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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

くじ運、列運

2021年02月01日 | 話題
年賀はがきのお年玉くじ、今年は1枚当たりました。
貰った年賀はがきは20枚くらいだったので、そんなに悪い確率ではなかったかな。

私は、くじ運がないです。
若い頃は特にそうでした。
色んな抽選に応募しても、空くじなしの時以外、当たったことがなかったのです。

世の中にはくじ運の良い人もいて、何度も高額の宝くじに当たったりしています。
私の母は割と良い方で、宝くじは買わなかったですが、商店街の歳末大売り出しの抽選では、末等ではなく、たいてい何か持って帰っていました。

ある時、阪急三番街の歳末セールの抽選で、私が買い物をして手に入れた抽選券を母に託したところ、母が宝塚歌劇のペアチケットを当てたことがあります。

母は宝塚歌劇をそれまで観たことがなかったので、ペアで当たったそのチケットで父と二人で観に行きました。
演目は確か「アンジェリク」でした。
「アンジェリク」はよほど面白かったらしく「凄く良かった」と興奮して帰ってきました。
もし私が抽選くじを引いていたら、誰でも貰えるチューインガムくらいしか当たらなかったと思います。

実をいうと私は列運も悪いのです。
列運というのは、スーパーのレジやトイレで並んだ時の運です。

人の少ない列の後に並んでも、私の前の人でレジスターの紙が切れたとか、値札が付いていなかったとか、何かトラブルで遅くなり、隣の列ではどんどん捌けていくのに私が並んだ列は止まったまま、なんてことがよくありました。

トイレの列も同様で、私が並んだ個室からはなぜか入った人がなかなか出てこなかったりします。
トイレは最近は個別に並ばなくなったので助かっています。

こんな私でも、若い頃一度だけ当たったことがあります。
まだ学生だった頃です。
何の用事だったかは忘れましたが大阪のミナミを一人で歩いていました。
すると友人とばったり出会いました。
友人は私の知らない人と一緒でした。

「みどりさん、ひま? 私達今から三越劇場に劇を見に行くの。チケットが一枚余分にあるから一緒に行かない?」と言われ、北浜の三越劇場に行きました。
劇場内の席に着くと、始まる前に司会者みたいな人が「チケットは捨てないで下さい。席の番号で皆さんに抽選でプレゼントがあります」と告知。
それが当たったのです。

何が当たったか、これです。


裏側には出演した主だった俳優のサインが入っています。


右から野川由美子、子鹿みき、寺田農。
間の三人は誰だったか忘れましたしサインも読めません。
左の二人は正司照枝、曾我廼家五郎八。

なぜ扇子だったのかというと、劇の内容が京都の老舗の扇子屋を舞台にしたものだったから。
野川由美子がヒロインで、耐える京女を演じていました。
正直、20歳頃だった私には何とも古臭い内容でしたが、扇子が当たったことは嬉しかったです。

でも今考えると、当たった扇子はチケットを貰った人に渡すべきだったのではないかと思います。
そもそも私に出会わなければ、席は空席で、扇子はチケットを持っていた人が受け取ることになるからです。
当時はそんなことには思い至らず、当たり番号に座っていた私が喜んで持って帰ってしまいました。

この扇子、スターのサイン入りだけど価値があるのかしら。

というわけで、これはと思うようなもので当たったのはワケありのこの扇子だけ。

今、密かに当たりたいなと思っているのは裁判員裁判の裁判員。
興味が凄くある。
でも当たらない私のことだから、当たりそうにはないです。

我が家の“食い尽くし系”

2020年07月28日 | 話題
最近、ネットを見てて“食い尽くし系”なる言葉を知りました。
ネットスラングの一つみたいですね。
意味は、ある特徴を持った人々。

私が最初に知ったのは、読売新聞の有名な悩み相談サイト「発言小町」です。
ある女性の相談で、彼氏と別れたい、どう言って別れたらよいかというようなものでした。

その別れたい理由なのですが、その女性の彼氏は一緒に外食すると、超速で自分のものを平らげ、その後、その女性の食べ物を食べたがるからだそうです。
欲しいというのを断ると不機嫌になり、嫌味をいうのだそうで、彼との外食が楽しくなく、それで別れたくなったそうです。

回答は「私が食べているものまで取ろうとするから」とはっきり言えばよいというものや、別れるのに理由をいちいち言わなくても良いというのが多いです。
それはまあ、そうだと思います。

回答の中に一つ「その彼氏は食い尽くし系だ。ネットで検索すれば同じようなことをする人の例がたくさん出てくる」というのがありました。
で、興味を持って私も食い尽くし系ーもしくは食べ尽くし系ともいうそうですがー、について検索し、調べてみました。

正直、こんな人達っているの?って感じでした。
有名な例は東日本大震災で避難所にいたある男性の行動で、彼は配給されたおにぎりを妻子の分まで食べてしまったらしいのです。

食い尽くし系の人の特徴とは、まさに人の分まで食べる、食べようとするということなのです。
別のある男性は奥さんが作った赤ちゃんの為の離乳食(リンゴのすりおろし)まで、「デザートだと思った」と言って食べてしまったとのこと。

他にも自分の皿の料理を「ちょっと貰っていいか」というので「いいよ」というと、半分くらいゴッソリと持っていった人や、冗談めかして人の皿に箸を伸ばしメーンの料理を持っていってしまう人。

大皿料理の場合は特に酷く、取り皿に取ることもなく直接ゴッソリと食べてしまう人。
取り皿で取っても、まだ取っていない人の分まで取る人。
とにかく人の分を残しておくという配慮がなく、自分だけで美味しいところを全部食べようとする人達なのだそうです。

家族にそういう人がいる場合は悲惨で、ちょっと食卓を離れた隙にメーンのおかずを取られてしまったり。
まだ配膳が終わる前に、テーブルに置いた料理をどんどん食べていったりもするそうです。
冷蔵庫に作り置きしておいた料理もいつの間にか食べられていたりで、作り置きということができないらしいです。
当然のことながら離婚案件にもなります。

食い尽くし系の人達の心理や対策というのも色々と書かれていました。
発達障害ではないかとかですが、そのこと以外は普通の人で、ハンドルを握ると人格が変わる人みたいに、食べ物(美味しそうな物・好物)を見ると人格が変わる人みたいです。
いずれにしても彼や彼女たちは、自分が悪いこと・恥ずかしいことをしているという自覚が全くないので、どれだけ言ってきかせても止めないそうです。

私の身近にそんな人はいたかなと考えてみると、母がそれに近かったかもしれません。
我が家は一人一人別皿で食べて、大皿に料理を盛り付けることはありません。
母は食事を誰よりも真っ先に食べ始め、他の家族が皆食べ終わっても食べていました。
個別に配らないで皿に盛った漬物とか佃煮、塩昆布の類を、結局、残すことなく、お茶を飲みながら食べ尽くしていたのです。

父はよく「いい加減にしろ」と言ってました。
「お前は川流れの褌(ふんどし)のような女だ」とも。
意味は「食いにかかったら離れない」「杭にかかったら離れない」です。
昔は川で洗濯していましたからそういう言い回しがあったみたいです。
ただ母の場合、決して人の食べ物まで食べようとはせず、その点、食い尽くし系とは言えません。

友人で思い出すのは、20代の頃、一人暮らしのアパートに友達が来て、昼ご飯を食べていないと言うので、鍋に作ってあった関東炊きを「好きなものを食べていいよ」と言って出すと「美味しい、美味しい。みどりさんって料理上手」と言いながら、かなりの量の関東炊きを全部食べてしまった人がいたこと。
私も「もうそれ以上は食べないで」とは言えなかった・・・・。

でも私、「好きな物を食べていい」とは言ったけど「好きなだけ食べていい」と言わなかったのですが。
おかげで夕飯のおかずにするつもりの関東炊きが消えて無くなりました。
でも彼女も、一緒に外食することもありましたが人の皿のものまで食べようとはしなかったので食い尽くし系ではなかったようです。

もう一人、思い出すのは自然観察ボランティア関係のある男性。
同じボランティアをしている女性で、みんなで食べる為にいつも手作りケーキを持ってくる女性がいたのですが、彼女が事務所の冷蔵庫にケーキを置いていたところ、その男性が一人でケーキを全部食べてしまったと聞きました。
ちょっとびっくりな話だったのですが、食い尽くし系の場合、食べる人と食べられる人との関係性にキーポイントがある場合もあるらしく(要するにマウンティング)、その例だったのかもしれません。

過去のことではなく、よくよく考えたら今現在一匹食い尽くし系が我が家にいました。
この方です。
ラッキー嬢です。

カリカリ等の餌をやると、自分のをもの凄い勢いで食べ尽くし、すぐにハッピーの傍に行き、ハッピーが食べているのを押しのけてハッピーのものを食べます。
ハッピーが餌を食べられないので、私はハッピーが食べている間、ラッキーを押さえていなくてはなりません。

一見仲良さそうなラッキーとハッピーですが、ラッキーの目は『私のものは私のもの、ハッピーのものも私のものだわ』と言っているみたいです。

PCR検査はなぜ増えない?

2020年07月25日 | 話題
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という諺があります。
意味は、羹つまり熱い煮物で舌を火傷してしまったことに懲りて、膾つまり冷たい酢の物をフーフー吹いて冷まして食べようとすることで、一度失敗したことに懲りて用心しすぎることの例えだそうです。

ほかでもない、木曜の朝のテレビ番組、「羽鳥慎一モーニングショー」を見ていて頭に浮かんだのはこの諺でした。

その日、キャスターの一人の玉川徹は、なぜ日本でPCR検査は増えないのかという疑問を調べるべく、その答えの一つを取材していました。
私もPCR検査が増えないこと、増やそうという姿勢が為政者に全く見られないことに疑問を感じていたので、興味を持って観ました。

取材に答えた人は国のコロナ分科会の経済面でのメンバーである経済学者の小林慶一郎氏でした。(以下敬称略)
小林慶一郎はコロナ禍の元、同時に経済を回すには広範囲なPCR検査が不可欠という立場です。
要するに経済活動優先か、活動を自粛して感染抑止かという2項対立で考えるのではなく、広範囲に検査し、陽性者を隔離した上で陰性者で経済を回していくという考えです。

私もその考えには賛成で、話題になっているGoToキャンペーンも、安心感抜きにキャンペーンを行っても、陽性者が多い都市部では、まともな人が旅行に行くとは思えません。
そんなこと構わない、旅行に行くという人は注意していない人であり、そんな人が旅行に行っても地方で歓迎されるとも思えませんし、結果的にコロナを広めることにもなりかねません。

陽性者が多い都市部の人が旅行に行く際にはPCR検査を行って、少数の陽性者はそのまま隔離し、陰性者のみ旅行に行けば地方も安心で、誰も文句は言わないと思うのです。
どうせ多額の費用をかけるのなら、そういう検査に必要経費として費用をかけても良いと考えます。

GoToキャンペーンは一つの例で、他には被災地にボランティアに行く場合、行く人はPCR検査で陰性を確認してから行く、ビジネスや親族の冠婚葬祭等で地方に行く場合も同様にすることができる筈なのです。
そうすれば皆安心なのです。

ではなぜそうしないのか。
そもそも新宿で多数の感染者が出てきた時点で、なぜその地域限定でPCR検査を網羅的に行わなかったのか、それが分からなかったのです。

小林慶一郎は分科会のメンバーとなって気づいたこととして以下のように答えていました。
感染症に関しては、日本にはずっと以前から厚生労働省の医系技官や国立感染症研究所などの人達を中心とした専門家のコミュニティーがあり、彼らが何よりも気にしているのは、人を隔離することによる人権侵害なのだそうです。

その理由は長年のハンセン病を巡る施策でした。
ハンセン病は1950年代には有効な薬が登場し完治する疾病になっていましたが、日本の場合、「らい予防法」によって隔離政策が1996年まで続いていたのでした。
日本では、すでに隔離する理由が無くなっていたハンセン病に対する恐怖から、当時の世界の潮流に逆らっても強制隔離し、患者に対し断種や堕胎まで行っていた重大な人権侵害の歴史があったわけです。

この事実が感染症のコミュニティーにいる専門家の人々のトラウマになっているらしいのです。
もちろん彼らだって、人に感染させる高いリスクのある重大な感染症に罹っている人達を隔離しなくてはならないことは誰よりも承知しています。
しかしPCR検査の場合、中国のデータによると0.003%の擬陽性が存在してしまうのだそうです。
つまり本当は陰性なのに陽性と判断されてしまう人達がいるわけです。

すると、たとえどんなに少数であっても、隔離する必要のない人を隔離することは絶対に避けなければならないと彼らは考えるようです。
それが、はなから広範囲なPCR検査を彼らが考えない理由なのだそうです。
その発想が私には「羹に懲りて膾を吹く」という諺を思い出させたのです。

正直、私はそんなことが理由なんですかと、思わずのけ反りそうになりますが、もしそうやって擬陽性の人を隔離し、後に裁判で訴えられた場合、日本ではまず国は勝てないのだそうです。

たとえば麻疹の予防接種も、日本では強制ではありませんでした。
その為、欧米諸国から麻疹の輸出国として長い間非難されていても放置でした。
子宮頸がん予防の為のワクチンも、日本でも当初は積極的に接種が勧められていましたが、副反応が疑われるケースが出たことにより、他の先進諸国のような積極的な接種が行われていません。

つまり裁判で争えば負ける事柄については、他国では常識であっても日本では積極的ではないようなのです。
同様にPCR検査も、擬陽性の人を隔離してしまうので積極的に行う考えはないらしいのです。

小林慶一郎は、感染症のコミュニティーの人達が、隔離することに異常なまでにセンシティブになっていることを伝える一方、ではどうするかについては、国民がその問題について活発に議論することを提唱していました。

もちろん新型コロナウィルスのPCR検査についての議論であって、ハンセン病や、麻疹・子宮頸がん等の予防接種の議論ではありません。
擬陽性で隔離といっても10日間程度であり、PCR検査を行ったからといって副反応もありません。

私自身、擬陽性で10日間隔離されたとしても別に構いません。
但し、擬陽性だったと分かった場合、はっきりと擬陽性だったと告知してほしいとは思います。
働いている人にはその間の収入を保証することも必要だと思います。

逆に今のように広範囲なPCR検査を行わないで、陽性の人達が自由に動き回っている状態は、罹りたくない人達は自発的に引き籠るしかなく、何をするにも安心感は持てず、大変な不自由を強いられてしまいます。
結果的に経済を回そうと思っても回りません。

感染拡大も収まらず、医療もひっ迫し、死者も増え、治癒した人も後遺症で苦しみ、あらゆることが手詰まりな状態になるでしょう。
そういう状況が、有効なワクチンなり治療薬ができるまで続くことになります。

小林慶一郎は裁判員裁判制度を例にあげて一つの考え方を示していました。
裁判員裁判で裁判員に選ばれた人は、時間も拘束され、当該の裁判について考える労力も要求されますが、それも国民の義務として受け入れています。
同様に、擬陽性で隔離されることになった人も国民の義務として受け入れられないか、ということです。

PCR検査が日本では増えないという理由は、小林慶一郎が分科会のメンバーとして知っただけのことではない、何か別の理由もあるのかもしれません。
いずれにしろ、一部のコミュニティーの人だけで悩むのではなく、国民全体で議論し考える必要のあることだと思います。
何しろ、国民一人一人の健康や経済、大げさでなく日本の未来がかかっていることですから。

「パプリカ」は応援歌?

2020年05月06日 | 話題

昔、あるミュージシャンが日本の音楽シーンを席巻して、それ以来、私は日本の音楽シーンには興味をなくしていました。
今も興味があるわけではないです。
でも、今回は米津玄師の「パプリカ」について書いて見ます。
「パプリカ」はNHK2020応援ソングプロジェクトの依頼で作られた歌です。

さすがの私も子供ユニットFoorinが歌う「パプリカ」は聞いたことがありました。
これです。
でもその歌を作ったのが米津玄師だとは知りませんでした。
そもそも「玄師」を「けんし」と読むのだということも長い間、知りませんでした。
(数か月前、ブロ友のpukarikoさんに教えてもらって知りました。)

先日のこと、NHKの番組を聞くともなく聞いていると大人の男性が歌う「パプリカ」が聞こえてきました。
米津玄師ではなかったようです。
「パプリカ」はたくさんの人のバージョンがありますので、たぶんその内の一つ。
なぜか冒頭部分が何度か繰り返されて、聞いているうちに軽い胸キュン状態になりました。

子供達が歌う「パプリカ」では感じなかった何かがそこにありました。
そこでネットで「パプリカ」について調べてみると、歌の意味についてたくさんの人が色々と書いていました。
だから、ここで書くことは、私が気が付くのが遅いだけで、多くの人達にとっては「知ってる」ことかもしれません。

まずは「パプリカ」の歌詞全部。

曲りくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊び回り 日差しの町
誰かが呼んでいる

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのは一番星
明日も晴れるかな

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種をまこう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせ あなたにとどけ

雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いていたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる

喜びを数えたら あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出のかげぼうし

会いに行くよ 並木を抜けて
歌を歌って
手にはいっぱいの 花を抱えて
らるらりら
会いに行くよ 並木を抜けて
歌を歌って
手にはいっぱいの 花を抱えて
らるらりら

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ

かかと弾ませこの指とまれ

この歌は米津玄師自身も歌っていて、MV(ミュージックビデオ)がYouTubeにアップされています。
それがこれです。
子供達が歌う「パプリカ」と雰囲気がずいぶん違っています。
そして、私がそうであったように歌詞の意味を知りたくなるのです。
特に「あなた」とは誰なのか知りたくなります。

「パプリカ」の隠れた意味について、一番多いのは原爆との関係です。
米津玄師のMVがYouTubeにアップされたのは2019年の8月9日、長崎に原爆が落とされた日です。
CDが発売されたのは8月15日、終戦記念日です。

MVには、子供達だけに見える精霊のような、風の子のような子供が出てくるのですが、その子は広島の「原爆の子」の像のようなポーズで空を飛び、その時、丹頂鶴の群も一緒に飛んでいるのです。
そして広島の「原爆の子」も頭上に折り鶴の鶴を負っています。(折り鶴は千羽鶴の折り鶴ですね)
なにより、パプリカの花言葉は「君を忘れない」です。

つまりこの歌は戦争で亡くなった子供達を思って、平和を希求して作られたのではないかという説です。
確かに符合することが多く、それが単なる偶然なら、その偶然に鳥肌が立ちます。

原爆と並んで多いのは「パプリカ」は、NHK東日本大震災プロジェクトの復興支援ソング「花は咲く」のアンサーソングではないかという説。
ある人は個人の感想として次のように書いています。⇒ここ

要するに歌の中の「あなた」とは、震災で亡くなった人達、とりわけ子供達のことをではないかという解釈です。
こうした受け取り方に同意し納得する人も多いみたいです。(パプリカ 花言葉 震災 で検索するとたくさん出てきます。)
重要なことは、それらは理屈を超えたところで納得し、歌を聴き直して泣く人もいることです。

原爆や震災と関係づけなくても、「パプリカ」を亡くなった人を思う歌とする説もあります。
手にいっぱいの花を持って会いにいくのはお墓参りだとする解釈。
実際MVでも、お盆のお墓参りの光景らしきものが描かれていますし、お盆にしては季節外れのヒガンバナの描写など。
また歌詞からは「あなた」はすでに亡くなった人としか考えられないこと。

でも、こうなると「パプリカ」は2020年東京オリンピックに合わせた、世界中で頑張っている人達への応援歌ではなく、鎮魂歌だということになります。
実際、2020年オリンピックは行われないし、2021年に行われるかどうかも怪しい。
逆に世界を覆っているのは死の恐怖と不安、混乱です。
だからこそ「パプリカ」は応援歌にもなりうるのかもしれませんが。

で、私自身は「パプリカ」をどう解釈するかですが、素直に「あなた」を子供時代の私自身と解釈します。
米津玄師が歌う曲のザックリとしたテーマは「喪失と再生」ではないかと。

ちなみに米津玄師自身は「パプリカ」について以下のように語っています。
    ⇩
    ココ






物憂い日々 奇妙な同調圧力

2020年04月19日 | 話題
新型コロナウイルス対策で国民に一律10万円給付されることになりました。
つまり今回のコロナウイルスで何の経済的なダメージも受けていない、それどころか、出歩かなくなったせいでお金を使わなくなって金銭的に余裕ができた私にも10万円が給付されるってことだそうです。
これって、どう考えてもおかしいです。

どういう理由でばら撒かれる10万円なんでしょうか。
少なくとも新型コロナウイルス対策ではないですね。
本当に経済的な打撃を受けている人にとっては10万円は少なすぎます。
なのに一律10万円給付が決まって「勝利!!」などと言っている人の気が知れません。
これは自分達が支払った税金なのだという人達もいますが、それも違います。
これは将来の世代が支払う借金なのです。

なぜ私のようなコロナで経済的に影響を受けない人達に10万円も給付されて、経済的に必要な人達に十分な補償がなされないのでしょうか。
全国民に一律10万円の補償する費用があるのなら、本当に困っている人が真っ先に補償されるべきです。
「一体感をもって新型コロナウイルスと戦う為」なんて言っている閣僚もいますが、心を一つにするのに10万円必要ですか。
私もフランスやイギリスのように、フリーランスも含め、仕事が無くなって収入が減った人達に従来の8割の収入を補償する政策なら文句はいいません。
(計算の根拠になる、どれくらいの収入があったかなんてことは去年の確定申告書や源泉徴収票をみれば簡単に分かります。)

一律10万円給付の理由は、別に深く考える必要もないくらい分かり易いものです。
内閣支持率調査で不支持が支持を上回ってすぐ、この政策は出されました。
連立を組む公明党の、連立離脱も匂わせての強い要請だったようです。
つまり国民に今の内閣を支持してもらうことが目的の給付なんです。
政府の対応のまずさに苛立つ国民に「まあまあ、これでおさめて」と渡される10万円なんです。

だからこそ、なんでしょうか、この政策に対する批判は巧みに抑えられています。
批判する人は、理由もなく貰える人の怒りを買いますからね。
だからメディアで批判する人はほぼいません。
それどころか貰わないことは社会的分断をもたらすなどとまで言われます。
「あなたが貰わないと他の人達も貰いにくいのよ」なんて、いかにも日本的な同調圧力です。
こういう同調圧力をかけないといけないほど、今回の10万円は後ろめたいお金なんでしょう。

とまあ、私が怒っても“ごまめの歯ぎしり”なので、どう行動すべきか、私なりに考えました。
一つは私の考えをブログで明らかにすること。
もう一つは私に給付されるという10万円をどうするかです。
私の望みは、本当に困っている人が助かることです。
だから10万円は、そういう活動をしているところに寄付します。

調べてみると、地元の大きな総合病院が新型コロナウイルスの重症患者の受け入れ病院で、寄付も募っていました。
また右のようなクラウドファンディングもありました。⇒ココ
探せばまだあるかもしれません。
こういうことはスピードが命なので、先払いの形でやろうと思っています。

                    

鬱々として気分はすぐれないのですが、庭はすっかり春の様相です。

花が咲いた山椒の木。

アマドコロ

シャガ

シロヤマブキ

シラー

ヒラドツツジ

ミヤマオダマキ


おまけで我が家の仲良し姉妹