピーは猫ちぐらの下の部分に入って寝ています。

報道はほとんどされていませんが、台風19号で亡くなった動物たちも多かったのではないでしょうか。

被災地に一日でも早く平穏な日常が戻ることをお祈りいたします。


65歳だよ~ん!!

2019年09月04日 | 話題
私、9月が誕生月で、今年65歳になります。

最近、役所から2通の封書が届きました。
1通は市役所からで介護保険証が入っていました。
ありがたいことに、まだ使う必要はなさそうです。

もう1通は日本年金機構から。
これが分かりにくい。
一体、何をどうしてほしいのか、すっきりと書いていない。

要するに65歳から公的年金が丸々もらえるのだけど、申請しなくてはならないのです。
それならそう書けばいいのだけれど、ゴチャゴチャと余計なことばかり書いた書類が複数入っています。

どうやら受給開始を繰り下げて欲しいらしく、なんだかんだと複雑なことを書いてます。


どうして欲しいかによって、申請のハガキの記入方法が異なります。
支給申請のハガキを送らなければ年金も支給されないみたいな。

おまけにそのハガキ、切手を貼る必要がある・・・。

私はもちろん繰り下げせず、丸々受給を希望です。
多少、生活に余裕ができそうです。

私は女性で、給与の額が大したことなかったということもあって、若い頃から公的年金だけで老後の生活を賄おうとは全く考えていませんでした。
老後貰える年金の額は、働いている時に支払った年金保険料に比例するし、その年金保険料は貰っていた給与の額に比例してますから。
今の若い人達が、年金だけで老後やっていけないと大騒ぎしているのが実は不思議なんです。
(単にメディアが煽っているだけかもしれませんが。)
公的年金は生活を支える重要な柱だという認識です。

年金機構で非正規で働いていた時、同僚で、夫が「どうせ年金なんか貰えない」と言って無年金だという人がいましたが、それを聞いた時、周囲の人達全員が彼女に対して「エエーッ! どうするの、あなた!!」状態になったことがあります。

all or nothing に考えず、年金が老後を支える一つの柱と考えればよかったんですけどね。



昨日の「報道特集」

2019年08月11日 | 話題
8月10日、TBSの報道特集「台湾の元日本兵が語る戦争」を観ました。
極めて不快で怒りを感じたシーンがあったので、その事を記します。

番組では、戦時中に日本兵として戦争に行った数名の台湾の人がインタビューを受けています。
すでに90歳を超えた方々であり、ともに戦争に行った台湾の人達は多くは戦死し、かろうじて生き残った人達です。
中に一人、銃を持って戦ったという元日本兵の人に対するインタビュアーの質問の内容と態度に私は驚き、怒りを覚えました。

インタビュアーは元兵士に「人を殺しましたか」と詰問するかのように、しつこく問い続けたのです。
元兵士の方は戸惑うような表情を浮かべ、最終的に「答えられない」というようなことを言ったと思います。
(一度見たきりですので、私は細かい言葉遣いまで覚えていません。)

私には、インタビュアーは戦争というものがどういうものか、全然分かっていないとしか思えませんでした。
戦争に行った人間に「人を殺しましたか」と質問することほど配慮に欠け、またナンセンスな行為はないでしょう。
しかも相手は日本統治下の台湾で、日本人として徴兵された台湾の人であり、インタビュアー自身は戦争の体験の無い日本人なのです。自分は一体何様のつもりだったのでしょう。

メディア関係者が取材で質問するにしても、越えてはならない一線というものがある筈です。
私は戦争を扱ったドキュメンタリー作品を少なからず見てきましたが、元兵士に対し、あれほど無遠慮に、詰問するかの如くしつこく「人を殺しましたか」と問う作品は見たことがありません。

インタビュアーだけでなく、あのようなシーンを何とも思わず放送する番組責任者・TBSというテレビ局自体、その感覚が信じられず、理解もできません。
一体、あの質問をすることに、何を意図していたのか理解に苦しみます。

最近、先の大戦に関し、日本および日本人が被害者であることを強調したドラマや言説が多く流布しています。
あの質問は、不都合な加害性を日本人以外に振り替え、押し付ける意図があったのかとも思えるものでした。

8月10日の「報道特集」は、日本のテレビメディアの救いようのないダメさ加減を見せつける番組でした。



スマホと読書

2019年07月29日 | 話題
ある掲示板で、電車に乗ったら乗客のほとんどがスマホに向き合っていた、不気味な感じがしたというのがありました。
それに対して、自分も電車でスマホやる、電車で読書してるのと変わらないという返事がありました。
人が電車で読書しててもおかしくはないのに、スマホをおかしいというのは変というものでした。

それでちょっと私も考えました。
私自身はスマホを持っておらず、ガラケーです。
その上で、スマホと読書は同列に考えられるかです。
私はやはり違うと思います。

まず、私の経験上、電車の座席に座って、向かい側の乗客がほぼ全員読書しているなんてことは過去においてなかったです。
スマホならあります。

また、歩きながら読書している人も今まで見たことがありません。
スマホならあります。

電車待ちやバス待ちで立ったまま読書なんて人も見たことがありません。
スマホならあります。



スマホは取り付かれ方が違うのですね。
すでに依存症のレベルの人が町中に溢れているって感じ。
やはり不気味です。

でも、もし私がスマホを持ったらどうなるでしょう。
実は私、ネット依存的なところがあります。
スマホを持ったら、スマホでネットやりかねませんね。

ただ私の場合、人がいるところではネットはやらないのです。
立ったままとか、歩いてとか、とんでもないです。
少なくとも座ってでないと。
基本、危険なことは一切やらない人ですから。

スマホの依存症は今や社会病理ですが、読書の依存症ってあるのでしょうか。
私の若い頃の友人で、子供の頃、家庭環境に問題があり、本が大好きで、よくブックエンドや栞になり切っていたという人がいました。

本の世界が逃避の場所で、読むだけでなく、自分も本を取り巻く一部になり切ることで現実逃避していたみたいです。
そういうのは病理ではあるけれど、読書依存症とは違うみたいです。
ただ、本ばかり読んで、日常生活に支障を来す人は、かつてはいたみたいです。
でも、そんな人でも読書しながら町を歩くことはしなかったのです。

自分や他人に危険を及ぼす行為を平気でやってしまえるかどうかが依存症レベルか、そうでないかの境目みたいです。




世界は「自分達」だけではない

2019年06月14日 | 話題
私は阪急沿線に住んでいるのですが、今、阪急電車の中吊りが話題になっています。⇒ココココ
50万円の給料と30万円の給料が比較され、50万もらっても生き甲斐がないより、30万でもやりがいがあれば良い、みたいな趣旨です。
働く人を応援するをコンセプトで他にも色々な言葉があるみたいなのですが、炎上してしまって中吊りは中止になったようです。

冷静になって考えなくても、今の世の中で30万円の給料をもらっている人がどれくらいいる? という話なのです。
中吊りの言葉を選んだのは阪急電鉄の人みたいですが、正社員の方なのでしょうね。
阪急電鉄で働く非正規雇用の方に、その中吊りの言葉をどう感じるか聞いてみたら良かったのにと思います。
阪急沿線は富裕層が多いって、単なるイメージに過ぎませんから。

もう一方で、またまた年金問題です。
ずいぶんと世間を賑わしている金融庁の報告。
あれは、そもそもは、リタイアして年金生活に入っても、月に掛かる費用が26万円。
でも年金は21万円しか貰えない。だから今の内に投資でお金増やしましょう、って金融機関の広告をそのまま持ってきての話でした。
10年も前から広告では盛んに言ってましたが、あれも、現役なんだけど26万円も収入がない人がたくさんいるんです。

広告の時はターゲットがある程度の資産がある人なわけで、それで問題にはならなかった。
金融庁の報告では、それがあたかもすべての人に当てはまる一般の話であるかのように扱われてしまったのです。
そこが問題だったと思います。
年金で生活できるかどうかは人それぞれで、大半の人は生活できない、というのが何を今更的な常識ですから。

この二つの出来事で思うのは、今のような「格差社会」では、いわゆる上の方にいる人達は、数では多い筈の下の方の人達が見えていないのではないかということ。
上の方になった人達が努力しなかったというのではありません。
それなりに苦労して上の方になった人達は「自分達」以外見えなくなるのではないかということです。

そのことで、昔、ある市民活動のグループで経験したことを思い出しました。
そこでの会合で、専業主婦から30代で大学に入り直し、40代で大学の先生になった女性が、たまたま女性の話し言葉について話が及んで「私達は一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らないですしね」と当然のように言いました。

20年以上も経ってまだその言葉を覚えているのは、“一般の女性がどういう話し方をしているか、聞いたこともないし知らない”なんてことがあり得るのかと、その時思ったからなんです。
その人は特別育ちが良いのかもしれませんが、別に皇室の人ではなかったので、普通に出歩き、電車にも乗っていた筈なのです。
そしたら嫌でも人の話し声が聞こえてくる筈なのです。
なのに“聞いたことがない”とはどういうことだろうかと不思議だったのです。
その人自身の話し方は確かに一般的ではなく、まるでNHKの女性アナウンサーのようにしゃべる人でした。

もう一つ、常々その人に違和感を感じていたことは、その人が語る主語がほとんどいつも「私達」だったこと。
確かに彼女が「私達」といってもおかしくない立場の人がその場にいたとしても、私のようにとうてい「私達」に含まれない人間もその場にいたのです。
なのにいつも主語が「私達」だったのはどういうことだったのだろうかと。
私は彼女にとっては見えない、存在しない人間だったのかもしれません。
ちなみに私が「私達」という主語で話をすることは滅多にないことです。

その人は極端な例だったのかもしれません。
でも自分とは異なる人達が身近にいても、その声が聞こえず、存在を認識することもできない人は確実にいるみたいです。
全然悪気がないのですが、いるのは「自分達」だけ。
阪急電車の中吊りを選んだ人や、金融庁の報告を作った人も、いつの間にかそんなふうになっていたのかもしれません。


                                   

庭の花です。
イシヅチホタルブクロが一つだけ咲きました。




コムラサキシキブの花も咲きました。秋になると紫の実をつけます。

白い百合も順次咲き始めました。

盛夏の頃に咲く花は考えてなかったですし、これから庭が寂しくなりそう。