goo blog サービス終了のお知らせ 

緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

改竄・隠蔽・廃棄

2019年06月01日 | 話題
私はボランティアで市の文化財収蔵館によく行きます。
そこでは、現役時代には知ることのなかった色んな知識を得ることができます。

その内の一つ、博物館における写真撮影について(文化財収蔵館も博物館です)。
市の文化財収蔵館でも発掘現場や様々な文化財資料の写真を撮るのだそうですが、実はその写真、すべて昔ながらのフィルム写真で、今主流のデジタル写真ではないのだそうです。
理由はデジタル写真は容易に改竄可能だから。
逆に言うとフィルム写真では大きな改竄はできないから。

文化財は詳しく調査される以前に現物が損なわれたり、災害等で無くなってしまうことは幾らでもあるようです。
その一方で、古文書の文字一つで歴史が大きく塗り替えられることだってあるのです。
現物がすでになく、写真しか残されていない場合、簡単に改竄できるデジタル写真で撮ったものには信憑性はないと見なされかねないので、あえてフィルム写真で撮るみたいです。

博物館ではデジタル写真を使わないという話を聞いた時、私は正直感動しました。
そこまで厳密に資料を取り扱うのかと。
博物館とか文化財収蔵館というと、どんなお宝があるのかと思われそうですが、実は、大半が見るからに価値のないガラクタなのです。
それでも一つ一つフイルム写真を使用するのです。

私が感動した大本の理由は、この1年以上の、モリカケ問題だけでない、改竄・隠蔽・廃棄といった事がざらに行われているこの国の現況、さらに国民がその事に何とも思わないでいることに、絶望に近い思いを抱いていたからです。
最近も、あちこちの学校のイジメ問題で、学校や教育委員会が事実の隠蔽を図るのに必死になっているのを見聞きするにつけ、日本人もトコトン堕ちたなと思わざるをえませんでした。

フィルム写真で撮ることぐらい、特に感動することでもないのかもしれませんが、そんなことで感動するくらい、きちんと記録を残そうとしない、この国の現況は酷いと思うからです。
なにより、自分に被害が及んでからでは遅いのに、国民の無関心も酷いと思います。

私も、自分には関係のない話ではないのです。
もう15年くらい前の事だったでしょうか。
長く掛かっていて、過去に手術もしたこともある総合病院に久しぶりに行った時、見ると分厚い筈の私のカルテが妙に薄っぺらいのです。
医師との会話でカルテの話が出て、5年以上前のカルテは廃棄されたと言われました。
法的に問題ないとかで・・・。

自分の医療記録の大半が失われたと知って「それって大変なことじゃないですか」と私が言うと、医師は私の顔を見て「そうですよ。大変なことですよ」と言いました。
後々どういう医療過誤が発覚するかも分からないのに、5年って、いくら何でも短すぎるではないですか。
廃棄する前に本人に連絡してもらえば、私が自分で持っていたいくらいのものです。
日本という国はなぜ記録というものを、そんなにも疎かに扱うのでしょうか。

カルテに関しては、日本医師会は電子媒体化を前提に永久保存を提唱しているようです。
古い紙のカルテもマイクロフィルムを電子化すれば保管場所に困ることもない筈です。
なぜそうしないのか、厚生労働省の都合が悪いからでしょうか。
話はその辺りに落ち着きそうです。

カルテというのは、時には歴史を語る資料であることを、去年見たNHK、ETV特集のドキュメンタリー「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~」で知りました。

敗戦時、国の命令で役所に保管されていた多くの公的文書が廃棄・焼却されました。
(今に続く、現政権にとって都合の悪い資料は素早く廃棄する伝統はその時培われたと以前聞いたことがあります。)
そんな中で、戦場で精神障害を発症した患者達のカルテを、政府の命令に反し、廃棄・焼却せずドラムカンに入れ地中に隠した医師達がいたのでした。
それを指示した医師はカルテを50年間公開しないと決めていたとか。
50年経ち、公開されたカルテの内容の紹介がその番組でした。

その内容は、第二次世界大戦の日本軍の残虐行為を無かったこととして、日本を美化したい今どきのネトウヨが聞けば「嘘だー!!」と叫びたいようなものです。
時には子供まで殺さねばならない状況の中で、心を病んだ兵士達の記録だからです。
殺された中国人の側から見れば、同情なんてとてもできないことでもあるのです。
(今書いていて、なぜか私は、最近起こった無差別殺人の加害者を「死ぬんだったら一人で死ね」と感情的に攻撃する人達のことを思い浮かべてしまいました。)

日本軍は戦争末期になると本来徴兵してはならない知的障害者まで戦場に送り込み、彼らが精神を病み、かつてのように普通に生活できなくなっても、障害者だったという理由で恩給(年金)の対象からも外していました。

8000人のカルテは、公的文書を残すということの意味を改めて思い知らせてくれます。
資料や公的文書は改竄することなくまず残して、そこに記された辛い事実と向き合うことからしか、より良い未来は開かれないと思うのです。
誇るに足る国とは、そういう国の筈なのです。



才気煥発な人

2019年04月02日 | 話題
4月から、健康と医療について学ぶ教室に一年間、通う予定です。

ところが入学式の案内を見て考えてしまいました。
入学式で記念の講演を行う大学の先生が、若い頃何度か講演を聞いて良い印象を持てなかった人なのでした。
入学式自体、出ても出なくてもよいのですが、今回は講演が始まる前に帰ることにしました。

私にはどうも受け入れ難いタイプなのですが、エッセイでも、講演でも、対談や座談会での発言でも、人の言葉尻を巧みに捉え、悪い意味での「常識」をバックにして、特定の人に対し、面白おかしくレッテル貼りして、聴衆や読み手の受けを狙う、そういうタイプの著名人がいるのです。

そんな人、本当にいるのかと思われそうですが、よくいますし、人気もあります。
口が上手いというか、レトリックが上手くて、嫌味にとられないのだと思います。

たとえば、まだ20代の頃、伊丹十三の「女たちよ!」というエッセイを読んだことがあります。
その中に、彼の学生時代の野球部員のことが書かれていて、たいした根拠もなく「頭が悪い」と断じていました。
とても上手く書いてあったので、たいていの人にとっては面白いエッセイなんだと思います。
(伊丹十三はエッセイの名手だと言われています。)
実際に、野球の強い高校は頭が悪い生徒が行く高校だという俗説もあって、そういう「常識」という名の予断と偏見に則っての記述だったと思います。

実は、それについては、何を隠そう私は当事者で被害者だったのです。
というのも、私の出身高校は近辺では有名な進学校ですが、私が20代の頃、たまたま2年続けて甲子園に出場し、そこそこ良い成績を残したのです。
当時、就職の面接を受けに行って、面接官は私の履歴書を見て、高校がその出場校だと気が付くと「野球の強い高校は馬鹿が行く高校だと相場は決まっているもんだ」と私に言ったものでした。
私は自分が賢いとは思わないですが、そんなふうに言われて面白い筈もありません。
もちろん、就職は不採用でした。

どんな偏見であれ偏見というものは広めてほしくはないのです。
というのも、どんな人でも何らかの当事者であったり、一般には知られていないことについて、とても詳しかったりすることがあるからです。
そうでなくったって、書かれていることが明らかに差別的な言辞と理解できることもあります。

取り上げている事柄が自分がよく知っていることだと、その論者の底の浅さや愚劣さが嫌でも目についてしまうのです。
そういうタイプの人は例外なくとても賢い、いわゆる才気煥発な人でもあって、話が面白いので人気もそこそこあるのです。
伊丹十三などはまだ可愛いのかもしれません。私が込められている悪意のレベルが本当に酷いなと思ったのは作家の橋本治でした。
(私って、とんでもない文章を、いつもたまたま読んでしまう人なのかもしれませんが・・・。)

今回の講演者の場合、文章ではなく、対談や座談会でそういうことをやってしまっていた人です。
私が見聞きしたのは20年以上前の話ですから、齢をとって、そういう態度はもう改まったかもしれません。
相手を馬鹿にしながら聴衆を笑いの渦に巻き込むその手腕は、ある意味物凄い才能だったと思いますし、結果、人寄せパンダよろしく、あちこちで引く手あまただったのも頷けます。
私も彼女の言い方に思わず吹き出してしまったことがありますし、その時、笑いの対象とされた人の驚いたような、傷ついた表情もまだ覚えています。

今、考えてみると、その種の才気煥発な人が馬鹿にするのは、自分が理解できない事や下らないに違いないと思っている事に一所懸命になっている人だったと思い当たります。
自分が理解できないことに一所懸命な人なんて、誰にでもいます。
それが受け入れられないだけでなく、そういう人を受け狙いに利用してしまうところが頭の良い人達の悲しい性だったんだなぁと今では思うばかりです。


カリガリ博士

2019年02月22日 | 話題
「カリガリ博士」は、第一次世界大戦後のドイツ表現主義の傑作映画で、コアな映画ファンなら必ず観ておくべき映画です。

私はコアな映画ファンではないけれど、おかしな映画は結構観ていて「カリガリ博士」も20代に観た記憶があります。
サイレント映画で確か弁士が付いていた映画でした。

ストーリーは、病院の院長で、精神に異常をきたしているカリガリ博士が、患者の眠り男を使って連続殺人を犯していることを一人の男から語られるのです。
ところが最後に、その事件がすべてその語り手の男の妄想であったことが明かされて終わります。

丸々リメイクではないですが「怪人カリガリ博士」という1960年代位の、確かアメリカの映画もあって、その映画では主人公は魅力的な女性です。
彼女は車の故障で、ある建物に辿りつくのですが、そこから出ることが出来なくなります。
その建物を支配しているのがカリガリ博士で、色々と恐ろしくも奇妙なことが起こります。
この話も最後にそこが精神病院で、その女性はそこの患者であり、すべてが彼女の妄想であったことが明らかにされます。

最後に彼女は治癒して退院するのですが、退院する時の彼女は魅力的な女性ではなく年老いた女で、時折来ていた恋人らしい男性が実は息子で、その息子に連れられて退院するのです。
「怪人カリガリ博士」の方は、私はテレビで観ました。
「カリガリ博士」も「怪人カリガリ博士」も映画のジャンルとしてはホラー・ミステリーになります。

私が「カリガリ博士」のことを思い出したのは、例の乳腺外科医の猥褻事件が無罪になり、色々と報道されたからです。
事件のあらましは江川紹子さんが1月19日に詳しく記事にしています。⇒ここ
無罪判決が出てからの記事もあります。⇒ここ
映画では、おぞましい出来事の数々が精神病患者の妄想であったことは最後まで観客には知らされません。

同様に今回の事件も、おぞましい出来事が患者の麻酔薬による術後妄想であったことは医療関係者を除き周囲の人間には理解されていませんでした。
LINEで原告から被害を聞いた知人が警察に連絡し、警察がすぐに介入し、医師は逮捕され100日以上も拘留され、職も社会的信用も奪われることになりました。

でも、江川紹子さんも書いているように、状況を検証すれば“事件”が実際にあったかどうかは常識的に理解できることでした。
私も満床の4人部屋で、原告と同じベッドの位置で、ドアもいつも開け放した状態の入院を経験しています。
今回の“事件”では、昼間、カーテンは閉じられていますがカーテンのすぐ傍に患者の母親がいる状態で、医師が術後に乳首を5分近くも嘗め回したり、胸を見ながら自慰行為を行ったことになっています。

私は入院中安静にするよう言われていて、トイレも車いすを使うように言われていたのですが、それでは手間だというのでベッド脇にポータブルトイレが置かれ、そこで用を足すように言われました。
夜、同室者も寝静まり、人の出入りの無い状態であればポータブルトイレで用を足すことは出来ましたが、昼間は切迫した尿意を感じていても、どうしてもそこで用を足すことが出来ませんでした。
それぐらい、いつ誰がカーテンを開けるかも分からない、人の気配が感じられるプライバシーが無い状況なのです。
あのような状態で自慰行為は99.99%あり得ません。

麻酔薬による術後のせん妄、それによる幻覚は医療関係者ならよく知られているそうですし、高齢者であれば麻酔薬を使用していなくても夜間にせん妄状態に陥ることはよくあるとか。

麻酔薬でなく意識をうしなわせる胃カメラ検査の鎮静剤でも、私は痙攣を起こして経口ではなく経鼻の検査に切り替えたと後で知らされたことがあります。
同時期に同じ検査を受けた私の同僚は鎮静剤で暴れて、結局胃カメラ検査ができなかったそうです。
もちろん私も同僚もその間の記憶はありません。
私は鎮静剤が覚めても夢うつつで、記憶がはっきりしない状態が続いたので、もう胃カメラ検査で鎮静剤は使わないようにしています。

病院では鎮静剤を使うと検査が楽であると言うだけで、高い確率で痙攣を起こしたり、暴れたりすることがあるとは教えてくれません。
今回も事前に起こりうることを教えていなかったのではないかと推測されます。

今回の“事件”で私にとって印象的だったのは、原告の頑なさです。
麻酔薬で生々しい悪夢や幻覚を見ることはその病院の関係者だけが勝手に言っていることではなく、世界的に知られている医療の客観的事実です。
自分では実際にあったと思われることでも、客観的事実を示されれば考えなおすのが普通ですが彼女はそれをしません。

最初に相談したのが、麻酔薬によるせん妄について無知な知人や警察であり、医療関係者ではなかったことが原因かもしれません。
そこで被害感情が固定化され、引くに引けなくなったとも考えられます。
ただ彼女は江川紹子さんの記事についても明らかに誤読して怒っており、自分の主観が絶対で、客観的に物事を判断することが出来ない人なのではないかと思えることです。
彼女は控訴を望んでおり、医師には気の毒ですが、この“事件”はまだまだ続くのかもしれません。

ところで、この“事件”で、映画の「カリガリ博士」以上にホラーなのは検察と科捜研の対応です。
詳しくはリンクした江川紹子さんの記事を読んでいただくこととして、日本という国、本当に大丈夫なのかとつくづく思わされたのでした。



やりました、宇野昌磨選手

2019年02月11日 | 話題
告白すると、私はスポーツにあまり興味がありません。
当然、個々の選手達にも興味がありません。

ただ一人の例外がフィギュアスケートの宇野昌磨選手。

彼の事は5年くらい前から知っていました。
たまたまYouTubeで彼のエキシビションの演技を見てビックリしたのです。
なんて表現力のある魅力的な子なんだろうと。

私が見たのはこれ。⇒ここ
ズキューンってハートを射抜かれました。
15歳にしては幼い風貌、でも矛盾するようですが色っぽさが半端ない。
いつまでも見ていたい演技です。
才能の片鱗どころか滅多にない逸材って感じ。

この演技見て、興奮して翌日、勤め先で昼休み、「宇野昌磨っていう凄いフィギュアスケートの選手がいる」ってしゃべりまくってしまいました。

あの頃、彼は背が低いとか、ジャンプが飛べないとか、色々言われていました。
でも今は青年らしくなり、4回転ジャンプもばんばん飛びます。
彼が段々有名になって、テレビのインタビューの最中に居眠りするような天然な性格とかも知られ、彼の魅力が評判になると『私だけの昌磨だったのに』(笑)と、ちょっと残念な気持ちにもなりました。

今回の四大陸選手権優勝で、彼はようやくシルバーコレクターから脱しました。
何はともあれ、おめでとうございます!

ですが今回の宇野選手のフリーの演技を見ていて思ったのは、確かに技術は凄いし、相変わらず音にピタリと合わせる滑りも凄いのですが、見ていて痛々しさを感じてしまったことです。
かつての彼にあった、滑るのが、演技するのが楽しくてたまらないという感じがなくなったのです。

それは足首の捻挫のせいかと思っていたのですが、そうではなく、試合後のインタビューで「楽しいという気持ちを持たない」決意を語っていました。⇒ここ
これが大人になるということなんでしょうか。
ちょっと寂しい気持ちになりました。

でも、おばさんの勝手な感傷を越えて、宇野選手には、これから先も活躍してほしいです。


おフランスに憧れます!!

2019年01月28日 | 話題
赤塚不二夫のマンガ、「おそ松くん」のイヤミの影響か、10代の頃からおフランスに特別な思い入れを持っている人を見ると、他人事ながら恥ずかしい気分になっていました。
でも最近、これは本当にフランスに憧れるわと思うことがありました。

あまり報道されないことですが、黄色ベスト運動でのマクロン大統領の対応です。
最初の演説で今後国民の声にどう答えるか、それについては日本でも報道がありました。
それとは別にマクロン大統領は、2018年〈12月15日から翌年3月1日までを「国家大討論期間」と定め、全ての分野・階層の国民と意見交換をすると宣言。デモに対し、「対話」で応える姿勢を見せた〉のです。詳しくはここ

たぶんBSニュースだったかで、実際の対話の様子を見ました。
いやー、びっくりでしたね。
本当に対話してるわって感じで。

私が見たのは非正規労働者についての議論でした。
フランスも日本と同じような問題を抱えているのですね。
議論では、一定割合以上、非正規労働者を雇用している企業には何らかの制裁を加えることを考えるというものでした。
そのような企業は労働者に教育も受けさせず、安価な労働力として利用しており、雇われた労働者は生活が不安定になる、企業が国家に貢献しているとはとても言えないというのです。
大統領自身が議論の中でそのように言うのです。

私は年金で生活するおばさんですが、日本では女性の賃金は男性の6~7割ですから、老後、年金だけで食べていくのはとても無理と若い頃から考えていました。
で、個人年金を長年掛けていて、現在それで何とか年金だけで暮らして行っている状態です。
それは私だけでなく、女性社員の大方は個人年金をしっかりと掛けていました。
私は長年、年末調整事務を担当していましたので、社員がどんな保険に入っているかは嫌でも把握していたのです。

で、今ですが、非正規雇用で働く労働者が自らの生活を守るため、老後に暮らしていける十分な個人年金を掛けることなどとても無理です。
非正規雇用労働者の賃金は、子供がいたりするとフルタイムで働いても生活するのが難しいほど、とても低く抑えられているのです。
そのような人達が老後働けなくなったらどうなるか、おそらく一気に生活保護になだれ込むことでしょう。

要するに国が面倒みることになるのですが、それは今非正規で働く人達の責任ではありません。
非正規労働者の労働力を食い物にしている企業が悪いのです。あるいはそれを黙認している国が悪いのです。
今現在の利益だけを追求する企業が国家に対して将来的に害をなす存在なのです。
実は、こういう話題は、年金暮らしする友人同士の話の中でよく出てきていたのです。
今の非正規の人達が老人になったら恐いと。
フランスではそういうことが公に言えて、大統領とともにどうすれば良いか考えることができる・・・。凄っ!!

フランスが黄色ベスト運動で大統領をある意味目覚めさせ、大統領もそれを弾圧するのでなく、フランス全土を回って平場で対話するって、ほんと凄いじゃないですか。
もちろん、マクロンはこの先引きずり降ろされる可能性もあるけれど、テレビで討論を見ている限り好感が持てました。

日本にないのは、苦しんでいる人達がきちんと異議申し立てをする能力であり、上に立つ人が異なる意見を持つ人達と対話する能力なのかもしれないと、つくづく思いました。
実際、日本の行政が意見聴取の場を作ったとしても、意見は聞いたという口実作りでしかないですから。
しかも意見できる人も限られている。

というわけで、今更ながら私もおフランスに憧れてしまったのでした。


                                        


お堅い話題はおいといて、我が家の冬の庭の花々です。

ようやく咲き始めた梅。

冬の間、咲き続けるガーデンシクラメン。

冬の花の定番、パンジー。
ボツボツと咲き始めた雑草のスミレ。


一年で一番寒い頃ですが、植物達は頑張っています!!