その時は 度々、歌唱指導の時間になったものでした…。
父が私に…ではなくて、私が父に 指導するのです。
憶えている中で 一番古い歌は、橋幸夫さんの 『 潮来傘 』 でしょうか…。
♪ 潮来の伊~太郎、ちょっと見なぁれ~ば~…♪
『 潮来傘 』 を卒業(?)したら、北島三郎さんの 『 函館の女 』 。
♪ はぁ~るばる来たぜ、はぁこだてぇ~…♪
何故 この選曲なのか、よく解りません…私が生まれる前の曲なのに…。
『 函館の女 』 を卒業したら、森進一さんの 『 襟裳岬 』 。
♪ 襟~裳の春ぅ~は~、あぁ~寒い~春ですぅ~…。♪
父は 『 襟裳岬 』 には苦労した様で、ずいぶん時間を費やしました。
さくらももこさんのエッセイの中で、入浴時に ももこさんがお父さんのヒロシさんに 『 襟裳岬 』 を指導したというエピソードがあります。
やっぱりヒロシさんも なかなか覚えられなかったとか…。
父が 『 襟裳岬 』 を卒業する頃に、私は一人での入浴デヴューをしましたので、父への歌唱指導は終わりになりました。
ですから(?)、歌番組などで 『 襟裳岬 』 が流れると、父は うっすらと涙を浮かべます…。
兄がバンドを組んでいた大学生の頃、お風呂でよく歌っていました。
お風呂場は声が反響しますから 気持ちが良いのです…。
お隣に住む従兄弟一家は、兄の歌声が聴こえると、
「 K平君の♪バスコンサート♪が始まったよ。」
と言っていたそうです。
今も、何処かのお家では♪バスコンサート♪が 開催されているかしら…?
そして、お子達がお父さんに 歌唱指導しているかしら…?
謎です…。